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『発作的に食べたくなるアレ』


 
 私の家にはテレビがないので、かわりにYouTubeをよく見る。お笑い系や、スピリチャル系も好きなのだが、気がつくと「大食い」やASMR(咀嚼音)の動画を見入っていることが多い。

 大食い動画ではカレー、ラーメン、揚げ物など6、7kgもある巨大な山を、一人で平らげる猛者もいる。私も40代までは、ごはんも麺も常に大盛で、体重が90kg近くあった。

 50歳を超えてからは、70kg前半まで体重を落とし、今では一日2食で胃袋が小さくなり、とても大盛など食べれない。

 おかげさまで、健康を取り戻したのだが、このようなYouTubeを好んで見ているということは、未だに目と脳は大盛飯を希求しているのだろう。

 先日、かつての長者番組「笑っていいとも」の司会者のタモリさんが番組後に、よく訪れていたという「満来」というお店に行ってみた。
 
 ここは「つけ麺」が人気の店。他の料理で大盛を注文することはないのだが、スルスルと入るのど越しが好きで、つけ麺に限っては、コンディションが良い時には大盛りに挑戦することもある。そう、私が発作的に食べたくなるのは、この「つけ麺」だ。

 今回は有名店ということもあり、久々に大盛に挑戦するつもりで、意気揚々と訪れた。平日の11時を少し回ったところだったが、店の前には既に行列ができていた。

 お店に入ると、左手にチケットの自動販売機があった。好みのチャーシューつけ麺は1600円。中々の強気な値段設定。更に大盛は400円増し。ここで、勇気を出してチャーシューつけ麺の大盛りをと、追加の400円のボタンを押そうとするが、中々押せない。押せない右手を左手で押し込もうとするが、最後まで押し切れずにあえなく断念。
 
 側に立っていた店員と目が合い、自分の意気地なしを見透かされたような気がした。若干の気恥ずかしさとともに「チャーシューつけ麺の普盛り」のチケットを渡し、カウンターの右側の席に座った。
 
 しばらく、店内を見渡しながら、スマートホンを眺め、つけ麺が出来上がるまでの時間を待った。10分後、「お待ちどうさま、チャーシューつけ麺の普通盛りです」という声で、カウンターを見上げ、運ばれた品を見たとき
 
「えっ!?」
 
 分厚いステーキのようなものが5枚。普通盛りを頼んだつもりが、大盛りを超える麺の量。しかも、もちもち太麺だから、さらなる大盛りのよそおい。
 
「なんだ、こ、この量は!?」
 
 しばらく茫然と眺めながら、恐る恐る手元に引き寄せて、改めて上から眺めると、眼下の巨大な肉と麺の量にふたたび絶句。
 
 とりあえず、チャーシューがつけ汁に覆いかぶさっているので、3枚ほど麺の上に移動。とりあえず2,3本の麺を箸でつかみ、試しにすすったところ、
 
「うまい!」
 
 チャーシューから出る濃いしょうゆ味で煮込まれた出汁が、つけ汁に溶け込み、味に深みを増している。

 大振りのチャーシューの食感はとても柔らかく、口の中でほろほろと溶けて、噛まずに飲み込めるほどだ。
 
 しかしこの興奮もつかの間、50代の胃袋は、麺が半分ほどになったところで抵抗し始めた。今回は大盛りに挑戦できずに、普通盛りに甘んじてしまったという忸怩たる思いから、麺だけは何とかという思いで、懸命に胃袋に流しこんだ。しかし最後はチャーシューを3枚残して断念。

 席を立つ前に、手の付けらなかった肉を、残ったつけ汁の下にそっと押し込み、「僕は全部食べましたよ~」と見せかけて、その場をいそいそと退散した。
  
 結局、普通のつけ麺が1100円で、チャーシューつけ麺が1600円だから、一枚100円のチャーシューを三枚残すという失態。

つけ麺の美味しさとは裏腹に、最後まで食べ切れなかったという情けなさで、この日は少ししょっぱい思い出を残した。
 
その後は、鈍重な身体を引きずりながら新宿駅へと向かった。
 
「身のほどをわきまえよ」と耳元でささやく天の声。
 
改めて、自分の年齢を意識した57歳の春だった。


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