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【2024年5月】最近読んだ本のご紹介

最近読んだ本のご紹介です。今回は、上下巻も入れて全部で5冊。

今年集中的に読もうと思っていた東浩紀さんの本を2冊読了しました。特に昨年話題になった『訂正する力』は、現代人に必要なエッセンスが詰まった一冊だと感じます。

それでは順番にどうぞ!


📖辻村深月『かがみの孤城 上・下』ポプラ社

普段小説はあまり多くは読みませんが、東畑開人『聞く技術 聞いてもらう技術』の「孤独」と「孤立」について書いている章で本書がこのように紹介されていたので読んでみたくなりました。

「こういう微細な傷つきを書かせると天才的なのが、小説家の辻村深月さんです。2018年の本屋大賞に選ばれた『かがみの孤城』をはじめ、さまざまな作品で、ストレスを抱えた大人が無自覚に子どもを傷つけるプロセスが描かれています。」

『聞く技術 聞いてもらう技術』では、「孤独には安心感が、孤立には不安感がある」と書かれています。「孤独」と「孤立」は違うのです。「孤独」を愛する人はいますが、「孤立」を愛する人は、おそらく、いないでしょう。

『かがみの孤城』は子どもの微細な孤立感を巧みに表現しています。その巧みさをなんと表現したらよいか難しいですが、自分の中の深い記憶を呼び起こし、「そこまで表現してくれるなら自分のこともわかってもらえるかもしれない」と思わせるような巧みさでした。

おそらく孤立を感じたことがある人なら誰もがこの本で勇気をもらえるはずです。とても深い、言葉にできない、圧倒的なさみしさをちゃんと書いてくれています。

きっと、大丈夫。
そう思わせてくれる物語でした。

📖東浩紀『動物化するポストモダン オタクから見た日本社会』講談社現代新書

國分功一郎『暇と退屈の倫理学』の注でも紹介されている本書。初版は2001年なので、もはや23年前の本になりますが、今年は東浩紀氏の本をたくさん読んでみたいと思っているので、彼の思考を辿る意味でも読んでみることにしました。

本書はオタク分析からアプローチしているので、サブカルチャーやアニメ、プログラミングなどオタクの世界の読み解きについていくのは正直大変でした。したがって、一度全体を読んでから哲学的な考察を拾いながら振り返ってみました。

『暇と退屈の倫理学』でも「動物になること」はキーワードとして出てきていますが、改めて「動物化とはどういう状態か」に注目しました。

本書はアレクサンドル・コジェーブの考え方を参考にしていて、どうやら動物は欲求しか持たないのに対し、人間は欲望を持つらしいです。

どういうことでしょうか。

欲望は羨望や嫉妬などのように他者の欲望を欲望する。つまり欲望は他者を必要とする。つまり関係を必要とする。

それに対して、欲求は自らの欠乏さえ満たせればよいから孤独に生きられる。動物はただ単に自分の食欲を満たして生きている。

確かにそうかもしれないですね。

つまり、ポストモダンの人間は、自分の欠乏を満たしながら孤独に生きているということです。東さんは嘆きや憂いというよりも冷静にその時代性を俯瞰しているよう感じました。

人間はつながりを生むが、欲望は消えることがなく自然と調和できない。
動物は欲求を満たせばいいから自然と調和するけど、孤独。

果たして、人間がいいのか、動物がいいのか?
そして、今の自分は人間か動物か?

考えさせられる一冊です。

📖エティエンヌ・ド・ラ・ボエシ『自発的隷従論』ちくま学芸文庫

タイトルからしてインパクトあるこちらの本。敬愛する本好きの方から、最近読んで面白かった本としておすすめされ読んでみることにしました。

本書解説から拾うと、「自発的隷従」とは、「強いられもしないのに、自ら進んで奴隷になる」ということ。ラ・ボエシは自身が生きる時代までに起こった数々の圧政・独裁に対して、それは民衆が加担しているから起こると説きます。

この本を読むまで、ラ・ボエシという人物を全く知りませんでしたが、彼は16世紀のフランスの知識人で、この「自発的隷従論」をなんと16か18歳(!?)で書き上げたとされる、驚くべき天才です。

ラ・ボエシは日本ではあまり知られていないと思われ、ちくま学芸文庫のこの本自体、初版が2013年と割と最近です。監修する西谷修氏のあとがきを読むと、「混迷の今こそ、ラ・ボエシに学べ」との強い意志を感じる渾身の一冊となっていると感じました。

ラ・ボエシは、進んで支配を受け入れる民衆を憂いながらも、人間は生まれながらにして兄弟のように友情を育む存在であり、友とはお互いの善良さを保証しあえる関係性にこそ生まれることを力強く訴えています。

「いま一度、正しく行動することを学ぼう」という締めくくりに勇気をもらいました。
学ぶことで人間はより善く生きられるはず!

📖東浩紀『訂正する力』朝日新書

昨年、『訂正可能性の哲学』(ゲンロン)と立て続けに発売されていて気になっていた、東浩紀さんの「訂正」シリーズ。どちらから読もうかと迷った結果、新書のこちらの本から手に取ってみました。

「訂正する力」とは何か?

読み進めてみると、「聞く力である」「続く力である」「老いる力である」とたくさん出てきます。どうやら一言で説明するのが難しそうな力です。

「この状況認識は「脱構築」に似ている」とあり、千葉雅也『現代思想入門』でジャック・デリダの脱構築という考え方もおさらいしながら読み進めていくと、一気に理解が進みました。

デリダの「脱構築」とは、何か対立する場面において、自分が安定していたいという思いに介入して、他者の考え方にも開いて対立を乗り越えていこうとする考え方。

要するに、「訂正する力」はデリダの「脱構築」をより現代の私たち日本人に伝わりやすいように東浩紀さんがアップデートしてくれたもので、さらに対立を乗り越えるだけでなく、それを持続させていこうというときに、状況に合わせて訂正し続けることがその解決策になるのだ、と理解しました。

そして、東浩紀さんは私たち日本人こそが訂正が得意なんだと主張しています。

「ぼくはなぜか、いまの世界には考えるひとがあまりにも少なく、それはまずいと感じてしまった。みなが「考えないで成功する」ための方法ばかりを求める国は、いつか破滅すると感じてしまった。そう危機感を抱いたこともまた、本書執筆のきっかけのひとつです。」

最後のこのメッセージは刺さりました。

AIが躍動する便利な世の中だからこそ、しっかり学び考える力を養わないと!

以上5冊でした。

読んだ本はインスタでタイムリーに紹介しているので、もし興味ある方はぜひフォローしてください😁

〈instagram〉
https://www.instagram.com/masaki.tomaru/


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