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ビール酵母の進化とビールの多様化

私は、基本的にお酒はビールしか飲まない。以前はラガービール(サッポロ黒ラベル)が定番だった。しかし、最近のお気に入りはIPA(インディア・ペールエール)、それも少しアルコール度数の少ないセッションIPAである(たとえば"Coedo 毬花"や"ホップ農家と醸造家が奏でるSESSION IPA"など)。IPAは、ホップを大量に使用した、爽やかな苦みのきいたビールだ。私がビールについて少し調べてみようと思ったのも、IPAを飲んで、クラフトビールのおいしさにはまったことが切っ掛けである。
 人類がアルコールをいつから口にするようになったかは定かでないが、ビールのようなアルコール飲料を飲むようになったのは、少なくとも小麦や米栽培などの農耕が開始されて以降のことである。それ以来、今日に至るまで、ビール酵母は進化し、ビールの種類も多様化してきた。同時に、人類もアルコールに対する代謝や嗜好性も進化してきた(詳しくは1.3.1飲酒に関わる遺伝子の自然選択による進化を参照)。
  ビール醸造には、麦芽、ホップ、酵母、水が必要であるが、ここでは、アルコール発酵に欠かせないビール酵母の進化とビールとの関係について、最新のゲノム研究の成果をもとにみていきたい。


ビールと酵母の必要不可欠な関係

 人間が、ビールに限らずアルコール飲料を飲めるのは、酵母が糖をエチルアルコールにしてくれるからである。アルコールを飲むのは人間に限らず、ツパイやホエザルといった他の哺乳類も好んでアルコールをとるらしい(1)。自然界で、酵母は花蜜、果実や樹液といった糖のあるところで見つけることができる。ビールだけでなく、ワイン、清酒、パン製造に使われる主要な酵母の種がSaccharomyces cerevisiae (サッカロミセエス・セレヴィシエ)である。
 酵母は、糖をアルコールに変える。ワインの原料は、葡萄などの果実なので、糖が含まれるため、それを直接酵母に食べさせればよい。ビールの原料である大麦、清酒の原料である米、パンの原料である小麦は、その組成がデンプンであるため、そのままでは、酵母が食べてくれない。そこで、ビールでは、大麦を発芽させ、麦芽(モルト)になったときにできる糖を利用している。清酒は、麹菌によって米デンプンを糖に変え、そこから酵母を使う。パンは、小麦の生地に砂糖(昔はなんらかの蜜)を混ぜて発酵させる。パンでは、発酵後に焼くことで、アルコールはほとんど消えてしまう。
 酵母についての基礎なことを確認しておきたい(めんどうな人はここは飛ばしてください)。酵母は、細菌ではなく、真核生物に属する菌類である。自然界で生息する酵母は、ゲノム(1つの生物を構成するのに必要なDNAの塩基配列全体)を2つもっており(二倍体)(図1の右)、それが出芽によって無性生殖によって増えている。また、環境が悪化したりすると、減数分裂をして胞子を形成する。この一倍体の酵母も出芽で無性生殖をする、この一倍体には2種類のタイプがあり、異なるタイプが接合して二倍体になるという有性生殖を行っている。なお、ビール醸造に使われている主要な酵母であるS. cerevisiae のゲノムのDNA配列は、約12Mb(1200万塩基)である。
 なぜ、ここでこの複雑な話が必要かというと、野生の酵母は、二倍体で、減数分裂をして一倍体になり有性生殖をして生存しているのだが、ビール醸造に使われている酵母には、有性生殖しない、あるいはできない酵母が多い。それらは、二倍体だけではなく、三倍体、四倍体などのものもある(図1)。 

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図1.酵母の繁殖様式。自然界では、酵母は二倍体で出芽による無性生殖で繁殖するだけでなく、環境が悪化すると胞子を形成し、一倍体となる。タイプの異なる胞子(αとa)が接合するという有性生殖を行う。

ビールとビール酵母の起源-"Out of China"

