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祖父母の想い出の地で~令和に残る昭和の息吹き~

あなたは住んでいる街のどこが好きですか?
ほっと落ち着く場所はありますか?
歩いていける、自然豊かなで心休める場所はありますか?
落ち込んだ時、応援してくれる人はいますか?

私が引っ越して一番感じるのは、
「街の人の温かさ」
一人暮らしをして、ワインを抱きしめて朝まで泣き続けるくらい
辛かったり、苦しかったり、人生を噛みしめたり、
そんな夜が何度もありました。
そのたび助けてくれたのは、街の人の変わらない笑顔でした。
(前編はこちら

引っ越しは愛車で

自分の車で荷物を運び、最初は湯沸かし器と炊飯器、お布団だけ。
まだ何もないけど<私だけの場所>を借りて部屋に一人になったときの
あの高揚感。

学生時代の一人暮らしは、親のお金だし、大学院受験準備のための超短期の一人暮らし。

今回は違う。自分で本当に暮らしていけるか。
その不安もあるけれども、すべて自分で決められる喜びに溢れていました。

こだわりぬいて、ポイントやキャンペーンを屈指して少しずつ家電を買い足し、
少しずつ自分の色へ変わっていくお部屋。実家の時みたいに何も考えずにお金は使えないけど、引っ越すときに家計簿の見直しをしたので、
固定費は高いけどなんとか頑張って暮らせるくらい、お金の管理が苦手から得意へと変わりました。

市場で買える新鮮な食材を最大限楽しむために購入した
ファミリーサイズの冷蔵庫。冷凍庫3段。
市販品はほぼゼロ。手作りの作り置きでいつもパンパン!

自転車でどこにでも行ける

山手線目黒駅から2駅の武蔵小山は電車に乗ってもどこでも行けるけど、
自転車に乗ってもどこにでも行ける。

しかもたまたま私が引っ越してきたタイミングで、武蔵小山から引っ越す知人がいて、その方に大きな自転車を譲って頂いたので、
その大きな自転車で新宿でも代々木でも、渋谷でも青山でも、二子玉でも自由が丘にも、六本木にも銀座にも中野にも行きました(行き過ぎ (笑))

ずっと千葉から通っていた東京。住んでみて感じる街は全然違う。
何度も来てる場所、車で通る道、全然違って見える。
同じ場所でも視点が違えば、違う側面。

最期に見たいと遺した桜を

祖母が亡くなる少し前に「目黒川の桜が見たい」と言い始めた。
高齢で近所に行くのも疲れてしまう、そして20歳の頃に視力が亡くなったしまった祖母。
目黒へお嫁に来た19歳のとき、人混みに紛れながらちらっとみた目黒川の桜。転勤以降は見ていなくて、なんだか見たくなったわ。といっていた。

その翌日に私は鹿児島公演へ早朝から出かけ、鹿児島で祖母の危篤を知ることに。私が羽田空港に着いた頃に息を引き取り、会えないまま。

「目黒川の桜が見たい」

それが最後の祖母との会話でした。

引っ越して2か月の3月末、母といとこを誘って、目黒へ招待。
祖母の写真を持って、目黒川の桜を見に行きました。
東京の街でのお花見に興奮のいとこ。祖母との思い出を思い出す母。
祖父母が住んでいた学大を通って、武蔵小山のおうちへ。
市場のお寿司屋さんでテイクアウトして、大家さんにご挨拶。
母が初めて私の部屋へ。

何をしたわけでもないけど、娘として孫として、
何かが出来た気がした日。
二人が帰ったあと、一人でゆっくりワインを飲んだのでした。


祖父母の想い出の場所へ 

生き別れた亡き父方の島へ行った時もそうでしたが(いつか書きます)
母方の祖父母のお家も探しに出かけました。
私が持ってる鷹番の住所は、昔の区画。
目黒区の歴史史料館へ行ってみることに。

学芸員さんに丁寧に対応して頂き、色々と調べてくださり、昔の住所から現在の住所がわかりました。
そこは、引っ越して以来好きでよく行っていた学芸大学のお店のすぐ裏でした。

ちゃんと導かれるんだなと思いながら、
不思議な想いになりました。
真剣に探してくださりありがとうございました😊

東京に大雪が降った日の目黒駅。路面電車があったらしい。
すっごいロマンティック(⋈◍>◡<◍)。✧♡


小さなカフェの小さなライブ

古い商店街に小さなカフェがオープンした。
20代の若いお兄さんが店主。SNSをフル活用。
元ITの今どきゆるっとお兄さんの可愛い落ち着くカフェ。
居心地の良い空間過ぎて、よく行くようになった私。
そしてライブを開催させて頂くことに。

実はこのライブの数週間前。大きなトラブルにあって、心がボロボロだった。どうしていいかわからないくらい、大きなことだった。
何を選んでも誰かが傷ついて、選ばなければ前には進めない。
傷つけたくもないし、迷惑もかけたくない。
もう楽器を辞めて千葉に帰ろうそう思っていた。ある日武蔵小山に帰ると、
びっくりするポップが貼って合った。

そして商店街中に貼ってあった。
大家さんが私のフライヤーを商店街中に配り歩いていて、
しかもコピーしたうえに、
パン屋さんが可愛いポップも作ってくれたのです。

こんな人の温かさに出逢えるなんて。

私は音楽を、
辞めてはいけない。
逃げてはいけない。
演奏し続けなきゃいけない。

ただそう思った夜。

商店街のアイドル、ピー子ちゃんと。

「ねぇ。カーヌーンってどんな音色なの?楽しみだわ。」
キラキラした目を輝かせながら、聴いて下さるパン屋のおばあちゃん。
ライブに顔出して、カーヌーンに魅了され、習ってくださることに♡

カフェでの体験会の様子

令和に生きる、古き良き昭和の日本人

お魚屋さん、お肉屋さんにパン屋さん、お米屋さんにお総菜屋さん、
酒屋さんに駄菓子屋さんに、乾物屋さん、レトロな銭湯。
どれもこだわりがあって美味しくて、しかもリーズナブル。
店長さんはみんな個性的。

果物やさんに行けば
「姉ちゃん、イチゴもう1パック持ってくか?」
とまけてくれたり、


家に帰れば部屋の明かりがついたことに気づいたパン屋さんに
「あなたサンドイッチいらない?のこっちゃったのよ」と電話がかかってきたり。

昔の日本人はお醤油が足りなかったらお隣から借りてきたという話は聞いたことがありますが、まさにそんな感じ。

30個300円のブランドトマト💛

大好きな作り置きは作り放題



新鮮で安くて、そしておしゃべりが大好きな商店街の方々と、
ふわふわ買い物する毎日が楽しくて。
実家から結構歩くスーパーのセルフレジで、ピッピと買い物する生活が当たり前だと慣れていた私はからすると、
物を買う以上の人の温かさに溢れていて、
一人暮らしで「寂しい」と思うことなく、日々楽しく幸せに生きていました。

あの日が来るまでは。

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