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発達日記#3 機能不全家族?毒妻?  ASD息子が全てのきっかけ!?

今回は、わたしの取り巻く家族環境に変化が起きてきたことをnoteへその気持ちのまま今タイピングをしていきます。

世の中で、機能不全家族や毒親、愛着障害、AC、発達障害など他にもありますが、これらが何かどうかと絡み合っているのだということを、自分の家族を通じ感じ始めました。
自分が親になり子供との接しかたや家族間の関わり合い、自分の価値感やその時々の感情から、自分に対して目を向けることを意識してそこから自己分析をし自己理解していくことで、周りの風景が今までと違って見えたりもするのだということを知ることができてきたように思います。
今回はどのように気づけてきたのか、またそのきっかけになったのかをお伝えします。


最近になって、少しずつですが家族内にまとまりが出てきたように感じています。それが理由でnoteを書こうと思ったのかもしれません。

どういことかと言うと、昨年の9月ごろより妻との関係が悪くなり始めていましたし、新しい仕事にも違和感を持つようになっており、その状況から私の心境として360°一寸闇。自分のすべて身の回りの出来事と環境が真っ暗な状態に感じることしかできませんでした。

妻とはほぼ口をきかないしきいてもらえない。いえ、きけない状態が正しいかもしれません。

仕事から帰って、玄関のドアを開けるためにドアノブをさわることへの不安と恐怖感を感じていましたし、家の中に体は入っているのですが、魂だけは家の外に置いてくる、心が落ち着かない、生きた心地がしない、話したとしても日々、毒と感じる内容のことばかりで心にナイフを刺さされたかのような生活を半年以上つづいていました。

このような夫婦関係は、子供たちに間違いなく悪影響を及ぼしているのだと肌に感じながら、その悪影響が子供にいかないよう悟られないように自然に振る舞うことで必死になってしまいました。

妻の本性は、こんなにも毒が酷いのか、、、子供に罪はないのにごめん。
そんなふうに思っていました。

そんな状況下のなか、昨年10月から自分中心に何が原因なのかどんなことが考えられるのかなどいろんなことを調べたり、人を頼ってきいてみたり、病院をおとずれたりと、試行錯誤しながらもがき苦しみながらもなんとかしたい。何とかなるのか。なんとかなるまでやるしかない。そんなことを思いながら日々戦ってきたように思います。

そんな中、まず最初に疑ったのは自分でした。それはなぜか。
過去にいろいろ思い当たる節があったからです。

おはずかしい話ですが、家計を圧迫するような自分勝手な転職したことで、妻からの当たりが強くなり気付かされたというのが正解だと思います。以前よりきちんと妻とコミュニュケーションがとれていなかったこと。お互い尊重しあえる夫婦というよりも、それぞれが個々に独立していた関係で「夫婦間」の小さな溝から徐々に溝がおおきく深くなっていたところに拍車がかかったようにも感じます。(後半に転職してからのことをお伝えします。)

後悔というのは、後から悔やむこと。これにつきると思うのですが、まさに転職してそれにより環境が良くなれば良かったのですが、家計状況は悪くなり生活苦になるようなことをしてしまったと、後々になり頭で理解することができました。

家族を支える大黒柱としては、本当に自分勝手な行動をしてしまったのだと。
妻の反応、態度、言葉がひどくなるのは当然なことだと思います。

自分はなんてことをしてしまったんだと気づいてから、自分を責める日々が始まりました。それは自己嫌悪感をきっかけから自分に対する怒り、悲しみ、苦しみ、絶望感などいろんなマイナスな感情に包まれ、反芻する(嫌な記憶がぐるぐるする)ようになりました。

自分て何でこうなんだろう?そんな疑問がずっと沸き続ける日々でした。
そんな時、子供の発達障害に関する書籍に書いてあったある言葉をふと思い出したのです。

それは「子供に発達障害がある親は、その親も発達障害の可能性がある」と
いうこと。

そういえば、自分自身なんだかずっと生き辛さがあると感じていたのが頭をよぎり、「自分はもしかして大人の発達障害」では?と思った瞬間にすぐに病院を探して予約をとったほどです。

