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尾崎豊『卒業』は永遠に。

弥生三月卒業の季節が巡ってくると、いや三月でなくても時折無性に聴きたくなるのがこの歌です。どれほど多くの人がこの歌に魅せられてきたことか。50代の方はもちろん、上の世代も下の世代も心震えるかた、大勢いらっしゃることと思います。このドラムのビート、ロックに疎い私にもビンビン響いてきます。

自分が泣き上戸とは思わないのですが、卒業式だけは別です。思い返せば大学の卒業式は大泣きが止まりませんでした。テニス部でボール拾いから免れたと思った二年生になった時に一年生部員全員五月に辞めて二年目もまたボール拾いをすることになったことや、宗教の単位を落としそうになって卒業できない夢にうなされたことなど思い出すともういけません。

それから子供の卒園式三回、卒業式は何回かな?小中高大4×3で12回ですね。幼稚園の謝辞を言う役目は涙で言えなくなり、途中から他のお母さんが代わって読んで下さいました。先生や友人たちへの感謝や子供の成長や今でいうところのワンオペ育児で頑張ってきた自分への慰労など陳腐な言葉ではありますが走馬灯のように頭を巡って泣けて仕方ありません。順調に行けば末の娘の大学の卒業式は3年後。あとはそれを残すのみとなりました。

この歌はちょうど大学時代に流行りました。ちょっと年下の高校の卒業をうたっていますが、歌詞も曲も今なお耳から離れない名曲です。私の高校時代は垢ぬけない割に箱にも入りきらない田舎娘で、通っていたのは私服の一見上品そうな女子高でしたから尾崎豊さんの世界はたぶん対極にありました。

自由な校風で、髪型もパーマ可、ジーンズで登校してもオッケー。無い物ねだりで制服に憧れたりもしました。才気煥発な同級生たちはキラキラして見えました。どの学校にも一部華やかなグループというものはありますよね、きっと。先生方はお優しいか放任か。優秀なのにあまり指導してこない、まあ恵まれた環境でした。大学受験とも無縁でした。

それでもこの尾崎豊さんの曲は圧倒的な熱量をギリ10代の私に伝えてきたのです。

いったい私は何に支配されていたのでしょう。

いったい私は何から卒業したかったのでしょう。

今振り返ると学生時代、会社時代、子育て時代を経て、年号も昭和から平成令和と移り変わって世相はずいぶん変わりました。こうでなくてはならない、という固定観念も少なくなって伝統よりは革新が求められる自由な世の中になってきたように思います。今の高校生はどんなことを考えているのでしょうか。いつの時代も10代のもがきながら羽化しようとする時期を通過せずに人は大人になれないわけで、その心の叫びがこの歌に投影されたとき私たちは尾崎豊を崇拝するんだろうと分析してみました。

それにしても今聴きなおしても揺さぶられる私の心はどこかにまだ大人になりきれないところを残しているのかもしれない、そんなことも思うのでした。皆さんの中にもそんなところはありますか?

この才能豊かな人は短い人生ですべてを出し切ってこの世を去ったのでしょうね。人生は長さではない。尾崎豊は永遠に聴き継がれることでしょう。

卒業の季節に寄せて。

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