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あいつはダメだ なんてキミ勝手に決めないで 余計なお世話だよ

あいつはダメだ なんてキミ勝手に
決めないで 余計なお世話だよ

B'z の名曲 "あいかわらずなボクら" の一節だ。

91年の傑作 "In The Life" の大円団 "Alone" を導くアコースティックな小曲。目白押す名曲たちの陰に隠れがちだけど、気がついたら鼻歌を歌っている…そんな長く付き合える自然体の良曲だ。そして僕はこの曲、この歌詞に人生を変えられた…ような気がする。

まあもともと、"あいつはダメだ" なんて勝手に決めつける人たちは、日本にも外国にも、ネットにも現実にもたくさん存在する。

そもそも、ボクらに "あいつはダメだ" なんて勝手に決めつける権利なんて1ミリもないんだよねぇ。B'z が言うように "いつでも正しい人" なんてきっといないはずだし、例えいたとしても、そんな "絶対的な正義マン" でさえ、"あいつ" をダメだなんて勝手に決めつける権利なんて "ZERO" なんだよね。

ただ、このところ、"あいつ" という主語をめちゃくちゃ大きくして、ラベリング、つまり "レッテルを貼る" 人たちがインターネットや SNS でやたらと目につくようになってきた…ような気がする。

最近では、「田舎はどこもこうなんですか?」 がその最たるものだろう。

僕はあのカフェの内情も知らないし、実際に足を運んだことも見たこともない。土佐市にだって何度か行ったことがあるだけだ。ただ、田舎というか四国に住む者として、無能強欲オジイが理不尽に幅を効かせる状況は何度も経験している。"さっさとクタばれよ…" と思ったことも一度や二度ではない。だから体感として、おそらく、カフェの店長さんたちは相当悔しい思いをしてきたんだろうなぁ…というのは想像に難くない。

だけどね、"田舎" というのはいささか主語として大きすぎないだろうか?なぜなら、当然のことだけど、田舎に住む人全員が強欲オジイなわけではないからだ。もちろん、田舎がどこもこうなわけでもないだろう。

たしかに、多くの田舎のオジイやオバアは、用水路の清掃の日にちと人の車のナンバーだけは完璧に記憶していて、「あんた、昨日、ファッション・ヘルス "うどん脳" にいたでしょ?」 などと個人情報もへったくれもない豪速球をよく打ち込んでくる。「あいつは尾張小牧ナンバーだ、遠いけん怪しい」 と極悪な陰謀論を至極当然のように披露することもある。だけど、全員がそうというわけではないだろう。当然、田舎にも若者はいるし、"よそ者" に理解のある人も少なくない。

例えば、3割のオジオバを指して、"田舎" にはそんな傾向があると一括りにしてしまうのは、危険極まりないと僕は思うんだ。

サイトを運営し、SNS を嗜むものとして、センセーショナルな見出しをつけたくなるのはとてもわかる。特に、大事なお店のピンチとなればなおさらだよね。で、たしかに注目は集まった。だけどね、この見出しは、残り7割の "ただ田舎で暮らす人" の心に、少しの反感を抱かせてしまったかもしれない。無垢の人を傷つけてしまったかもしれない。もっといえば、3割のオジオバ・ストーカーズだって、仲良くなれば人情深くて、助けになってくれることもあるんだよねえ。

まあ、主語が大きくなっているのは "田舎" だけではないよね。外国人、日本人、トランスジェンダー、オタク、男性、女性、貧困家庭などなどなど…冷静に考えて、全員が全員同じなわけがない。だけど、主語を大きくすることで、少数派や、自分とは異なる人たちに "レッテル" を貼って、叩きやすくしているんだよねぇ。

そして、残念なことに "ヘイト" の温床となっている SNS では、そうやって勇ましく "ヘイトの旗" を振りかざす人たちが注目を集めて人気となってしまう。人間は結構、"偉そうな" "強そうな" 人に簡単に惹かれてしまうものなんだよね。そうして、"あいつはダメだ" なんて勝手に決めてしまう。そうやって、誰かを貶め自分と区別することで、なんとなく偉くなったような気になるのかもしれないね。

だから、例え悪意がなかったとしても、僕は主語を大きくする行為には反射的に身構えてしまう。

だから、僕はヘヴィ・メタルが大好きだけど、"メタラーは〇〇" みたいな言動には自動的にお漏らししてしまう。怖いからだ。ちょっとしたお遊びで、お笑いなんだろうけど (大抵はぜんぜん面白くないけれど)、いつかヘンテコな差別につながるんじゃなかろうかと考えてしまう。大きくするのは、オチンサンだけで十分なんだよねえ。

僕はメタル・ピープルって言葉が好きだね。なんとなくね。余計なお世話だけどね。


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