 文書として、ビールが登場するのは、約4700年前のシュメール(メソポタミア[現在のイラク・クウェート]の南部)での記録である(1)。記録に残っている以前、つまり、穀物が栽培されるようになった約1万年前からこの約5千年前の間に、中東地域のどこかで最初にビールが造られたのだと考えられている。しかし、9千年前から7千600年前の中国中央部の遺跡から、米のビール、蜂蜜のミード、ワインの混合物のような飲料の痕跡が発見されている(1)。東アジアにおいても古くからビールとはいえないまでも、穀物から作られたアルコール飲料が飲まれていたと思われる。実は、この中国のアルコール飲料は、ビール酵母の起源を考える上で重要かもしれない。
 Peter et al. (2018)は、様々な場所やアルコール飲料などに用いられているS. cerevisiaeの1011の異なる株の全ゲノム配列を決定し、その系統関係を調べた(2)。S. cerevisiae以外の6種を加えた系統図が図2aである。後述するように、S. cerevisiae以外の種もビール醸造の多様性に影響している。
 図2bは、S. cerevisiaeの異なる1011の系統間の近さをみるためにゲノム配列を用いて主要因分析という手法を用いて示したものである(2)。点が近いほど、系統的に近い関係にあることを示している。台湾株が系統の深くで分岐し、中国の異なる系統が左側に位置している。注目するのは、中国系統IVの近くにその他の系統が位置していることである。このことは、中国の系統IVがもとになり、世界各地の異なる系統はそこから派生したことを示唆している。醸造やパンに使われるS. cerevisiaeは中国起源であり、中国系統からS. cerevisiaeの系統が中国を出て世界に広がったと考えられる。Peter et al. (2018)は、これをヒトが約5から6万年前にアフリカを出て世界各地に拡大したことを出アフリカ「out of Africa」というのにちなんで(「ヒトはいつ出現し、どう進化をたどってきたのか」を参照)、出中国「out of China」と呼んだ。
 約1万5千から1万4千年前にこの出中国は1回のみ生じたと推定されている(2)。この頃は、まだ農耕が開始されていない時期である。前述のように、9千年前から7千600年前に中国でアルコール飲料の痕跡がみつかっているが、それより以前に中国では狩猟採集民がアルコールを飲んでおり、それが酵母といしょに中東に伝わった可能性がある。

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図2. Saccharomyces7種の系統樹とS.cerevisiaeの異なる系統の関係。Peter et al. (2018)の図2と図S10を改変。

 ビールではないが、Peter et al. (2018)の解析で興味深い結果が他にもある。S. cerevisiaeが日本酒につかわれる酵母として栽培化(demestication)されたのが、約4千年前と推定された(2)。約4千年前は日本では縄文時代である。日本列島では、約3千年前に大陸からの人々が稲作といっしょに渡来し、縄文人と交雑して、現代日本人が形成されたと考えられている。縄文時代には、お酒が作られていた痕跡があるが、そこで使われた酵母が大陸から伝わり、後に米から作られる日本酒に用いられたのかもしれない。あるいは、日本に稲作といっしょに、何らかの米酒が伝来し、それに日本酒のもとになる酵母が含まれていた可能性もある。

ビールの多様化とS.cerevisiaeの進化

Gallone et al. (2016)は、世界中の157(107のビール、19のワイン、11のスピリッツ、7の日本酒など)のS.cerevisiaeのゲノムを解析した(3)。その系統図を図3に示す。ビール1と呼ばれるクレード(共通祖先をもつ系統の集まり)には、イギリスクレード、アメリカ合衆国クレード、ベルギーとドイツクレードが含まれた。ビール2と呼ばれるクレードは、各国の酵母が混じっており、ワインクレードと近い関係にあった。このことは、ビール酵母には2つの大きな栽培化イベント(人間が酵母をビールに使用するために培養をはじめたイベント)があり、その一つはワイン酵母と関係しているということを示している(3)。
 ビール1の酵母は、人為的な醸造環境では生存できるが、ストレスのかかる環境に対して弱い。また、ビール1の酵母の44%は無性生殖でしか増えず、有性生殖ができないように進化しており、三倍体や四倍体の酵母も多い。自然界のすべての酵母は有性生殖をするし、ビール1以外の醸造用酵母は80%以上が有性生殖をする。つまり、特にビール1の酵母は、人為選択によって醸造環境に適応するよう進化しているといえる。
 ビール酵母は、ビール醸造に適した性質を進化させている。たとえばビール1の酵母は、7.5-10%のエタノールを生成するが、ワインや日本酒の酵母は15%程度までのエタノールを生成する。また、ビールの培地ではマルトトリオースという炭素源が特異的にみられるが、これを効率よく利用できるような遺伝子をビール1およびビール2の酵母はもっているが、ワインや日本種などの酵母はもっていない。
 4-ビニルグアイアコール(4VG)は、スパシーでグローブのような香りをもつ化合物である。野生の酵母やパン酵母は、4VGを生成するが、日本酒やワイン、多くのビールでは好ましくないとされ、この化合物が生成しないように淘汰されている。しかし、小麦からつくるドイツのヴァイツェン(Hefeweizen)は4VGを生成し、それによる独特の香りが特徴となっている。
 
 

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図3.世界中の157のS.cerevisiaeのゲノム配列を用いた系統樹. Gallone et al. (2016)(3)の図を改変

