MasakiUeta

自然の憲法学、気候変動と法(早稲田大学大学院法学研究科)。編集者みならい(ゲンロン)

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自然の憲法学、気候変動と法(早稲田大学大学院法学研究科)。編集者みならい(ゲンロン)

マガジン

  • 引きこもり日誌

    引きこもる。ヘッダー画像はまえの部屋です。

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  • 固定された記事

大学で何をやっているの?と訊かれたら、「苛酷さ」を引き受けているのだとお答えするほかありません。

 植田将暉と申します。早稲田大学の、たぶん法学部生です。本人の自覚としては、ひとり教養学部をやっています。ふだんは哲学(思想史)や歴史学や文学や政治学などをかじりながら何とか生きています。もっとも一応法学部生ですから、法学も(多少はきちんと)やっていることになっており、所属しているゼミではローマ法を勉強しています。法学分野のなかでは「西洋法制史」や「法思想史」に関心があります。しかし、やはりアイデンティティーは教養学部。ぼくの関心の範囲は、もっと大がかりに拡がっているような気

    • 国会図書館デジタルコレクション個人送信サービスで読めるフランス現代思想

      人類学篇が人気だったので、たぶん求められているだろう──いや、作成者自身が求めている──フランス現代思想版をつくりました。例により作成者は専門家ではありません。またおそらく漏れているひともたくさんいます(特に1900年以前に生まれたひとは適当)。なにとぞご了承ください。 ※同様のブックリスト(増えてほしい!) 2024年6月1日 植田将暉 (6月5日更新) アンソロジーJ.デリダ ほか著 ほか『現代フランス哲学12講』,青土社,1986.10. 〔レヴィ゠ストロース、

      • 国会図書館デジタルコレクション個人送信サービスで読める人類学系の翻訳書(著者篇)

        とりあえずつくった暫定版です。主要な人類学者(岸上伸啓ほか『はじめて学ぶ文化人類学』ミネルヴァ書房、2018年などを参考にしました)の翻訳書のうち、国会図書館デジタルコレクションの(主に)個人送信サービスで読むことができるものを集めています。※ 個人送信サービスの説明や登録方法はこちら。 おもに2024年4月末の追加によって、1995年ごろまでの絶版書目を中心に、多くの文献(とくに各分野で「古典」とされているようなもの)が登録すればオンラインで読めるようになっています。これ

        • 『早稲田ウィークリー』で執筆した記事一覧

          2019年3月から働いていた、早稲田大学の学生向けWebマガジン『早稲田ウィークリー』編集室での仕事を終えたので、これまでに執筆した記事の一覧をつくりました。 なおここでは、ぼくが執筆を担当した記事だけを集めています。ぼくが取材を行い、執筆は他のライターらが担当している記事も複数公開されていますが、そちらは割愛しました。 オンライン授業で消えた大学の「余白」 日常の何気ない会話が大切だった 2020年6月11日公開|コロナ下の学生生活について自由に書かせてもらった 演劇

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        大学で何をやっているの?と訊かれたら、「苛酷さ」を引き受けているのだとお答えするほかありません。

        • 国会図書館デジタルコレクション個人送信サービスで読めるフランス現代思想

        • 国会図書館デジタルコレクション個人送信サービスで読める人類学系の翻訳書(著者篇)

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        • 引きこもり日誌
          30本

        記事

          「開く」ことの始まりにむけて

          ・初出:ZINE『展開』創刊号「特集:本屋と平面」(早稲田大学生協戸山店発行、2020年4月) ・執筆者:植田将暉  本を読むというのは文字を読むことではない。むしろ「文字」など紙の書物においてはたちまち忘れ去られてしまう些末な要素にすぎないと暴力的に断言してしまってもよい。わたしたちは読書しているとき、これまでに読んだすべてのページのあらゆる文字列を正確に思い出すことはないし、その時点でどれだけの文字数を読んできたのかも知らない。ひたすら目を上下や左右に動かし、ならんだ文

          「開く」ことの始まりにむけて

          引きこもり日誌・29日目

          2020年5月6日(水)  起きてすぐ、静岡県舞台芸術センターの企画した、「くものうえ⇅せかい演劇祭2020」というオンラインイベントに参加する。映画の上映。キリル・セレブレンニコフ監督の『The Student』を観る。紹介によれば、「水泳の授業をさぼり、聖書を読みふける高校生のヴェーニャ。思春期の苛立ちの只中で、彼は“神の言葉”の正当性を武器に母親、クラスメイト、教師たちを論破し、周囲もまたその言葉に飲み込まれ…。」というあらすじ。「原作は、ベルリンを拠点に活躍する劇作

          引きこもり日誌・29日目

          引きこもり日誌・28日目

          2020年5月5日(火)  またあまり書くことのない一日。    13時からオンライン会議があり、といってもさほど重要なものではなく、ただひたすら画面をみつめるのがしんどくなって、マイクをミュートして、ベッドに寝っ転がり、映像の外へフレームアウトして、音声だけをぼんやり聴いていた。引きこもり生活によって社交性が落ちるということはあり得るかもしれない。ただ、それはひろく懸念の声が聞かれるようなコミュニケーション能力の衰えなどではなく、関心のないことには徹底して関心が向かないと

