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ひきこもり日記*今さらだけどnoteを続けてる理由

そもそもnoteを書き始めたのは、なにかをじぶんに課して安心させたかったんだと思った。引きこもることに理由をつけたかった。そう思ったのは、じぶんの中の小さな声がだんだん大きくなってきたから。

ささやくような声で、誰も聞こえないような小声で独り言のように言っていると、誰かが気がついてくれて、「あれ?あの人も同じこと言ってる」と思ったら、ねえねえ、わたしもこう思うよと、声が少し大きくなった。

そうしているうちに評価がもっと欲しくなっていった。
HSPだから?人に合わせるのは得意だから、万人受けする当たり障りのないことを書いた。当然、なにも響かない。うわっつらに聞こえる。

もちろん評価とは関係のない、じぶんの声をぶつけたこともある。
そんな時は考えすぎて不安になり、それが伝わってしまう。

どうしてこんなに不安になるんだろう。
たくさんの人の前でスピーチをするのと同じぐらいの怖さ。
でもそれはわたしが望んだことじゃなかったのか?

noteで有料記事を書いてお金にしたかった?
いやでもそれ売れなかったらこわい。
noteそのものをきらいになりそう。
じぶんが買いたい記事が書きたい。

だいたいじぶんが有料記事買ってないのに、なにがわかるんだよ!
(…実際1つだけ買ってみた。それには感謝してる)

臆病になる。
不安が不安をよんで、なにを書いたらいいのかわからなくなる。

悩んでいる人のささえにも、寄り添うこともできなかった気がして、じぶんを責める。つらい人の気もちがわかるからこそ、書けることがあると思っていたのに、誰かに合わせて臆病になって、誰もが知ってることを書いたってじぶんが気もちが悪いだろ!

誰かの真似をして、セオリーに従って書く?

※「セオリー」は「理論や仮説、定石」といった、「確立された方法」を指す言葉です。元々は「理論、定石」という意味のみ使われていましたが、現在では「ある物事における最善の方法・手段」という意味でも使われるようになりました。

だからそのセオリーを窮屈に感じてるんだよ。
わたしだけにしか書けないことがあるって言ってたじゃん!

オリジナルは売れないよ。
アマチュアバンドがオリジナル曲ばかりのライブをやっても、よっぽどのことがないとおもしろくないでしょ。

じゃあなにがオリジナルだよ。この世界にオリジナルなんてないよ。みんな古いものを使いまわして新しいものを生んでるんだから古いものを発掘しろよ。古いものはじぶんの中にたくさん眠ってるじゃないか。

次から次に出てくるじぶんの中のネガティブな声が大きくなって、それをカタチにしてみた。紙に書いた。

そして弱さと向き合うイメージワーク(うさんくさいけどこれやるとスッキリするから書く)

人には自分を責めるなと言ってるくせに、じぶんはどうしてそんなに自分を責めるんだ?いいじゃないか。だれにも好きになってもらえなくてもいいと思って引きこもってるんだろ?誰にでもいい顔したくなかったんだろ?
だったら素直にそれを認めて、書きたいこと書けばいいよ。万人に好かれる人なんかいないんだよ。いつもだれの役に立たなくてもいいって言ってるじゃないか。だれかの評価で一時的に安心を手に入れたって何も変わらないのわかってるだろ。ミエなのか?
何もしないうちからビビってんじゃないよ。
いくつも選択肢を広げてじぶんの生きていく方向をつくるための場だと言ってなかった?なんでnoteにばかりエネルギーを使ってるんだよ。燃費が悪いじゃねえか。もっと遊べよ。引きこもりの武器は時間じゃないのかよ?
(↑わたしのこころの声はオトコマエなやつ)

「書く」ことって、なにか出来事があって、それにどう考えたか、どう感じたかをじぶんの声で書くことだと思っている。それをnoteの世界でしかわからない言語を使うのが、いいとか悪いとかじゃなくて、もう一度じぶんが続けているわけを見直そうと思った。

こころの声を出してしまった。
永遠に下書きにしようかとも思ったけど、小さい声で出してみるw

わたしのnoteはみなさんの声を聞きに行くのも楽しいし、じぶんがしゃべってるのも案外おもしろいから、うしろから斜めから見つつ、遊んでみようというじぶん観察日記です。

ご清聴ありがとうございました。
↓日本語がわからなくて調べてみた。
※「ご静聴」は「静かに聞くこと」の意味で、会場がざわついているときに「ご静聴願います」などと用います。「自分の話を聞いてくださり、ありがとうございます」という状況にふさわしいのは、「ご清聴」です。



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