引きこもり日誌・22日目

2020年4月29日(水)

 Zoom飲み会は終わらせるタイミングが見つからず、延々と続いていって不健康だという議論がある。たしかにそうだと思う。自室に引きこもっていると、ほかに気を遣うことが少ないので、だらだらと続けていてもストッパーとなる「やましさ」があまり感じられない。
 これまで何度か書いている通り、ぼくは数時間かけて喋らないとマトモな話ができない(スイッチが入らない)性格なので、その点、Zoomの「終わらなさ」はちょっと居心地がいい。
 同時に、Zoomというのは、嫌になればすぐに止めてしまえる、非社交的なツールでもある。なかなか終わらせることができないということは、同時に、無理やり終わらせてしまう能力が必要になってくるということだ。強引に終わらせてしまえる思い切りと手際のよさが、オンライン通話では、評価される。オフライン飲み会であれば「付き合いが悪い」と評されるのだが。
 そこで気が向かなければとっとと退出するにかぎる。「ぼくは◯時で抜けます」と宣言してしまう。ボタンひとつで退出できる手軽さは、誰にも引き止めるタイミングを与えないということだ。そして画面を切ってしまえば、こちらに「やましさ」を与えてくるものは何一ついなくなる。すぐに布団に横たわって寝てしまえば、もう翌朝には何もおぼえていないだろう。
 この近さと遠さ。接続性と断絶性。他者とつながるのも、断ち切るのも、ひとしく容易であるというメディア環境の特性。そのとき「公」と「私」がどのように変化してゆくか——その無造作な二分法の解体をふくめて——ということは、とりわけ大学とその授業のオンライン化に関心をもつひとりとして、注意深く観察し、検討していきたいポイントのひとつとして浮かんでいる。

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