引きこもり日誌・26日目

2020年5月3日(日)

 いつも積読消化会でお世話になっているmokaさんが、「俺が大学一年生の時に見たかったウェブページ」をコンセプトにnoteの原稿を書かれているというツイートを目にして、思わずぼくもなにか書いてみたくなった。しかし同じような文章を書いても芸がないし、だいいち、アイデアの盗用のようで気が進まない。そこでぼくはなにを書こうか。いろいろと考えているうちに「大学」の空間性についてあらためて考えてみようと思いつく。結局いつもそんなことばかり頭にあるのだ。そこで「空間」について議論するための手がかりに、ドリーン・マッシーの論考が役立ちそうだったと思い出す。そう思ってかなり前にダウンロードしておいたのだけど、ずっと読めていなかったのだ。英語なので。
 さらっと意味をつかむことはあまり苦労なくできるのだけど、なにか文章を書くために参照するのでは話が変わる。きちんと丁寧に読んでおく必要がある。そこでこれを良い機会と、頭からぜんぶ、論文ひとつを訳してしまうことにした。ひさしぶりの英文和訳。苦手ではないし、英文を読むのも、それを日本語に翻訳してゆくのも好きなのだが、すこしばかり四苦八苦する。というのもさほど長くはない論考なので、それまでの議論やテクストを引き受けた用語をもちいており、英語が読めないのではなく、用語や概念をつかみきれない——そしてそれに相応しい日本語をひねり出すことが難しい。
 そんなときは、同じ著者の他のテクストや、あるいは参照されている文献をいくつかあたってみることにする。幸い、早稲田の契約データベースをながめていると、いくつも論考を入手することができた。それらに目を通す。さらに読むべき文献が見つかっていく。夜が更ける。そうして迂回に逸脱をくりかえし、放蕩し、放蕩し、放蕩し。まだ翻訳は仕上がっていない。

お金があると本を買えます。