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「大河ドラマだって言うから観てたのに!」気づいたら「恋愛ドラマ」を観させられていた!ちくしょーな話

私の恋愛遍歴はイタイ。だいぶ年の離れたお相手・サークル内二股・社内恋愛二股後捨てられ・既婚者からのアプローチ無数(いくつかは対応)・唯一できたまともな彼氏はすぐ事故死。その後立ち直って、恋をして告白したらゲイだったりと。
とまあ、詳細は省くが、まともな恋愛が人生一度もないから、私は民放の恋愛ドラマを観ないんだと、自分で思っていた。
 美男美女が繰り広げるご都合主義の「素敵な恋愛」なんて、見ても現実味もないし、私には無縁だから観ない!と思ってると思ってた。

大河ドラマ「光る君へ」の中で、「佐々木・宣孝・蔵之介」が
「自分が思っている自分だけが、自分ではないぞ」なんて深い口説き文句を放ってましたが、まさに、それですわ。

私が恋愛ドラマを見ないのは、見てしまうと自分が実は「スーパー恋愛体質」なのが露呈するからだったのです。母親の言う通り、男に頼らず生きてきたはずが、実は物凄く頼りたい、好きな人ができたら四六時中その事を考えてしまう。ブルゾンちえみに「仕事仕事!」と叱られるほど、(ふっるぅ)日中もボーっとしてしまうような人間なのです。
それが自分の中で顕在化するのが怖かったからなんです。

 だから「ドラマ」とつくものは、「大河ドラマ」か時代劇しか観てこなかったのです。映画もしかり。笑えるものか、社会派の堅い作品か。作品中に色恋要素はでてくるものの、所詮、史実を追っかける中での添えものだし、なんならそれ自体も史実の一部なので、感情移入する必要がないから観ていられた。

 それがですよ。 今回、大河ドラマだっていうから観はじめた訳ですよ「光る君へ」。
しかも自分が好きな平安時代。もちろん他の時代よりも、やや色恋の話題が多めな時代とは認識していましたよ、そりゃ。 でもねえ。
大河ドラマのつもりで観てたら、知らぬ間に恋愛ドラマになってるじゃないですか!
仕事女子として、清少納言いいこと言うなあ、とか、古典女子として、枕草子誕生のストーリーをああして描くんだぁ、とうっとりしていたら、足元をすくわれましたよ!
 私、知らなかったのですよ、脚本家の大石静とやらいうお方が、民放恋愛ドラマのプロとは・・。

 「忘れえぬ人がいてもそれもお前の一部だ。お前を丸ごと引き受ける。」
                          (意訳してます)

 日曜夜、日本各地で「キャー!」という声のあがった、あのセリフですよ。
きっと計測したら、ラピュタ放送時の「バルス」並みに音を拾ったはずですよ、ええ。

「言われた~い」「無敵のプロポーズ!」「蔵之介だからいやらしくならないよねえ」など一斉にsns界隈を揺らしておりましたなあ。

 私も一人部屋で「キャー!」と言った派ですが、私はその”素敵プロポーズ”な点が刺さったわけではなくて、自分の恋愛志向の皮をひん剥かれて、悶絶してたんです。
 ええ、塩を塗りこまれた因幡の白兎並みにヒリヒリしてました。

「お前をまるごと引き受ける」
このセリフから自分の黒いものが芋づる式にずるずると引っ張り出されることになりました。普段は全部押し隠していたのに。

(注:可愛そうでしょ私、という事ではなく書いてます。ご理解ください)私は極度に自己肯定感の低い人生を送っています。内面も容姿もです。軽度の醜形恐怖症で、写真も鏡も大嫌いです。容姿や体型を指摘されると、何度も頭の中で繰り返して自分を攻撃したりしてしまいます。

それは生まれ持った性質と幼少期の経験などから致し方なく。自分で何とかしようと臨床心理を修めるも、全く改善はせず。(あれは、他人様を癒す学問であって、自分が治らないのはあたりまえなのだが)。そういう自分ではどうしようもない暗い部分が相手にバレたら嫌われると思うあまり、相手が自分を受け入れてくれる確証が得られるまで、踏み出せない。同じ理由で、相手に求めるものが多くなる。なので機会損失が莫大。 
また、私みたいな者を「まるごと受け入れてくれる」人なんていない、と思うあまり、最終的に成就しない(「自分のものにならなくても、それが私の落ち度にならない」と思える)不○関係のが楽で流されてしまう。(関係が終わった時に、「元々自分のものにならない人だったし」と諦められるから。)暗い恋愛行脚をしてきた理由が、あの台詞ワンパンで顕在化してしまったのです。

「お前をまるごと引き受ける」
そんな夢のような人、この世にはいないのに、居てほしいと思うあまり、そうでない人に勝手に役割を投影して、そして裏切られたと傷つくという、愚かな独り相撲を何場所繰り広げてきたか・・・。 幕内優勝ですよ、ええ。

そしてまた、その後に続く紫式部の
「誰かの妻になることを、大真面目に考えない方がよいのではと、このごろ思うのです」
これもね。
自己肯定感の低さから、自分は子供をちゃんと育てられないという思いが強くて、結婚・出産というものを自分がたどる道としては考えられなかった。誰かを幸せにする自信もなかった。長く好かれる自信も、誰かとうまく家庭を維持していく自信も。でも、もっと気楽に考えてもよかったのかも?そういう立場になった時に自分の考えが「変わる」可能性にかけてもよかったのかも?とこのセリフを聞いて思ってしまったのです。(時すでに遅し)

一つ二つのセリフだけでもこれです。
そんなセリフが40分の間に大量に装填されてるんですよ。
私はここのところ、毎週日曜夜6:40(待ちきれずBSで視聴)を、大量のセリフの矢を受け、ガリバーのように床に打ち付けられて迎えているのです。
歴史ドラマだというから見始めたら、大いに騙されたわけです。
TV局勤務でドラマ制作にも携わって、自身でもシナリオや小説を学んでいる勤勉な友人が言ってました。
「(小説やシナリオは)自分で経験したことしか書けないよ」
だとしたら、この脚本家はどんな経験してるんです?人生何周してんですか?大石静というその人は。

再度誓います。私は民放の恋愛ドラマは観ない!こんな脚本家が、歴史要素なしにぶっぱなすオール恋バナなドラマなんて、見たら今度こそ死ぬ

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