仁科雅朋

経営コンサルタント&ビジネス書作家&エッセイスト。『グチ活会議』(日本…

仁科雅朋

経営コンサルタント&ビジネス書作家&エッセイスト。『グチ活会議』(日本経済新聞出版)『心理的安全性がつくりだす組織の未来』(産業能率大学出版部)『組織改革のプロ・コンサルが教える 会社が生まれ変わる5時間授業』(スタンダーズ)3冊を出版。電子書籍多数。

最近の記事

「秋といえば読書、そしてバーボンとスルメ」

 私は本を読むのが嫌いだった。特に読む速度が遅かったので、小学校の音読の時間はいつも先生に指されないように、首をすくめていた。  さらに勉強が好きではなかった。当然の結果として、高校卒業と同時に浪人が確定した。そんな私が読書にはまったのはまさにこの浪人時代であった。  当たり前のことだが、浪人したからといって勉強が得意になるわけではない。できることなら早くこの拷問のような時間から解放されたいと思っていた。  偶然にもその抑圧への小さな抵抗が、読書の道へといざなったのであ

    • 「関門海峡のタコ」

       太陽が照り返す8月の真夏日に、私の恩師とも言うべき人に逢うために西へと向かった。  まだ駆け出しのコンサルタントの頃に、意気込みだけで採用してくれた人だ。それ以来、20年以上のお付き合いになった。おかげで日本を代表する企業に携わる経験をさせてもらい、私の仕事人生の礎が築かれた。私にとっては恩師であるといっても過言ではない。  その方は定年退職をされた後、九州のご実家に戻られた。ご挨拶にお伺いしたいと常々思っていたが、中々機会をつくれずにいた。  あるとき、Facebo

      • 「秋茄子は嫁に食わすな」

         秋といえば思い出すのが、「秋茄子は嫁に食わすな」という諺(ことざ)である。こんなひどい言葉があるのかと、子供心に思ったものだ。ただ、これにはいろいろな解釈があるようなので、ここで少し整理をしておきたい。  この諺の背景にあるのは、嫁姑問題である。一般的に知られている意味は、「秋にとれる茄子は美味しいので、憎い嫁には食べさせるな」というもの。ちなみに、秋茄子とは9月以降に収穫された茄子のことで、夏茄子に比べて皮が柔らかく、甘みや旨味が強い。  そんな美味しい秋茄子を、わざ

        • 『ばぁちゃんと冷やむぎ」

           母方の田舎は福島の須賀川だった。幼少の頃は、夏休みになるとよく母と帰省した。あの頃はまだ新幹線も通っておらず、電車の天井には扇風機が回っていた。帰省ラッシュの満員電車で、汗だくで揺られながら、母の手を握りしめていた。時折窓の外に見える田園風景がとても鮮やかだった。  田舎の家は、長屋の一角にあった。2階建てで、1階には台所と居間、2階は4畳半の部屋が二つあった。ばぁちゃんの人柄もあって、ご近所さまとは家族づきあい、家はまるで寄り合い所のようだった。  贅沢なものは何もな

        「秋といえば読書、そしてバーボンとスルメ」

          『出張先の背徳めし』

           出張先ではホテルで朝食を食べることが多い。大抵はビュッフェスタイルで、その土地の郷土料理を盛り込んだものもある。日常はわりと、食事には気を使いながら、なるべく偏らないように、カロリーを気にしながらの食生活を送っている。  しかし、いざ出張に出かけると、普段の節制気味な生活のタガが外れてしまうようだ。  先日も群馬県で朝から仕事があり、前橋駅前のビジネスホテルに宿泊した。朝4時に起きて仕事の準備をした後、最上階にある露天風呂に入り、眼下の街並みを一望した。その日はとても晴

          『出張先の背徳めし』

          『まほろ成吾の町田めし』

           『おっさんのいぶくろ』の著者である、まほろ成吾はペンネームであり、3人の共著である。つまり3人のおっさんがひとつのテーマに対してそれぞれエッセイを書いている。この3人が久しぶりに故郷の町田で飯を喰うことになった。共通点は3人とも勤め人ではないので、比較的融通が利く身であるということだ。その日は平日の午後2時に「いくどん町田駅前店」に集合した。  店は平日の昼間にも関わらず満席で、そのまま2階の座敷に通された。靴を脱いで上っていくと、既に2人は席についていた。普段はリモート

          『まほろ成吾の町田めし』

          『私の特別な朝食』

           私はコメダ珈琲のモーニングが好きだ。朝7時から開店しているのも魅力の一つ。  出張先での朝のルーティンは、当日の仕事の予習をすることと、一日の段取りを頭の中でイメージすること。そして最後に心の中で「今日も実りのある一日になりますように。自分に関わるすべての人にとって価値ある一日となりますように」と唱えてから、仕事場へと向かう。  こんな具合に朝の時間を大切にしたいタイプなので、落ち着いてこのルーティンができる場所を選ぶようにしている。  もう30年前になるが、私はかつ

          『私の特別な朝食』

          『究極の弁当』

           私の友人に弁当にかなり詳しい人物がいる。彼は仕事の関係で弁当の差し入れをすることが多かったようで、やがて弁当の魅力にはまり、究極の一品を探し求めているという弁当オタクだ。今回のお題が「弁当」に決まったので、その友人に連絡を取り、飲みに誘った。  彼はスマートフォンの中の色とりどりの弁当を見せながら、熱心に弁当の魅力を語ってくれた。しばらく講釈が続いた後、少し考えた末にこう言った。 「そうだな。究極の弁当として俺が勧めるとしたら、銀座梅林のとんかつ弁当だな。梅林の弁当はね

