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私のソウルフードはあの「町田の老舗炭焼きホルモン屋」

 初めて焼肉屋に行ったのは、小学校4年生の頃。JR町田駅の商店街に『モランボン』ができて、家族で食べに行った。これが私の焼肉デビューの思い出だ。

 店内は明るくキレイで、鉄板を下からバーナーで焼くタイプの店。なんだかとても高級なお店に来たようで、ちょっと誇らしく、ワクワクしたのを覚えている。その時、親父も初めてだったのか、メニューを一瞥すると「任せる」と母に注文を丸投げ。

 母は一通りメニューを眺めると、カルビやタンなどを手際よく注文した。母はすでに焼肉屋の経験があるのかと、子供心に頼もしさと誇らしさを感じた。

 肉が運ばれてくると、早速鉄板の上にのせた。ジュウジュウと音を立て、旨そうな匂いを放ちながら煙が舞った。目をしばつかせながら、「この肉はもう食べられるの?」とその都度、母に確認しながら、肉とごはんを交互に頬張った。甘辛いタレがご飯とよく合い、さらに大盛ご飯をお代わりした。

 その日は冬で、とても寒かったが、満腹のお腹と焼肉屋の初体験という高揚感も相まって、ポカポカとした気分で家路へと向かった。

 大学生になり、アルコールが解禁になってからは、焼肉屋というよりホルモン屋が好みの対象になった。関西ではホルモンと言えば、牛のホルモンのようだが、関東は豚のホルモンが定番だ。

 初めて一人で入ったホルモン屋が町田駅近くの「いくどん」。独特の酢味噌が特徴で、キャベツとガラスープが食べ飲み放題。当時一皿300円程度の値段も貧乏学生には有難かった。

 オレンジ色の酢味噌に絡めた豚タン、カシラ、シロがお気に入り。一皿をドバっと七輪の網に返して、炭火で一気に焼き上げる。火を強めたいときには、七輪の下の方にある小窓を空けると炭に空気が送り込まれて火力が上がる。

 強火で表面が焦げるくらいに焼いたホルモンに、塩辛い酢味噌をたっぷりつけて口の中に放り込む。最後まで噛み切れないホルモンを、ビールで一気に流し込む。それぞれのテーブルから立ち込める煙でぼやけた店内を眺めながら、昭和のディープな大人の世界感に浸った。

 ホルモンとビールと安い焼酎で満たされた学生が、ふらつきながら店を出た先には、「ニュートーキョー」というキャバレーの看板。高校生の時に部活のOBに連れられて、初めて入店したキャバレーがこのお店。ミラーボールが眩しく、ホステスさんの肌の露出に目のやり場を失いながら、溶けて行ったあの日。酔っぱらいの学生の脳裏には、当時の甘美な記憶が蘇る。

 その後も「いくどん」好きは留まることを知らず、この一連のループがデジャブのように繰り返された。あれから30数年、今も「いくどん」は営業中だ。

 今でも「いくどん」が食べたくなったときは、ひとり電車に乗り込み、町田へと向かう。変わらぬ塩辛い酢味噌に郷愁を覚えながら、相変わらず噛み切れないホルモンを、ビールで一気に流し込む。その後は安い焼酎へとジョッキを替え、次第にあのノスタルジーの世界へと回顧していく。この青春時代の味と郷愁は、いくつになっても追いかけてくる。

 あの「ニュートーキョー」は閉店してしまったが、「いくどん」には時空を超えたノスタルジーがある。これは昭和、平成、令和の3代にわたる私の人生の物語りだ。

そして、私は人生最後の日に叫びたい。

我が人生、「いくどん」とともにここにありと!


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