見出し画像

「関門海峡のタコ」

 太陽が照り返す8月の真夏日に、私の恩師とも言うべき人に逢うために西へと向かった。

 まだ駆け出しのコンサルタントの頃に、意気込みだけで採用してくれた人だ。それ以来、20年以上のお付き合いになった。おかげで日本を代表する企業に携わる経験をさせてもらい、私の仕事人生の礎が築かれた。私にとっては恩師であるといっても過言ではない。

 その方は定年退職をされた後、九州のご実家に戻られた。ご挨拶にお伺いしたいと常々思っていたが、中々機会をつくれずにいた。

 あるとき、Facebookでその方のお名前が出てきたので、投稿を覗いてみると、お元気そうにハチミツ作りをしている様子が写っていた。懐かしくて、そのままメッセージをさせて頂いた。そのような御縁もあって、長年気になっていた思いを遂げるために、私は北九州の小倉に向かったのである。

 その方が退職後、ご実家に戻られるある夏の日に、浜松町駅の寿司屋で円満退職と新たな門出を祝った。その時は出会いからの思い出を懐かしく語り合った。

 その店に丁度新鮮なタコが入荷したとのことで、刺身にしてもらった。その際、その方が「小倉にとても旨いタコを食べさせる店があるんだ。冬は河豚に変わるのだが、夏のこの時期は何と言ってもタコが旨いんだ」と語っていた。

 あれから数年の時を経て、その日はそのお店で落ち合うことになった。

 小倉駅から歩いて10分ほどでその店はあった。一見どこにでもありそうな小料理屋だ。

 ガラガラっと扉を開けたら先に入られていたその方が、懐かしい顔で迎えてくれた。当時とほとんど変わらずにいらした。

 笑顔で握手を交わしたまま、お互い目で会話をした。しばし言葉にならない時間が続いた。

「相変わらずお元気そうですね。あの頃とお変わりないご様子で何よりです。」「いやいや白髪も大分増えたし、随分歳をとったよ。毎日畑仕事で真っ黒だよ。」そんな会話のスタートだった。温かい笑顔は相変わらずだ。

 それからは、昔話しで盛り上がり、ビールに焼酎に酒を酌み交わした。最初に出てきたのはタコの薄造りだ。テッサのように薄く切られたタコをもみじおろしで頂いた。ぷりぷりとした食感で歯ごたえがあり、まるで河豚を食べているようだ。これが関門海峡のとれたてのタコの味か。まさに期待通りだ。

 その後は、タコのしゃぶしゃぶが用意された。野菜はえのきとしめじと豆腐。薄く切られた新鮮なタコを2~3枚掴んで鍋にくぐらせると、少し身が締まったタコがクルクルと巻かれた。そのまま野菜と一緒にポン酢に付けてパクリ。コリコリとした食感で、サクサクとした野菜との相性は抜群だ。初めて食べたタコのしゃぶしゃぶは、意外なほどうま味があった。お皿に大量に盛られたタコはあっという間に胃袋へと消えて行った。

 その方は私の食べっぷりをニコニコしながら見ていらした。その後かけられた「うまいでしょ?」の言葉に「やばいですね」と笑顔で返答。しばらくタコを堪能した。

 旨い料理と旨い酒、懐かしい会話で綴られる小倉の夜は、瞬く間に関門海峡に飲み込まれていった。

 最後の〆はタコ飯。粘り気のある飯とコリコリとした細切れのタコが酔った胃袋に心地よかった

 久々に再会した時間はあっという間だっだ。その方は私を戦友だと言ってくれた。無我夢中だったあの時の仕事が、時を経て認められたようでうれしかった。

 また会う約束をして小倉の駅で別れた。

 帰路の新幹線で、缶酎ハイで飲み直しながら、仕事とは尊いものだなと感慨深く振り返っていた。再会すれば、いつでも時を超えてあの頃に戻ることができる。そこには、学生時代とは違う責任感と志の共有があった。そんな仕事ができたことを誇りに思う。

 私にはもう少し仕事の時間が残っている。いつか誰かと今日と同じような時間を過ごせる日が来たら幸せだろうな。この余韻をしばし味わい、私は東へと帰って行った。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?