          『究極の弁当』

          『発作的に食べたくなるアレ』

             私の家にはテレビがないので、かわりにYouTubeをよく見る。お笑い系や、スピリチャル系も好きなのだが、気がつくと「大食い」やASMR(咀嚼音)の動画を見入っていることが多い。  大食い動画ではカレー、ラーメン、揚げ物など6、7kgもある巨大な山を、一人で平らげる猛者もいる。私も40代までは、ごはんも麺も常に大盛で、体重が90kg近くあった。  50歳を超えてからは、70kg前半まで体重を落とし、今では一日2食で胃袋が小さくなり、とても大盛など食べれない。  おか

          『発作的に食べたくなるアレ』

          私のソウルフードはあの「町田の老舗炭焼きホルモン屋」

           初めて焼肉屋に行ったのは、小学校4年生の頃。JR町田駅の商店街に『モランボン』ができて、家族で食べに行った。これが私の焼肉デビューの思い出だ。  店内は明るくキレイで、鉄板を下からバーナーで焼くタイプの店。なんだかとても高級なお店に来たようで、ちょっと誇らしく、ワクワクしたのを覚えている。その時、親父も初めてだったのか、メニューを一瞥すると「任せる」と母に注文を丸投げ。  母は一通りメニューを眺めると、カルビやタンなどを手際よく注文した。母はすでに焼肉屋の経験があるのか

          私のソウルフードはあの「町田の老舗炭焼きホルモン屋」

          『ラーメン』から学んだ私の人生哲学

           私は幼少の頃よりラーメンが好きだった。休日のデパートのレストランに入っても、家族で旅行にいった先でも、注文するのはいつも決まってラーメン。  母からは、「どこでもラーメンばかり食べてないで、たまにはその土地やお店の名物を食べてみなさい」と言われたこともあった。しかしそういわれても当時の私はラーメンにしか興味がなかった。  そのうち、他の物を食べない嗜好に不安を覚えたのか、ある日、母が勝手に天ぷらそばを注文したことがあった。しかし大好きなラーメンを食べれない事への反発から

          『ラーメン』から学んだ私の人生哲学

          12月19日発売 新刊「まえがき」を公開

          今年の年末にスタンダーズから上梓します 『組織改革のプロ・コンサルが教える会社が生まれ変わる5時間授業』のまえがきを投稿します。 コンサル現場のリアルを再現しました。 そして20年のコンサルノウハウの集大成として書き下ろしました。 ご興味を頂き、発売後に本編にお進み頂ければ幸いです。 ーまえがきー この本は、会社を変えたいと切に願う経営者や、もっと組織の生産性を上げたいと考えている管理職の方々、さらにはチームのやる気を高めて、やり甲斐のある職場に変えたいと願う全てのリ

          12月19日発売 新刊「まえがき」を公開

          『失恋レストラン』

          僕の失恋レストランは、勝浦の海沿いのカフェバーだ。学生の頃の甘く切ない思い出。サークルの合宿の時から、ひそかに思いを寄せていた1年先輩の彼女。ロックできっぷのいい姉御肌。 些細なことで友人と喧嘩をし、気持ちが落ち込んでいたあの日。「何を暗い顔をしてるんだい、君は!」と背中をポンっと叩かれ、振り返った瞬間から僕の彼女への恋は始まった。 その後は何度か飲みに行って、はしご酒をした夜もある。ある夜、彼女は道端で大の字に寝ころび、「おい、まだまだ飲むぞ~」と叫びながら寝てしまった

          『失恋レストラン』

          『立喰いそば』

          僕がまだ小学1年生くらいだったと思う。国鉄の原町田駅(現在のJR町田駅)前のバス停の横に「大関」という立喰いそば屋があった。当時はまだ背が低くて、立ちテーブルの下にある荷物棚に、鉢を置いて、背伸びしながら、そばをすすっていたのを覚えている。 小学生の高学年になるとゲームセンターに入り浸り、ゲームの合間に隣の「大関」の立喰いそばを食べていた。その頃、もっぱら注文していたのは「かけそば」だ。一杯が200円くらいだったと思う。その時はゲームにお金を投入することを最優先していた為、

          『立喰いそば』

          『人生最後の一食』

          もし死ぬ前になんでも好きな食事ができるとしたら、何が食べたいのだろうか。この問いについては、何度か考えたことがある。母のカレーも良し、父の田舎の郷土料理の「鯉こく」も懐かしい。 もし夏なら、学生の頃に良く通った町田駅前のホルモン屋「いくどん」もいい。真夏に七輪を囲み、額から滴り落ちる汗をTシャツで拭いながら、生ビールを片手にシロとハツ、ミノを網にドバっとのせて、焦げないように、せわしなく転がしながら焼く。ガツガツと食べ、ぐびぐびと飲む。   あの身体に悪そうなオレンジ色の

          『人生最後の一食』

           『調味料』

          「空腹が最大の調味料」であるといったのは、かの古代ギリシャ哲学者のソクラテスでした。この言葉はキケロの「至善至悪論」に引用されています。脳科学的にも、空腹時は、脳の血糖値が低下し、神経細胞が活性化することで味覚が敏感になるということが分かっています。 調味料というと、味の素を思い浮かべる方も多いのではないでしょうか。私は元々味の素に勤めていたこともあり、調味料に関しては多少知識があります。グルタミン酸ナトリウムをはじめ、中華系、塩、和風だし系など様々な調味料を研究していまし

           『調味料』