種間雑種のビール酵母

 ビール酵母の話は、S. cerevisiaeだけの話では終わらない。サントリーの研究所のwebページには世界で初めてビール酵母の全ゲノム解読に成功というページがある。そこには、「私達はこの下面ビール酵母であるSaccharomyces pastorianus Weihenstephan Nr.34のゲノム解読を行いました」とある。図2の系統樹には、S. pastorianusという種がないのは、これがS.cerevisiaeとS.eubayanusの種間雑種でできた酵母だからだ。
 多くのS.cerevisiaeの酵母は、上面発酵ビールに用いられる。上面発酵では、常温から高温で発酵させ、酵母が麦汁の表面に浮き上がってくる。上面発酵でつくられるビールをエールビールという。それに対して、下面発酵では、低温で発酵させ、酵母が底に沈んでいく。下面発酵ビールがラガービールである。図3からもわかるように、S.cerevisiaeの酵母の中にもラガービールがあることから、下面発酵に用いられる系統もある。日本でよく飲まれるラガービールは、S.cerevisiaeとS.eubayanusの種間雑種であるS. pastorianusが用いられている。
  S.cerevisiaeとS.eubayanusの種間雑種以外にも、S.cerevisiae × S. kudriavzevii がエールビールやワインに用いられたり、S.cerevisiae x S.uvarum x S.eubayanusという三種の混ざった雑種がワインやサイダーに用いられたりしている。
 Gallone et al. (2019)は, 種間雑種についてゲノム解析を行い、種間雑種の詳細について解析した(4)。かれらの研究では、驚くべきことに、醸造に使われている約25%が雑種であった(一つのゲノム内に異なる種のゲノムが混在する)。それはラガービールの他に、ランビックトラピストビールなどの酵母の一部も雑種であった。S.cerevisiaeとS.eubayanusの種間雑種は、過去に1回生じて、それが広くラガービール醸造に使われていると推定されている。S. cerevisiaeとS. eubayanusの種間雑種が下面発酵に用いられるのは、マルトトリオースを効率良く利用できることにより低温耐性を獲得したからだ。4VGによる独特の香りはラガーではとりのぞかれているが、これはS.eubayanusのゲノムがS.cerevisiaeに組み込まれたからではなく、種間雑種が形成されたあと、独立に3回のラガービールの系統で消失したと推定された(4)。

ビール酵母ゲノムから探る近代ビールの歴史

 Gallone et al. (2019)は、ビール酵母のゲノム配列をもちいて、異なる酵母系統が分岐する年代を推定した。イギリスのビールがアメリカに輸出されるようになった1607-1637年に、イギリスエールとアメリカエールの酵母が分岐したと考えられているので、その年代を基準として推定した。ベルギー/ドイツのエールビールの酵母からラガービールの酵母が分岐したのが、1547-1578年だと推定された(4)。また、これより若干早く、ベルギー/ドイツのエールビールとイギリスのエールビールの酵母が分岐した。これは、1516年にバイエルン公国にてビール純粋令が制定されて間もない時期である。ビール純粋令では原料に関する規則(ビールは大麦、ホップ、水のみを原料とする)を定め、醸造をより寒い冬の月に限定することによって細菌汚染を減らし、品質を高めることを目的とした。また、この時期は、ヨーロッパで寒冷化が進んだ時期でもあり、低温でビール醸造ができるS.eubayanusとS.cerevisiaeの雑種がもちいられ下面発酵によるラガービールが誕生したのだと考えられている(4)。この法律は、歴史的に見て、ドイツのビールスタイルの多様性に多大な影響を与え、多くのローカルビールや醸造の伝統がこの法律に適合するために消滅したらしい(4)。
 もう一つ面白い現象として、1800年代後半から1900年代ごろから、ラガービールの酵母の進化速度(ゲノム配列が新たな変異によって変化していく速度)が突然劇的に低下したことが示された(4)。この時期に機械的冷却システムによる通年の冷蔵が可能になり、通年での低温醸造、酵母やビールの冷蔵保存が可能になったことが影響していると推測している。

