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【感想】劇場映画『余命10年』

note主催の試写会で鑑賞。

ワーナー・ブラザーズの神谷町試写室に入るという貴重な経験。
善良な小市民である私は「無料で見せてもらったんだから感想をnoteに書くのが礼儀だろう」と思い、この記事を書いています。
(もちろん冗談)
実は藤井道人監督についてはまたいつか書きたいなと思っていたところでした。

藤井監督について以前書いたのはドラマ『アバランチ』の記事。

内容が重複するので再度書くことはしないが、自分が思う藤井監督の特徴(作家性)は

  1. 社会の暗部に光を当てるストーリー

  2. 美しい映像(特に光と影の演出)

の2つ。
ただ、『アバランチ』以降ちょっと自分の中でまた違った印象も芽生えてきた。

それは「脚本を藤井監督が自ら書くと(特に社会派作品においては)主張が前面に出すぎなのではないか?」ということ。
少なくとも自分はそう感じる節があった。

※厳密には『アバランチ』の脚本は藤井監督の単独ではなく複数名の脚本家との共作

どこかバランスが悪いというか。
もちろん僕も今の日本政府が問題ないとは思っていないし、そこを批判的に描こうという意志は分かるのだけど、逆プロパガンダというか「政府はこういう悪事を働いてるんだ!」というメッセージが強すぎて「いや、そんな何から何まで悪の組織なの…?」と感じてしまった。
これはNetflixドラマの『新聞記者』についても同様。
主張が過度に前傾化し始めているような印象を受けた。

1年ちょっと前に劇場公開された映画『ヤクザと家族 The Family』の時点ではそこまで気にならなかったんですが。

こっちは「足を洗って普通に生きようとしたけれど元反社という時点で社会システム的に詰んでいた」という話で、前述の作品のような極端に悪く描かれている人がいなかったからかな?
ヤクザが悪く描かれているのは別にこの作品に限った話ではないし、強いて作品内の悪を挙げるなら社会全体の空気だったので(反社に拒否感を覚える感覚それ自体は健全だと思いますが)

このような流れで自分は藤井監督に対し

  1. 映像の美しさはやはり一級品

  2. 誰か他の脚本家が書いたストーリーを演出に専念する座組みでも見てみたい

と思うようになった。

脚本(ストーリー)と演出(ディスコース)の違いについては上の記事内で触れています。

そんな時に1月から始まったドラマ『封刃師』
劇団☆新感線の中島かずきが原作・脚本を手がけており、藤井監督は今のところ1話だけ演出を担当。

まさに我が意を得たり。
「そうそう!こういう企画を待ってた!」という感じだった。

そして本作『余命10年』の脚本は岡田惠和と渡邉真子の共同。
ここでちょっとごめんなさい。
渡邉真子作品をほとんど見たことがなく(ドラマ『恋つづ』は話題になっていたこともありちょっとだけ見ましたがその程度)この記事では岡田惠和の話に絞ります。
不勉強で申し訳ありません。

実は藤井道人×岡田惠和というタッグを聞いた第一印象は「意外」だった。
岡田惠和は確かに近年いわゆる“難病もの”を数多く手がけており企画に対しては適任である。

いや思ってた以上に多いなw
ちなみに自分が一番好きな岡田作品は難病ものではない『姉ちゃんの恋人』

コロナ禍を舞台にした物語が心に染みました。2020年の国内ドラマの中でも最も好き。
朝ドラ『ひよっこ』はじめ有村架純とよく組んでるイメージありますね。

自分が思う岡田脚本の特徴は

  1. 悪い人の出てこない優しい世界

  2. ただ、時にそれが行きすぎて妙なファンタジー感が出てしまうことも…

2は正直見る側の心持ち次第な面もあり、上で僕が好きな作品に挙げた『姉ちゃんの恋人』も人によっては「いやいやあれこそ登場人物が全員人格者でみんなハッピーエンドを迎えるファンタジーじゃん」と感じるとは思う。
(ここでの「ファンタジー」は魔法とかそういうことではなくて「あまりにも理想的な出来すぎた話」のようなニュアンスです)

