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グランドピアノフェアに行って思い出した伯父のことば

用のない休日、都心までグランドピアノフェアに出かけました。ピアノが趣味の娘は学校があったので一人で行ったら困ったことになりました。試弾するにも暗譜している曲が一つもないのです。一つも…

あんなに毎日弾いているのに全部楽譜に頼りっぱなしだとは思っていませんでした。「月の光」も「ワルツ」も「月光」も「悲愴」も見事にどこかに行ってしまいました。

周りでは大人も子どももみなが思い思いにピアノに触っていて、どれもうまく聴こえてきました。子どもたちが独立していき場所ができたからと言ってグランドピアノが欲しくなった自分が浅はかだなあとため息とともに帰途につきました。

そしてyoutubeで素敵な先生の動画を観ながらツェルニーを最初からおさらいしました。ツェルニーはベートーヴェンのお弟子さんでその練習曲は退屈な人には退屈なようですが私は好きできっとこれが上手になると曲もきれいに弾けると信じています。私のピアノの先生も大人になってからツェルニーのすばらしさに気づいたとおっしゃっていますから。でもなかなかおさらいする時間がないのでした。

ふと、大学を出たての入社式の日を思い出しました。当時はバブルの終わりころでまだ今ほど就職も厳しくなく、伯父の紹介でとある会社に入ったのです。私の父は勤め人ではなかったので、会社で部長と課長のどちらが上のポジションかも知らなかったごきげんママ♡なのでした。

入社式の帰り、伯父にお礼を言いに行くと

「自分は人より能力が劣ると知ってたから会社に入ってから人の3倍努力をしてきたんだよ。」

という話をしてくれました。22歳のわたしにはフーンと思った程度でさほど響きませんでした。それどころかお説教じみて聞こえたほどでした。あぁ若さとはなんと傲慢なことでしょう。

が、それが頭の片隅にずっとあったのでしょうね。33年の月日を経て、今は亡き伯父の言葉がすっと腑に落ちました。いつしか醸成されていたようです。

ピアノを習って一年半、ようやくきれいな音がどんな音かということがわかってきて、自分の音をしっかり聴くことができるようになってきたところです。挑戦しているドビュッシーの「月の光」はまだまだ背伸びだったと実感。趣味の時間をようやく持てるようになったことに感謝しながら焦らずにもっと練習しようと思いました。

そして私のところに来てくれた3人の子どもたちを見て、きっと人の3倍勉強するために神様が使わされただろうと思うのでした。一人目の子育ては譜読みのようにたどたどしく二人目は少し要領がつかめて三人目でようやく暗譜して弾けるようになるピアノのよう。何事も精進あるのみです。

柄にもなくマジメなことを書いてしまいましたが、のろのろと亀のようにまた平凡且つ平穏な日を過ごそうと思います。皆さまも良い一日を!

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