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『ラーメン』から学んだ私の人生哲学

 私は幼少の頃よりラーメンが好きだった。休日のデパートのレストランに入っても、家族で旅行にいった先でも、注文するのはいつも決まってラーメン。

 母からは、「どこでもラーメンばかり食べてないで、たまにはその土地やお店の名物を食べてみなさい」と言われたこともあった。しかしそういわれても当時の私はラーメンにしか興味がなかった。

 そのうち、他の物を食べない嗜好に不安を覚えたのか、ある日、母が勝手に天ぷらそばを注文したことがあった。しかし大好きなラーメンを食べれない事への反発から、その天ぷらそばのほとんどを残すという始末。自分の思い通りにならないといじけるという、甘えきった子供時代を過ごしていた。

 その後もラーメンへの執着は増していき、ついには母も断念して、外食ではラーメンしか食べない子というお墨付をもらった。

 ある日、町田の駅前にチャルメラ風のラーメン屋がオープンした。当時はあまりなかったこのラーメン専門店は、いつも行列ができていた。その店の前を通るたびに私は立ち止まり、ラーメンが食べたいとごねた。ついに根負けした母は、その店の暖簾をくぐった。
 
 はじめて食べたその店の味は、細麺でほんのり甘い鶏ガラスープのしょうゆ味。レンゲで一口すすった母から出た言葉は「あら、おいしいわね。」
 
 それからは町田の駅に行くときは、母と二人でそのラーメン屋に入ることが日常となった。私はその店のメンマが好きで、「山盛りメンマラーメン」というメニューを好んで食べていた。

 ある時、ふと隣をのぞき込むと、ゆで卵とチャーシューとほうれん草が入ったラーメンが目に入った。私がいつも注文するメンマだらけのラーメンと同じ値段で、いろいろな味を楽しめそうなそのラーメンに興味が湧いた。そして次の機会に山盛りメンマラーメンを改め、このノーマルなしょうゆラーメンを注文してみた。すると、こちらの方がバランスよく、自分の好みであることが分かった。
 
 このラーメンを食べ終えた後、また他の客のラーメンを覗き込むと、今度はみそラーメンを食べている人がいて、とても美味しそうに見えた。次回はそちらを注文してみると、味噌ラーメンもまた、自分の好みであることが分かった。
 
 この一連の体験から、これまで外食といえばラーメン一択だったのは、新たな味の発見を逃していたのではないかと思うに至った。そのことに気づくとその後は、これまで食べたことがないものを好んで注文するようになった。 
 
 この幼少期の舌に刻まれた「未知なる味を求める」嗜好性は、大人になってからも人生の意思決定に影響したようだ。
 
 2年間の禁欲生活の果てに、ようやく入学した大学生活では遊びまくり、その後はバブル期に滑り込みで味の素に入社。しかし既定のレールを敷かれたサラリーマン人生に疑問を感じ、30歳を前に退職。

 その後は未知なる味を求めて、様々な職業に就いた。興味の赴くままに、英語の教材を売ったり、傘屋を開業したり、中古車の輸出業を手掛けたこともあった。どれも長くは続かずに、挫折と失敗の連続。振り返れば、このようなアドベンチャーな人生へと向かわせたのは、幼少の頃にラーメンから学んだ「未知なる味への挑戦」が影響しているのかもしれない。
 
 そのような人生経験を経て、今ではコンサルタントという職業に落ち着くことになった。これを前向きに解釈すれば、人生の様々な失敗経験が糧となって「人と組織を正しい方向へと導きたい」という欲求が、現在の職業に向かわせたともいえる。このような我が人生のパターンを「拡散と収束の人生」と解釈している。
 
 そして齢60を前にして、今また拡散志向が疼(うづ)いてきた。これは良い事なのか、不吉な未来の予兆なのか。いや、ここで74歳まで生きたと言われる孔子の境地から学んでみよう。
 
「子曰わく、吾十有五にして学に志し、三十にして立ち、四十にして惑わず、五十にして天命を知り、六十にして耳順(したが)い、七十にして心の欲する所に従へども矩(のり)を踰(こ)えず。
 
 孔子は70歳になってようやく「心のおもむくままに行動しても道徳の規範から外れることはない」と悟っている。つまり、かの孔子でさえ70歳までは道を踏み外したということだ。
 
 しからば凡夫の吾は何をか恐れん。失敗を恐れず、60代は拡散志向でいざ進まん。
 
 70歳になったら、60代の経験が学びとして収束することを願い、未知の味へと歩を進めよう。そして晩年は、その経験を改めて筆にしたいと思う。この決意表明をここに記す。
 
 

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