『余命10年』という題材で藤井道人×岡田惠和のタッグと聞いて「“難病もの”の脚本家としては確かに適任だが、劇中に明確な悪を置いて強いメッセージを訴える藤井監督と岡田脚本の優しい世界観は噛み合うのか?」という印象を受けた。

で、いざ実際に作品を鑑賞(ようやく本題)
予想以上にお互いの作風が上手く噛み合い、尚且つ衝突もしてませんでした。お見事。

まずは藤井作品お馴染みの圧巻の映像美。
本作ではそれが茉莉(小松菜奈)が生きた最後の10年間の尊さを表現する形でストーリーにも直結している。
藤井監督は本作のオファーを受ける上で「1年を通して撮影する」ことを条件に挙げたそう。
それは四季の映像やそれがもたらす芝居の変化を通して劇中の10年間を描きたかったから。
予告編でも印象的に使われている桜のシーンはじめ海に雪に美しい映像の連続。

茉莉がカメラを回しているという設定で差し込まれる、敢えて粗い画質の映像も印象的。
この辺りは藤井監督だけでなく撮影監督の今村圭佑の功績も大きいだろう。
近年の邦画で撮影が良いと思ったら大体この人が撮ってる気がするくらいハズレなし。

パヴェウ・ポゴジェルスキやホイテ・ヴァン・ホイテマ然り優れた撮影監督は映画をグッと引き締め、格を一つ上げてくれるのだ。

藤井作品の映像美に欠かせない光の演出も健在。
アパートのキッチンや金網フェンスの蛍光灯までも美しく撮られている。
あそこまで行くと照明に対して何かフェティシズムを抱いてる変態なんじゃないかとw
本作は蛍光灯映画である(断言)

次に脚本について。
本作も岡田作品の法則に漏れず悪い人は出てこない。
(男性を紹介されるシーンで「この人ちょっと無神経なのでは?」という描かれ方をされてるキャラクターはいるけれど)
そのおかげで過剰に涙を誘う内容にもなっていないし、だからこそ限りある命を懸命に生きる人々のドラマに入れる。

前述のファンタジー飛躍問題(勝手に命名してしまいすみません)も本作は原作という確固たる存在があるからか堅実な作り。
茉莉が亡くなる結末は決まっているから全てが丸く収まってやりすぎ感が出ることは無い。
(茉莉が亡くなる結末が良かったという意味ではなく、あくまで作劇の話です。念のため)
こう書くと「原作通りやっただけでは?」と思われるかもしれないが、例えば和人(坂口健太郎)の設定は原作から大きく改変されており決して脚本家が映画化に際して仕事をしなかったわけではないことは明言しておきたい。

藤井作品の時に強すぎる主張を岡田脚本の優しい世界観が、岡田脚本の時にファンタジーに飛躍してしまう弱点を原作がそれぞれ補完する見事なバランス。

1年間を通して難役を演じ切った小松菜奈と坂口健太郎を筆頭に俳優陣も素晴らしかった。

(2014年に開かれた設定の同窓会で和人が女性陣から完全スルーされてるのは坂口健太郎が塩顔ブームを巻き起こす2015年以前だからかと妙に納得)

RADWIMPSの劇伴も良かったなー

雑な紹介になってしまいすみません。

本作は2011年から物語が始まり、世界がコロナ禍に突入する直前で幕を閉じる。
劇中では描かれていないが、自身の焼き鳥屋を開店した和人も他の飲食店と同様に苦境に立たされているかもしれない。
でもきっと彼はもう二度と「死にたい」とは思わないだろう。
半ば走馬灯のようにテンポの良い編集で紡がれる2人もしくはタケル(山田裕貴)と沙苗(奈緒)も含めた4人の楽しい日々やラストに和人が春風の中に見た幻想は、観客にとってはもう戻ってこないかもしれないコロナ禍以前の日常への回顧としてオーバーラップする。
それでも、本作は見た人に前を見る力を与えてくれるはずだ。
僕もまずは目の前の10年間を頑張って生きてみよう。

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