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橋の欄干を越えて飛び降り、死のうと思った時に心に響いた旋律

本文中に自死に関する記述があります。そうした内容により、精神的なストレスを感じられる方がいらっしゃる可能性もありますので、ご無理のない範囲でお読みいただくよう宜しくお願い致します。

僕にはかつて、うつ病、パニック障害、不安神経症、離人症に苦しんだ時期がありました。自殺未遂も何度かしましたし、精神病棟で常にみられている状態に置かれたこともありました。

精神疾患については、以下で少し言及しています。
https://note.com/masakinobushiro/n/na8d7e4bfb107

また、自殺未遂の一例については以下のツイートで触れたことがあります。

僕は、トータル3年ほど休職し、10年以上にわたり闘病しました。病院をでてからも、深夜によく街をさまよいました。多かったのは、街あるきのあとに、多摩川沿いに座って目を閉じながらせせらぎを聞くこと、それから橋の真ん中あたりに立って、橋から見える多摩川の遠望を見つめ続けることでした。

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多摩川の橋といっても、大き目のものになると、みなもからの高さは10〜15メートルほど?にもなります。僕は、橋の欄干(らんかん)に手をかけて遠くを眺めました。そして時折「頭から落ちれば、死ねるかも」と下を覗くことがありました。多摩川は浅めのところが多いので、沿(ぞ)いの土手からの距離をみて、「ここは浅そうだから、頭から落ちれば確実に死ねる」とぼんやり考えることが何度もありました。

死ぬのは簡単です。変な話、勇気も要りません。絶望していて、先行きも真っ暗で、条件がたまたまそろって、それで死のうと思ったら、欄干に手をかけ、乗り越え、飛び降りればいいのです。そうすればラクになれるかもしれない。「なんで俺はこんな人生を生きているのか」と、無数のものごとを恨み、涙する日々。そこから解放されるかもしれない。とても魅惑的な感じがしていました。暗闇には引力があるのでしょうか。闇に吸い込まれるような感覚が、僕をとりこにしたのです。

「ごめんね……」

そうつぶやいて、欄干に腰をかけることまでしたこともあります。心は、「死のうかな、どうしようかな」というところで揺れていました。でも、そこに恐怖はありません。むしろ「死」は気軽な選択肢で、僕的には、どっちにしようかなと軽く考える感覚でいました。

でも、僕は死にませんでした。
理由はいろいろあると思います。

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その時に、よく口ずさんでいた曲がありました。一つは尾崎豊さんの「僕が僕であるために」。もう一つは山崎まさよしさんの「僕はここにいる」。どちらも、僕の心の揺れに合っていました。例えば、尾崎さんの歌詞にはこうあります。

心すれちがう悲しい生きざまに
ため息もらしていた
だけど この目に映るこの街で僕はずっと
生きてゆかなければ
人を傷つける事に目を伏せるけど
優しさを口にすれば人はみな傷ついてゆく
僕が僕であるために勝ち続けなきゃならない
正しいものは何なのか それがこの胸にわかるまで
僕は街にのまれて 少し心許しながら
この冷たい街の風に歌い続けてる

僕はこの曲を、Mr.Childrenの桜井和寿さんがカバーして歌っているテンポで(動画は末尾に)、かすれるような小さな声で、口ずさんでいました。「僕が僕であるために勝ち続けなきゃならない」。これは、うつの僕にとって、とてもつらい詞でもあり、一方で背中を押してくれるような詞でもありました。「病に勝つ」ということではありません。「自分に勝つ」ということでもありません。ただただ、「勝ち続けなきゃならない」と、強制されて勝ちを求められている嘆き。そこに共感するのです。勝ちは、正しいの? 無理やり勝つことは楽しいの? それが僕にはわからない。「それがこの胸にわかるまで」というくらいですから、きっと尾崎さんにもわからなかったのでしょう。その感覚は、僕にとっては安心して座れるソファのやわらかさに似ていました。

それから、山崎まさよしさんの「僕はここにいる」。詞が、何とも胸を打つのです。

ため息だけが静寂に消えていった帰り道
遠い空 ゆれている街並み(略)
うまく君の名を呼べないよ
せつなくて むなしくて つぶされそうさ
わかるかい 僕はここにいる

「僕は……ここにいるよ……いるよ……」。それを、山崎さんが一緒に声にしてくれている気がして、気持ちがラクになったのです。いま死ぬか、それとも生き続けるか――その両極に針が揺れるたびに、針を中間に戻してピンと照準させるのが、この曲でした。聞けば不思議と、「生きる」とか「死ぬ」とかいう未来について、考えなくて済みました。死ぬとも生きるともなく、どちらにも寄らず、自然と風に揺られることができました。

僕は、いま、生きています。そして病気との距離がうまくとれるようになり、遅まきながら37、38歳で書き手としてデビューしました。PRもはじめました。世間からすれば「もう、遅いよ」という年齢なんです。でも、なんだか、やれそうな気がしていて。そんな時に、やはり「僕が僕であるために」と「僕はここにいる」が耳によみがえるんです。

歌は、僕の支えでした。
僕は、アーティストに生かされています。

だからこそ、いまアーティストやライブハウスなどが苦境にあることが苦しい。まさに今、芸術への道が断たれたと思って自死を考えている人もいるかもしれない。そんな状況の中で何ができるか、日々、考えています。

答えは、あるでしょうか。いや、たとえなかったとしても、「何ができるか」と考え続けることが、いい、と思っています。正義に正解がなくても正義について考えることが大事であるように、支援の道も、考え行動することが大事だと思うのです。何かしたいですね。みなさんは、どうでしょうか。無理に関心を持たなくもいいです。アーティストにかぎらず、もしかしたら苦悩しているかもしれない人の「隣る人」になっていきたい。僕は、そう思っています。

[「僕が僕であるために」桜井和寿さんカバー]

[「僕はここにいる」]

[僕はだれ?]


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