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「困っています」と言える社会へ

新型コロナウイルス感染が拡大し始めてから、1年以上が経つ。そんななか、経済も人々の心身もかなり追い詰められている感がある。私自身、これまで以上に閉塞感や辛さを感じることが多い。若い方々はなおさらのことだろう。何かにつけ「互助」と言い出すこの国において、どのくらいの対策がなされ、どの程度の効果があるのかも、なかなか信用しきれないでいる。

そんな中でのこのような記事。胸が痛む。

「困っています」と言えない個人・言わせない社会

この国の問題は、困っているときに「困っています」と言えない人を作り、社会がそう言えない空気で充たされていることだろう。そのことがいかに人間性を破壊し、個人を破滅に追い込むか。大学で教えていて、授業中「トイレに行っていいですか」と、性別関係なく大学生でも断りに来ることがある。それが当たり前になっているほど、この習慣は根深い。

社会がどの程度個人に「強くあれ」と期待しているか、そして、実際に個人が強いか否かを2つの軸で描いたものが下の図である。私が思うに、時代が進むごとに右上から左上にシフトしているのが、現在の日本の状況であると思う。

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実際には個人は左右に分布しているが、要するに、以前はまだ個人に強さを求める社会の要請に対し個人が強くあることで対応してきたが(薄いグレー)、現在は個人の耐性が落ちている(濃いグレー)のに対し、社会が依然として個に強くあれと求めている、ということだ。「困っています」と言わせない社会のなかで、「困っています」と言えない個人が増えている。そこに生きにくさのひずみがある。

がんばること、正確なこと、きちんとすること、輪を乱さないこと、社会的に地位が上とされている人たちに逆らわないこと、これらを当たり前を信じ続ければ、まじめで責任感の強い人ほど、人に相談できず追い込まれていく。そういう社会は完璧にまで狂っている。狂っていることに気づかないほどに。

むろん、これらの美徳はあるし、子どもを預かる学校側の言い分もある。だが、ルールを目的化してはならないことは肝に銘じるべきだ。ルールは人が幸せや自由に生きるため、それを可能することができる社会を成立させるための手段である。ここをはき違えるとき、社会は歪み、人々は生きづらくなる。

日本人は「村人」なのかもしれない

この国の悲劇は、単に人々が集団に埋没しているだけでなく、所属意識が人々を内面から脅迫的に縛るところにある。つまり、自由に生きるために自己表現や自己実現する以前に、一度不-自由から自由にならなければならない。「困ってます」と普通に言えるために、どれほどの勇気が必要か。

強い人もいれば弱い人もいるし、同じ人でも時に強く時に弱くもある。だから大丈夫だと今思っている人が困っている人を当たり前のように助け合う。本来、このことが社会に礎になるのだが、今日の社会は手柄も所有物も何もかもが個人に還元され、社会のコモンはどんどん切り詰められる。

*「コモン」の問題については、以下の2冊をおススメしたい。

近代以前の社会を、人々が自由であることに気づかずにおらが村を世界だと信じていた社会だとすると、近代になり、私たちはそれはその村のルールに従っていただけで、他のルールもありえたことを知った。こうして、社会と個人の間に初めて亀裂が入ることになる。

*この辺りの社会の「近代」化の話は、以下の本の第4章がわかりやすい。

近代以前を「割れる前のひび一つない花瓶」、近代を「割れて破片になった花瓶」だとしよう。花瓶は割れることで初めて、元に戻ることのない破片をどう組み合わせ、継ぎはぎしながらどう花瓶を再生できるか、と問うことができる。

ならば、私たちは一度花瓶を割らなければならない。否、正確には、本当はすでに花瓶は割れている。だが、もとの美しい花瓶に戻ることができると頑なに信じて、接着剤で強引に貼り付けてオリジナルぶっている状態にある。

日本にいると、どんなに様々な技術が発展し、都市化していても、メンタリティは前近代的村人だと思うことが多い。村人なら素朴に助け合えることができようが、本当は花瓶が割れていて、強引に接着されているだけという意味で、牧歌的な村でもなければ近代的な自律的市民にもなり切れていない。

まずは花瓶はすでに割れていると認識することから始めなければならない

助けてほしいときに「助けて」と、苦しいときに「苦しい」と言える社会を構築するには、様々な価値観が変わっていかなければならず、道は困難なものになるだろう。それでもその道を歩むしかない。でなければ、その先は社会の破滅しかみえないのだから。

追伸

この記事の元になったツイートを書いていて、この一冊のことを思い出した。

実は、数年前に中島岳志さんがこの本に言及されているのを聞いて、すでに買っていたのだが、読まずに研究室に置きっぱなしだった。この機に読んでみたが、実によい本だった。

難民援助やその研究をしていた自分と、病気で援助されなければならなくなった自分との交差が絶妙。語り口は軽快だが、読みながら援助、制度、生死、そしてこの国に行きながら困ることについて考えてしまう本だ。

超おススメ。


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