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ひきこもり日記*人間は死んだらどうなるか

来週末に不用品を回収してくれる業者が来て、我が家のゴミを引き取ってくれる予定。よくこんなゴミを大事に収納してたんだなと思うものが出てくる。そんな荷物の中に図書館からもらってきた除籍本が何冊かあって、つい手にとって読んでしまう。大掃除あるあるだ。

岡部金治郎著。初版が昭和46年8月15日。

本書には「人間が死んだらどうなるか」という問題に対する一つの解答が、できるだけ平易に述べてあるが、この解答は架空的仮定を基としたものではなく、多少なりとも根拠のある仮定を基としたものである。
したがって、架空的または準架空的仮定などから出発した宗教的や哲学的などの解答に較べたならば、少しは納得しやすいもののように思われるがどうであろうか。
もし著者の解答が当たらずといえども遠からずとすれば、死そのものには暗い面ばかりがあるものではなく、明るい面もあることになり、人間の本能ともいうべき死に対する恐怖心はある程度軽減されよう。

『人間は死んだらどうなるか』岡部金治郎著 序

はじめからこんな風に根拠を示したと主張されているが、結局は魂のはなし、奇跡と神秘、霊魂、宇宙、進化、死に関連した特異現象などなど、今も語られていることと同じようなことが述べられている。
ようは人間の死はやっぱりよくわからないんだろうなと思う。

先日、癌で亡くなった叔母。最後はろうそくの火がふっと消えるように静かに誰にもわからないように亡くなった。
わたしはずいぶん可愛がってもらった。
こんな弔電を送った。

訃報に接し、悲しみでいっぱいです。
いつもうれしそうな笑顔で迎えてくれたおばちゃん。
私をどんなに大切に思ってくれていたか、いつも胸の中にあります。
おばちゃんのように優しく、力強く生きていきます。
天国から見守っていてください。

喪主である小学校の校長をしている従兄妹いとこが、「それまで感情を抑えていたのに、この弔電が読まれたら一気に崩れた」とLINEをくれた。
親戚に人気だった叔母の葬儀に、関東にいる私の弟や従兄妹たちも大勢参列した。
ずるいなと、お別れをしたかったと従兄妹いとこ会6人のグループLINEに投げるわたしの言葉。

料理上手だった叔母のル・クルーゼを1個くださいと息子である従兄妹いとこに言うと、大企業の重役をしているいとこでさえ「欲しい」「ポトフつくる」と返す。
「おばちゃん何個もル・クルーゼ持ってたよ」
「遺品バーゲンセール!早いもん勝ち!」
「あ、それじゃ業務用のオーブン欲しい!」
などと泣きながら盛り上がる。
おばちゃんみたいな味は出せないけど、がんばって近づくよとひとりごとのようにつぶやく。

従兄妹いとこたちに生きてるうちに会えるかな。ウチの親が死んだら会えるかなと思いながら、人は死んだらどうなるのだろうと思う。
先の本の続編『人間は死んだらこうなるだろう』の中にはこうあった。

人間の死に対する著者の推理科学的解答が、もし正当だとすれば、人間は死んでも、肉体は減亡してしまうが、しかし魂の核は減亡するものではなく、生き通しのものであって、人間として復活の可能性があることになる。すなわち、いわゆる「生まれ変わり」の可能性があることになる。
したがって、死そのものには、暗い面ばかりがあるのではなく、明るい面もあることになろう。

『人間は死んだらこうなるだろう』岡部金治郎著 1979年2月28日初版

人の死は暗い面ばかりじゃない。
生きている人のこころの中で生きているし、生きてる人間だって死んだように生きてる人もいる。
どう死んだかじゃなく、どう生きたかを、笑って言えるようなそんな残りの時間を過ごしたいなと、断捨離しながら思った。

あ、さっき高いところのモノを取ろうとして、50cmぐらいの高さの椅子の上から後ろ向きに落ちた。死ぬかと思った。こわかった。
突然、死が襲ってくることもあると思いながら、今日もおいしいお酒のためにポトフを仕込んだ。



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