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ホームステイを受け入れた話#2

2013年はごきげんママ♡の末っ子が小学六年生で、ホームステイの受け入れには消極的でした。が、どうしてもあと1家庭の協力が必要ということで、一泊のみの受け入れをさせていただきました。今回は学生ではなくアメリカからの社会科の先生をトヨタなど企業の団体が招待しているプログラムの一環ということでした。二週間日本で会社や工場や学校、また広島や京都を見学して、アメリカに帰って社会科の授業に生かしていただくという、大変すばらしい企画です。ほとんどがホテル泊で、一泊のみ一般家庭にステイするということで重責だけど良い勉強になると思いました。

チェルシーの時と同じ場所に出迎え式に行くととてもフレンドリーな30代の女の先生、ローレンを紹介されました。東海岸からはるばる来日。何にも好奇心旺盛、また表情豊かで1歳半のお嬢さんもいるキラキラした女性です。そのプログラムのメンバーに選ばれるのは大変な倍率で、たくさんのエッセイを書いて教授の推薦も受けたと教えてくれました。

この時の夕食はどんなメニューを出したか忘れてしまいましたが、炭水化物は控えてると率直に言ってくれてアメリカ人の健康志向を感じました。彼女も十分貫禄あるので、気にしている模様。平屋ばかりの広い大陸から来たローレンは、我が家がマンションの5階で眺めがよいと喜んで、ベランダからの景色をスマホに収めたりスカイプで家族に見せたりしていました。

学校見学はどうでしたか、と質問したらSonyやPanasonicの国というイメージで来たからもっとテクノロジーが進んでいると思ったのに教科書と黒板を使った昔ながら授業で驚いたと教育者らしいお答え。←2013年のことです。

一番印象深かったのはヒロシマとのこと。原爆について日本人以上に深く悲しんでいました。そして帰る直前のお別れ式に出向いたら2週間で一度も富士山が見えなかったと残念がることしきりでした。あれはFujifilmが作り出したフェイクじゃないの?ってジョークを飛ばしていました。夏はあまり富士山が見えないから仕方ないにしても行き帰りの新幹線でも拝めなくてアンラッキー。いつかリベンジに来てほしいと見送りました。

たった一晩のご縁でしたが、Facebookでもつながり喜んでいたのですが、なんとそれから一年半ほどしてごきげんパパ♡の仕事でローレンの住む町への転勤の辞令が出たのです。この時ほど驚いたことは一生でも数えるくらい。二度目のアメリカ生活が待っているとは夢にも思わず日本で過ごした10年間でした。

ローレンも驚くやら喜ぶやら、新居に州の名産物を詰め込んだバスケットをもってやってきてくれたり、動物園に案内してくれたり、学校の先生への込み入ったお願いのメールを書いてくれたり、ホームパーティーに招いてくれたり大変お世話になりました。我が家が駐在した3年間でローレン一家に男の赤ん坊ができたり大きなおうちに引っ越したり小学校の先生から大学の先生になったりと人生の大きな節目に何度も立ち会うことができたのも嬉しいことでした。

あまり乗り気ではなかったホームステイからこんなに良い出会いがあったことは幸運としか言いようがありません。。言葉や人種は違っても表情や身振り手振りで理解し合えることと、人との出会いのすばらしさをお伝えしたくて書きました。また自由に行き来できる日が待ち遠しいです。

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