未来のビール酵母とビールの多様化

今後のビール酵母はどう進化していくだろうか?すでに遺伝子組み換えによる酵母(たとえばグルコアミラーゼをコードするSTA1遺伝子を発現)による醸造などはすでに実施されている(5)。また、ビールではないが、アメリカのインポッシブル・フーズ社は、遺伝子改変した酵母をもちいて人工肉を作り、バーガー"Impossible  Whopper"を販売している。
 2017年のScience誌に、人工酵母ゲノム開発プロジェクトの論文が七本掲載された。ゲノムを1から設計して、すべて人工的に合成した酵母のプロジェクト(Synthetic Yeast Genome Project, Sc 2.0)に関しての論文である[注1]。現在、すでに人工合成の酵母はほぼ完成しており、ワイン製造に応用したり、本来酵母にはない優れたセルロース分解能力を備えた酵母の開発を実施されたりしている。(注1:合成生物学のという分野が発展しており、たとえば、Covid-19のmRNAワクチンが、コロナウイスルのゲノム配列をもとに設計・製造したものもその一つである)
  しかし、様々なクラフトビールが誕生しているなかで、遺伝子組み換え酵母とか人工合成酵母使用というラベルがつくビールは、負のイメージに結びつく可能性が高く、ビール愛好家には敬遠されるかもしれない。自然界に生息している"天然”酵母を使ってビールをくるという発想は、地域独自のクラフトビールという付加価値をつけることにつながる有効な戦略かもしれない。たとえば、伊勢の天然酵母をつかった伊勢角屋麦酒のHIME WHITE、原材料を京都産にこだわった京都YASANO IPA、岩手県石割りサクラの酵母をつかったいわて蔵ビールの福香などが有名である。しかし、野外で生息する天然酵母のうち、香りや風味が優れているだけでなく、人為的な醸造環境で生産量を確保できる能力のある酵母をみつけるのは簡単ではない。伊勢角屋麦酒の鈴木氏の本に、天然酵母からのビール造りの苦労が書かれている(6)。
 本稿でも述べたように、ビール酵母は、世界の各地で醸造のために人為選択がかけられ、多様なビール醸造に適した酵母が進化し、利用されている。Giboson et al. (2020)は、ビールの品質と醸造の生産性をあげるために、適応的実験室進化(Adaptive Laboratory Evolution)による酵母の解良を推奨している。実験的な環境を変化させて継代飼育をしていくことで、酵母の人為淘汰を行い、改良していくという方法である(5)。また、S.cerevisiaeにS.eubayanusを交雑させ、低温耐性を獲得させ、下面発酵によるラガービールを創り出したのと同じように、異なる特徴をもつ酵母を交雑させて、両種の良い面を選抜するという手法もある。さらに、これまでヒトが好ましい株を選抜していた過程を、AI技術を用いて人為選抜を自動化し、様々な機能を獲得した酵母を創り出すという研究も行われている。
 味や成分は実際には同じでも、価格や製造法、材料の由来などの情報などが伝えられるとヒトの味覚や味わいは変化することが知られている[注2]。ビール酵母と同時に、人間のライフスタイルや価値観の多様化と伴ってビール酵母やビールも多様になっていくのだろう。
 
注2:アリエリー(7)は、アメリカの大学生にビアパブで実験をした。2つのビールを用意し、一つはバドワイザー、もう一つはバドワイザーに2滴の酢を足したスペシャルビール 。酢が入っているとはじめに伝えると多くの学生は、2つを飲み比べた後、酢の入ったバドワイザーを避けた。しかし、何も伝えない場合は、飲み比べた後、酢を足したビールを選び、飲んだあとにそれを伝えても、自分の選択に満足したという。我々の脳は、味だけでなく、期待感や様々な情報によって、ビールの味わいを変化させることを示している。

以下の記事では、人間の認知機構の進化についても触れています。一読ください。
進化的視点からみる人間の「多様性の意味と尊重」
以下の記事は、食生活の変化に応答したヒトの進化について解説しています。
食生活の変化による脂肪酸代謝の進化:植物性脂肪か動物性脂肪か

引用文献

1. ロブ・デザール、イアン・タッターソル[ニキリンコ、三中信宏訳] (2020)『ビールの自然史』勁草書房
2.Peter, J. et al. (2018). Genome evolution across 1,011 Saccharomyces cerevisiae isolates. Nature, 556, 339–344.
3.Gallone, B.et al. (2016). Domestication and Divergence of Saccharomyces cerevisiae Beer Yeasts. Cell, 166, 1397–1410.
4. Gallone, B., et al. (2019). Interspecific hybridization facilitates niche adaptation in beer yeast. Nature Ecology & Evolution, 3 1562–1575
5. Gibson, B., et al. (2020). Adaptive Laboratory Evolution of Ale and Lager Yeasts for Improved Brewing Efficiency and Beer Quality. Annual Review of Food Science and Technology, 11, 23–44. 
6. 鈴木成宗 (2019) 『発酵野郎! 世界一のビールを野生酵母でつくる』新潮社
7. ダン・アリエリー (2008) 熊谷 淳子 (訳)『予想どおりに不合理』早川書房

参考書
久保沙織[TOA] (2018)『恋するクラフトビール』株KADOKAWA
富江弘幸 (2019) 『教養としてのビール』SBクリエイティブ社
渡淳二 (2018)『ビールの科学』講談社ブルーバックス




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