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日々のつぶやき

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#雑談

中年になってから初めてわかる、「〜世代」は思考が硬直したオヤジの戯言ラベリングであったということ。「僕は(私は)〜世代だから」なんて言い訳している若人諸君。それ、オヤジの掌で踊らされてるだって早く気づけ。

作品の評価に他の作品や制作者を引き合いを出す手合いの評はだいたい攻撃的であり、一顧だにする価値すらないことは、礼儀を弁える大人ならば常識と言っても過言ではない。褒め称えたいのか貶したいのか欲張って何でもかんでも詰め込むと却って伝えたいことがボヤけてしまうことを以て他山の石としたい

気がつくと、年間ベストの選出期間まっ盛りとなってしまったが、本も映画もアニメも選出できるほどの数をこなしていないので、リストの公表は差し控えたく。2021年末から2022年初頭にかけて、個人的に動けない期間もあったりするもので……。

「興味深い投稿です」「勉強になりました」とコメントされるのが一番困る。無視されるよりはマシとはいえ、肯定とも否定ともとれる有り体にいえば情報不足なコメントはただ単にストレスになってしまうだけだ。そして人のふり見て……という慣用句はこういう時に使うのだなと今更ながら気づくのである。

eスポーツをスポーツと認められないなら、自分自身の身体ではないアバターを自在に操る技能とアスリートなどのフィジカルな能力にどれほどの差があるのか。この点を説明できれば(できなければ)話はだいぶ簡単になるのではと思ってみたりもするのだが……(結論はまだ出ていない)

「人生の意味」について考えるのは一日3分以内としておきましょう。それ以上は時間の無駄であるばかりか、あなたの精神を確実に蝕みます。〜「政府広報(大嘘)」〜

銃が殺すのではない。「弾」が人を殺すのだ。よってどんなに規制を強化しても、銃犯罪がなくならないという主張もある意味、間違ってはいないと言えるだろう。彼の国では、銃弾に税金をかけるとか供給量を制限するといった方策を考えたりするのだろうか?

「映画の倍速再生」で稼いだ時間を別の動画再生に注ぎ込む現代人が「音楽」でも同じことをしているかどうは寡聞にして知らないが、理屈としては十分あり得るはず。倍速再生の是非を論じるならこの点を明確にした上で行なうべきであると思うが如何なものか。

「倍速で映画を見る」くらいなら、何も見ないで映画を語るくらいの努力はしてほしい。「時間の芸術」である映像作品で「速度を変えて見る」行為がどれほど野蛮で的外れなことなのか、なぜ最後まで見なければならないのか。学校で教えてくれないことは自分で考えるしかないということだ。考えて、悩め。

近ごろ「ノストラダムスの大予言」が関係するテレビドラマや映画を目にするので何事かと思っていたが、どうやら今年(2022年)「第三次世界大戦が起きる」と読み取れるような予言をしているらしい。解釈でどうとでも取れるような「予言」ごときに右往左往する日本人は何ともつくづくおめでたい。

関西人が使う関西以外の人を苛立たせるパワーワード「(語尾に)知らんけど」は本来は「個人の感想」につけるものであって、決して適当なことを言って相手を謀ろうという意志があっての行為ではありません。知らんけど。

「人間は考える葦である」と説いたのはフランスの偉い哲学者であったが「葦」を「足」に変えてもそれほど違和感がないことに気がついた。足がものを考えたって良いじゃないか。

「型やぶり」は「型」を知っている者にしか成しえない。頭の片隅に留めておくべき金言である。メインカルチャーに反目することでしか命脈を保てない「サブカルチャー」が人知れず消えていくのもなるほど道理であるという戯言。