          引きこもり日誌・28日目

          引きこもり日誌・27日目

          2020年5月4日(月)  気がつけば来週から授業がはじまるので、オンライン授業をどのように行うかというメールが日々舞い込んでくる。今日は朝から外国語講読の先生とWaseda Moodleの双方向ライブ配信機能(Collaborate)のリハーサルをしていた。そこでまた気がつくのだが、今学期はすこし気合いを入れて「授業のための勉強」をしなければマズイのではないか。というのは気合いを入れて履修を組んだので、かなりハードな構成になっている。  少人数の演習は——いろいろ制度的な

          引きこもり日誌・27日目

          引きこもり日誌・26日目

          2020年5月3日(日)  いつも積読消化会でお世話になっているmokaさんが、「俺が大学一年生の時に見たかったウェブページ」をコンセプトにnoteの原稿を書かれているというツイートを目にして、思わずぼくもなにか書いてみたくなった。しかし同じような文章を書いても芸がないし、だいいち、アイデアの盗用のようで気が進まない。そこでぼくはなにを書こうか。いろいろと考えているうちに「大学」の空間性についてあらためて考えてみようと思いつく。結局いつもそんなことばかり頭にあるのだ。そこで

          引きこもり日誌・26日目

          引きこもり日誌・25日目

          2020年5月2日(土)  机が届いた。部屋中に散らばった積ん読や書類は昨夜(あるいは早朝)のうちに片付けておいたので、組み立てのスペースは確保されている。「組み立て」とは言っても、箱を開けて、脚を取り付けるだけの作業だ。数十分というまでもなく、すぐに完成してしまう。まだ椅子が届かないので、ベッドサイドに腰掛けて使うことにしよう。  昼過ぎ、雑誌『BRUTUS』の最新号をもとめて高田馬場の芳林堂書店へ。特集「居住空間学2020」。そのなかに、橋本麻里さんと山本貴光さんの暮

          引きこもり日誌・25日目

          引きこもり日誌・24日目

          2020年5月1日(金)  起きたら昼過ぎになっていて、気がついたら夜が来て、どうにも寝つきが悪くて、しかし日誌を書くという気力もない——というときも少なくない。そんなときは「やり過ごす」にかぎる、ということは以前ツイートした。  しかしこの日誌については、いちおう(さかのぼって執筆してでも)毎日かならず日誌をつけることに決めているので、なんとか何か書かないといけない。というわけで、当日は書く気力がなく、翌日ふりかえってみると特筆すべきことがない——ということを書いてみま

          引きこもり日誌・24日目

          引きこもり日誌・23日目

          2020年4月30日(木)  夜。お声がけいただいたオンラインディスカッションに参加する。教育学を専門にされている院生の方々を中心としたあつまり。はじめての顔ぶれ、専門違いの場。しかし最近、そんなところに投げ込まれても、面食らったり躊躇して喋れないということはなくなった——昔からそうではないかというツッコミも心に浮かぶのだが。どのような言説の場に身を置いても、ぼくはなにかしらのことを喋ることができる。そのような確信がある。というのは言葉やテクストや言説に対するぼくの認識に大

          引きこもり日誌・23日目

          引きこもり日誌・22日目

          2020年4月29日(水)  Zoom飲み会は終わらせるタイミングが見つからず、延々と続いていって不健康だという議論がある。たしかにそうだと思う。自室に引きこもっていると、ほかに気を遣うことが少ないので、だらだらと続けていてもストッパーとなる「やましさ」があまり感じられない。  これまで何度か書いている通り、ぼくは数時間かけて喋らないとマトモな話ができない(スイッチが入らない)性格なので、その点、Zoomの「終わらなさ」はちょっと居心地がいい。  同時に、Zoomというのは

          引きこもり日誌・22日目

          引きこもり日誌・21日目

          2020年4月28日(火)  本来であれば今日の夕方から文化人類学の読書会がはじまっていたのだとカレンダーの通知に気がつく。6月以降に、オンラインで開催されることに決まった。そちらへの参加希望のメールを書かなければと思いつつ——ほかにもメールを送らなければならないのだが——ここ最近、どうにも無気力でメール一通さえ書くのが厳しい。こうして「引きこもり日誌」も毎日の更新は諦めてしまって、なんとか気力を振り絞ったときに、溜まっているものを一気に書き上げている。  昨日買った、香月

          引きこもり日誌・21日目

          引きこもり日誌・20日目

          2020年4月27日(月)  気になっていた本をいくつか買う。新刊では、ティファンヌ・リヴィエール『博論日記』(中條千晴 訳、花伝社)と香月孝史『乃木坂46のドラマトゥルギー 演じる身体/フィクション/静かな成熟』(青弓社)、そして、中央公論新社のシリーズ『哲学の歴史』から第2巻と第3巻を。夜はゲンロンカフェの配信、「西田亮介 × 辻田真佐憲 コロナ禍は社会をどう変えたのか? 緊急事態宣言下に考える情報発信──メディア戦略から政治を読む #4」をながめていたのだが、途中で最

          引きこもり日誌・20日目

          引きこもり日誌・19日目

          2020年4月26日(日)  日曜日にはケーキを食べる。ふだんは調子よく喋り続けて気がついたら夜遅くになっているのだけど、今回はオシリが決まっている。20時からウェビナーが始まる。オンラインワークショップ「遠隔教室 大学におけるオンライン授業の課題を検討する」。國分功一郎さんの発表を聴きながら、教室の公開性について考える。なかば開かれ、なかば閉じられた空間であることの意味。それは「公共性」と「公開性」の重なりと隔たりをめぐる思考にもつながっていく。

          引きこもり日誌・19日目