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[質問箱]シングルパパですが父親失格…自信がないです。楽になりたい。仕事もうまくいきません。

Q. シングルファザーです。必死に生きていますが、自信がありません。正直うつ気味です。仕事でも頑張り切れない。結果を出し続けられない。逃げたくもなるけど、経済的理由でそうも行きません。気がつけばサボる自分にもうんざりです。頑張ろうともするのですが、プライドや周囲の視線を気にする気持ちが先立ってしまい、結局うまく行かせられない自分を責めてしまいます。ラクになりたいです。どうしたらいいでしょうか。

SNS上の僕とリアルの僕のギャップ。酷いですよ。

A. おつらい状況に涙してしまいました。私の胸がグーッと締めつけられました。ご質問の原文には「シングルパパで家庭も仕事もこなしている」、そんな相談者さまを認めてくれる人もいて、それは嬉しいけれど、ふたを開ければ「ちっぽけでバカな自分がもがいているだけ」とも書かれていました。

実は、僕も近い気持ちを抱いています。ちょっと前まで、僕はSNSに子育て日記のようなものをつけていました(今は全部消しました)。それを読んだ読者が「斬新な子育て! イクメン! 優しいパパ! 理知的なパパ!」と讃えてくれました。でも、僕には嬉しさ半分、戸惑い半分といった感覚が生まれていたのです。ほんとうの僕はそんなデキた父親ではないから。子どもに怒り散らしたり、言い合いになって頭ごなしに否定したり、「ねぇねぇ、ぱぱ」と子どもが声をかけてきてもソファに寝転がったままだったりするのです。そのたびに、SNSで受け取られている「凄いパパ」像が、嘘で、ニセで、欺瞞だと感じていました。

正直いまも「至らない父親っぷり」に悩んでいます。

でも相談者さまは、そこだけでなく、仕事にも、逃げたくても逃げられない自分にも、サボる自分にも苛立ちや悩み、苦悩を抱えられている。それゆえの自信のなさは、とても、とてもつらいはずです。僕自身、自らのことを「何の役にも立たない穀つぶし」と確信していましたから、きっとそれに近いのかなと想像をめぐらせています。

「自信のなさ」については、以前、私なりに答えをしたためたことがあります。「死にたい」が日常だった自身の体験も書きました。

でも、これって一発逆転のソリューションではなく、とても地道な自信のつけ方だなと思います。もしかしたら質問者さまは、この記事を読んだ時に「その『地道』を継続できないくらい、私の中には『サボる自分』がいるんです」と仰るかもしれない。たぶん私が質問者さまの立場だったら、絶対そう言います。

うつ・パニック障害・不安神経症・離人症だった僕

これは、今晩のセミナーイベントでも少し触れようと思っていますが、僕にはうつ病経験があります。精神隔離病棟に入院していたくらいの、ひどいうつ・パニック障害・不安神経症・離人症でした。心底、僕は自分を「社会に必要とされない人間」と思っていたので、自殺未遂も2回しました。リストカットは無数にしました。

当時の僕は、病院にいない時は、まっくらな部屋に閉じこもっていました。人が怖かったからです。何かをしなければいけないという習慣のような(でも自分への命令ともとれる)ものも億劫で、脅迫的に感じていた。光も、音も、怖かった。だからTVなんかつけません。今でこそ活字中毒の僕ですが、読書すらできません。字を見るのが、つらいのです。カーテンを閉めてもわずかに光が差し込むので、窓ガラスはガムテープで固めました。音がどうしても入ってくるので、布団にくるまって耳栓をしました。

そんな僕にとって、最初に喜ばしいと感じられたのは何だったでしょう。何だと思われますか?

カーテンを開けられたことです。布団からでて、ガムテープをとって、窓から光が差し込めるようにしたのです。それから、鏡の前に立てたことは、自分でも驚きでした。しかもヒゲを剃れた(ヒゲを剃らなかったのでボーボーでした)。歯磨きもできた。その後は、TVの電源をつけられたし、フロにも入れたし、文字も読めるようになりました。性欲ゼロだった自分に、超久しぶりにペニスの朝立ちが起こりました。食欲がでました。これは、嬉しかったです。それら全てが「できた」「できた」というささやかな感触になりました。

僕は、それらの体験を、「こんな程度のことで喜んでしまう俺って……」という心象と合わせながら、記録に残し、喜びをつづるようにしました。できることへの感性を磨こうと、喜びを探すようにしました。その過程で気づいたのです。

「何かができることって、凄いな」って。

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一般的にいわれる「普通」ができることの凄さ

朝起きて、目覚まし時計を止め、伸びをし、洗面台で顔を洗い、歯磨きをし、ヒゲを剃り、整髪する。たぶん、世の男性のほとんどが「普通」にしていること。実は、それができることって、凄いことなのです。僕は、初めこそ「そんな普通のことで喜ぶしかない俺って、終わってんな」と思っていましたが、いつしか、「ちゃんと歯を磨けることって、いいな」と感じられるようになりました。感受性が育ったのだと思います。

上記は、決して「俺はこんなに苦しんできたんだ。あなたもそんなことでグチグチ言うな」と言いたいがための言動ではありません。むしろ、「そんなこと」の凄さ、大切さが伝わればと願って書いています。

相談者さまは、シングルファザーです。おそらく「普通」のことも「普通」以外のこともたくさん、たくさんしているはずです。「シングルパパで家庭も仕事もこなしていて、凄いね」という周囲の言葉に励まされることもあると思います(そう書かれていました)。でも、その時に「でもね……」と思う。なぜ、そう思うかといと――大胆な物言いになりますが――それは、自分のしていることを「たいしたことはない」と見下しているからです。無意識に、自分のしていることを卑下し、過小評価し、意味があるのに無意味なものだと、無意味の穴へ押しやっている。それは、ある種の苦しさへの居直りです。