過去の経験で、うつ2回、適応障害と経験をしたことが主な理由です。
「自分自身てなんかおかしいよな」「なんか他の人とちがうな」
「思いやりが少なく、感情が希薄」と感じていたので、少しでもなにか可能性があるのではないか。何か少しでも情報はないかと一つ一つ疑いをかけながら、その原因を探していきました。

そして、病院での結果は「ASDとADHDの併発」ということでした。

正直、この診断で救われたような心境になり、発達障害をすぐに受け止めることができたのです。

家庭のことに戻りますが、今は妻と子供2人と自分で暮らしているのですが、長男ASDくんの影響も大きく生活スタイルと家庭内環境が悪化していきました。長男ASDくんは小学2年生の時に不登校になり、妻と話をして不登校でも好きなことを伸ばしていくことをバックアップしようと決めました。当初はフリースクールの体験にいくつかの施設へ行ってみましたが、なかなか馴染めなかったこともあり、自宅で妻が一緒にいることになりました。

その長男ASDくんの不登校ということを受け入れたことで、日中妻が働きに出れなくなり、我が家の家計を圧迫することにもなっていたのです。

このままでは家計も安定しないしどうするか悩んだ挙句、妻が夜に仕事を探しパートとして働き始め家計も安定させる方向になったのです。今ではとても妻に感謝することなのだと気づけたのですが、当時の私は何も感じていなかったこととや、自分のことばかり考えていましたから。

そんな状況のなか、私は父親として当時自分の働いていた会社に嫌気が差しており、この会社では成長できないと悩んでいました。会社をよくしたいとかなりの思いがありすぎ、社長に対してあれあやこれと改善するお願いばかりしていました。実は他人て変えられないものんですよね、、、と後のまつりです。

自分のしたことの重要さに気づいた時は、本当に頭をハンマーで殴られたくらいのショックとやってしまった嫌悪感で、若干うつ状態になってしまいました。

これを機に、自分というものをとことん知る必要があると感じて、まず行動したのは発達障害の当事者会(自助会)というものがあることを知り、参加したいと思うようになっていきました。それは自助会で自己受容や自己理解につながるということがあるということで否が応でも参加したい、そう思うようになっていきました。

ただその自助会は地元には無くSNSでご紹介をいただき、結果的に自分で自助会を立ち上げることになったのです。

この時家庭はまだ機能不全な家庭のままでした。

くる日も来る日も家の中の空気は最悪なもので、そう改善していくのか、本当に改善するのか。ただひたすらに苦痛で憂鬱な日々でしかなかったのです。

そらから、SNSで情報を入手したり、書籍を探してみたり、何度も何度も手探りで探し続けました。

徐々にですが、自助会に参加することで同じように苦しんでる方の体験談や経験談など価値あるお話を聞いていくうちに、徐々に少しずつ自己受容ができるようになり、また自助会で勇気をいただけるようになり心の安定ができるようになっていきました。

この時点ですでに、ASD息子からまさか自分の成長につながるきっかけになっていたとは本当に思いもよらないです。

まだこの先がありますが、この先はまたの機会に書きたいと思います。

今現在は本当にびっくりするくらい家庭内に火が灯ったように明るくなっています。妻との日々の会話、妻と子供の成長についての会話ができるようになっています。本当に嬉しい毎日です。

妻との会話ができるようになったことで、不思議と子供たちが素直になってきたようにも思います。

家庭内というのは小さな社会で、一番初めに社会を勉強するところであって、子供たちにとって家庭が安全であること。家庭内が楽しく明るいということが将来にとても影響すると思います。

ここまで長文をご購読いただき本当にありがとうございます。

またこの続きを書く予定です。


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