僕も思いますよ。「シングルファザー、すごい」って。

自信を持ちたいのに自信を拒否しているのでは…

凄いねと言われる。そういう時に、他人がどれほど本気で言ってくれているかというのは、喜びとあまり関係がありません。大事なのは、「すごい自分を受け容れる」ご自身の構えです。相談者さまは、もしかしたら(直接お会いしていないので想像の域を出ませんが)自信を持ちたいと思っているにもかかわらず、自信を持つことを拒否しているのかもしれません。自身のしていること、やっていることの価値を下に下にして、ちっぽけにして、それで「自分もちっぽけだ」という考えに収まろうとしているのかもしれません。でも、考えてみてください。

シングルファザーとしてお子さんにしていること、それは相談者さまにとって、ちっぽけな、卑下するべきことですか? お子さんに一度、聞いてみてください。

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先に提示した記事の中で、僕はこう書きました。

「僕はいま、自信がなかった時のあの『悩んでいる感じ』を大切にして生きています。忘れないようにしています。その『悩んでいる感じ』が、ひとを支える時に活きているからです」

自信がないことに悩めるのって、凄いことです(悩みの渦中には実感しにくいですが)。アイデンティティに揺れる経験だって、凄いことです。仕事でも、短期でも結果が出せるなら、凄いじゃないですか。サボり癖がでて結果を出せるのが一時的だとしても、まず、頑張れること自体が凄いじゃないですか。そして、すぐサボってしまう自分に気づいていること自体も凄いじゃないですか。サボり癖は、近著『あやうく一生懸命生きるところだった』(ハ・ワン著、岡崎暢子訳、ダイヤモンド社)ではないですけれど、頑張りすぎて苦しくて、電車のホームに行くと飛び降りたい衝動にかられてしまう「強迫的に頑張ってしまう人」からすれば、「凄い能力だ」と憧れられるようなことです。それは短所になる時もあれば、憧憬の的、長所にだってなり得るんです(今すぐそうなるとは言わないです。厳しいようですが)。

良いパパが演じられるなら、演じよう

原文に「良いパパを演じている」とありますが、演じましょう。僕も、良い人に見られようと演じています。演じ続けてもホンモノになれないかもしれません。ですが、演じています。なんか、それが自然なんです。だから僕は、演技のうまい演者になろうと思っています。それで、どこまでが演技かわからなくなったら儲けものです。

「できなかったことができるようになった」時に、素直に「嬉しい!」と感じられるには、実は「自分へのしつけ」が必要です。喜びには脳の報酬系がかかわっています。ある場面に遭遇した時に、快感を感じる物質が脳から出るのです。その報酬系がうまく作動するように仕向けるには、3つのポイントを踏まえる必要があります。以下は、子どもが「ほめられることでよりその行為をするようになる」という時の心理作用を指します。

外発的強化……行為に対し、直接ほめられることを喜ぶ。すると子どもは、その行為を繰り返すようになる。

代理強化……他人がほめられるのを見て、その行為のマネをして、自分も褒められようとする。

自己強化……自分で自分をほめて、「ぼく、すごいじゃん」と思って行為を繰り返すようになる。

人間は、自分をコントロールできているようでいて、相当に制御できていないものです。自分をほめられるようになるのも、それゆえ難しい。そうなるには、自分で自分をしつける必要があります。

①と②は、ほめられたい衝動として自然です。ですが、ここに忌避感というか、「そういうの、ダサくない?」「ほめられるためにやるとか、何かね……」「していることもショボいし」という気持ちが出てくると、③がうまく行かなくなります。脳科学的にいえば①と②が前提で、それらができてはじめて③ができるようになります(池谷裕二『パパは脳研究者』扶桑社新書)。

他人から称えられた時に、わっと喜べないことは、実は心理的に結構な障壁になり、自己肯定感も抱きにくくなります。

きっと凄いあなたへ。そんなに自分をいじめないで。

ほめられるというのは素晴らしいことです。お世辞だろうが、本気でなかろうが、ほめられることって、良いことです。そうされたら、調子に乗ってしまっていいんです。自分でも自分をコントロールできないくらい、自分をほめまくってみてください。それでは実態の伴わないランナーズハイになってしまう、そう思うでしょうか。それは、違います。相談者さまには、そういう「ほめられる」素晴らしさがあるのです。すでに、ある。それを、ほめてあげてほしい。自分を、いじめないで……。

「ほんとうの自分はそんなに凄くない」と思う、その「ほんとうの自分がわかる」というのは、実はとても難しいことです。おそらく世のほとんどの人は「ほんとうの自分」なんてわかりません。そして恐らく、相談者さまが言う「ほんとうの自分」も、真実の「ほんとうの自分」ではないはずです。「フタを開けたら、クズなオレが出てくる」というのは幻想です。僕は、フタがどこにあるかもわかりません。ほんとうの自分だってよくわからない。ただただ、今この瞬間の自分を生きているのです。ほんとうのダサい自分を丁寧に築くのは、もう、やめにしませんか?

長文、失礼しました。

まずはこの長い文章を読み切ったご自身をほめてみてください。ちょっとおかしい気がするかもしれませんが、くすっとすること自体が、人生を豊かにする一歩だと僕は思っています。

[質問箱]
https://peing.net/ja/7d1eef526dd553?event=0

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