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アルデンヌの古城巡りひとり散歩🇧🇪

今から丁度10年前、24年ぶりに高校時代からの大親友とフランスはアルデンヌで再会を果たしましたが、その後前々から訪れてみたいと思っておりました、ベルギー側のアルデンヌの森に点在する、待望の古城巡りをしました。

ベルギーの南部はアルデンヌ地方と呼ばれ、中世から18世紀にかけての古城が数多く残っています。お城の種類も様々で、残念ながら交通の便が宜しくなく、車で回るのが効率的ですので、古城近くにある町、ナミュールやディナンを拠点にゆっくり見学して行きたいと思いました。 
これからそんな古城の数々をアルバムのようにUPして参ります。

ベルギー南東部のアルデンヌの森に点在する、数々の歴史に彩られた古城を巡る贅沢なお散歩。アルデンヌはフランスだけではなく、ベルギー、ルクセンブルク、フランスにまたがる地域ということを、ベルギーに住んではじめて知りました。
ベルギーは日本の四国程の面積の小さな国ではありますが、古城が多い事でも知られ、その数実に3000余。中でもアルデンヌの森には美しい古城が集まっています。
そんな古城巡りはお姫様気分では見学できず、お城は守ったり攻めたりする為に建ったものですから、色々な辛い念が感じられます。
ヨーロッパのお城が立派なのは、それだけ侵略に対する恐怖心が強かったのではと思います。当然ですが、敵の侵攻を防ぐ為、お城は便利な場所には建っていませんので、人里離れた古城をひとつひとつ、車で巡ります。

最初にUP致しますお城は『コロワ・ル・シャトー城 (Chateau de Corroy-le-Chateau)』。中世そのままの風情漂うアルデンヌの森の中にある古城です。

人が誰もいなく、入口は閉まったままでしたので、中へは入れないのかしら、と、思っていましたら、美しい女性が、レナさんのような可愛らしい犬と一緒に、入口の門を開けてくださいました。

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白いワンちゃんに案内され、進んで行きますと、お城が見えてきました。

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長い事お城を眺めていますと、犬と一緒の美しい女性が 
「お城を見学にいらっしゃったのですか?」 と、訊ねますので
「はい、中へは入れますか?」と、訊ね返しますと、
「私が案内します、さあ、どうぞ。」 と、中を案内して下さいました。
(フランス語しか話せない女性でしたので、ある程度フランス語がわかるようになってから見学に行けましたことは、タイミング的にも良かったです。ベルギーに越して早々でしたら、全く彼女が話す意味がわからなかったでしょうし、タイミングって大切と思いました。)

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私が中へ入ると、すぐに女性は大きく重い門を確り閉めました。

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ちゃんと閉まったか如何か確認するワンちゃん。 ここは敵軍が易々と入って来られないよう、厳重に閉められるよう工夫してあり(嘗ては昇降式だったとか)、入口内両脇には敵の侵入を見張る小窓などがありました。

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コロワ・ル・シャトー城は、ヴィアンデン伯が1270年に築いたお城で、13世紀の城館建築の特徴を良く保存してありました。内部には多くの美術工芸品が展示され、その素晴らしさと、お城を守る為の設備に圧倒されました。

お城などの外側の建物は撮影OKでしたが、お城内の撮影は禁止されていました。そんな中、一番印象的でしたのは、お城の中の美しい礼拝堂でした。
血生臭い武器や戦いとは裏腹な、美しく神聖な空間が素敵でした。

お城の様子⬇️。このお城には未だ貴族の末裔が住みつづけています。
案内くださった女性も、そのひとりなのかもしれません。

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お城内を随分詳しく説明してくださったのですが、数々のアクシデントがあり、(開く筈のドアが開かなかったり、電灯が突然切れたり、物が落ちたり等)案内役の女性は「古いお城ですから」と、仰っておりましたが、異世界の不思議な感じがしました。

こちら⬇️はお城の全体像。

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こちら⬇️は13世紀頃のお城の風景画です。

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さて、次に向かいましたのは『ヴェーヴ城』。
ひとくちにお城といいましても、それぞれ個性的な趣きを凝らした作りとなっていますが、アルデンヌの古城の中で中世のお城のイメージがとても強いのは、先にUP致しましたコロワ・ル・シャトー城と、これからUP致しますヴェーヴ城、そしてその次にUPしたいお城の3つかなと思います。
(今まで私が見てきました数少ないお城と比較しました場合です)

ヴェーヴ城が見えて参りました⬇️。

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小高い丘の上に五角形のお城が見えてきます。5つの円塔が異彩を放つ印象的な、まるで童話やお伽噺に出て来るようなお城です。

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先ず、ヨーロッパのお城はその性格上、王侯民族が住む為に建てられたものと(15世紀以降)中世に戦略上の理由から建てられた要塞的なものにわかれるとのこと。ヴェーヴ城は後者にあたります。
ヴェーヴ城の起源は、時代を遥かに遡ります。ピピン2世が、セルのサン・アドラン修道院と良好な関係を築く為、7世紀後半には既にこの場所に館を築いていたとのこと。(日本は聖徳太子の頃@574~622)その後9世紀に、館は様々な相続人によって小さな要塞に改築され、要塞は1200年に壊されますが、1220年にボフォール家によって再建され、お城はより強大な
ものとなったそう。13世紀(日本@鎌倉時代)には火災の為、一旦消失しましたものの、修復され、また、15世紀には、ディナンの市民によって破壊されますが、すぐに復旧、って復活早いですね。しかし1793年にフランス革命派の人間によって再び被害を受けてしまうという、建っては破壊され、再び建ってという、何とも落ち着かないお城のようです。
18世紀にはリドケルク=ボフォール家が住み、城の外観を現在のかたちにしたとのこと、過去千年にわたる壮絶な歴史あるお城なのですね。。。 
お城の中は成る程、武具や甲冑一式、剣等戦いグッズがてんこ盛りでした。

お城に入り直ぐには鍛冶屋の鞴が。とっても大きな鞴(ふいご)です。

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ロマンティックなお城とは無縁な緊張感が走ります。

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予想通り、中は「もういいよ、わかったよ」と言いたくなる程、銃剣類のコレクション満載でした。 
そんな緊張感あるお城の中には血生臭さとは裏腹な、とても美しい、ノートルダム・ド・フォアという礼拝堂がありました。

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雪花石膏に彫られた聖母子像の美しい事。。。

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礼拝堂から見下ろすアルデンヌの深い森。

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当時の貴族の生活が偲ばれる調度類で飾られたお部屋もありました。

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ここは⬇️地下のキッチンですが、お城で最も古い場所とのことです。

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こちらは⬇️お城の全体像。森に囲まれています。

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こちらは⬇️中世の頃のヴェーヴ城の絵画です。

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ヴェーヴ城からはノワジー城の上部⬇️が少し見えます。比較的新しい時代のお城とのことですが、今は廃墟となっているようです。

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『ひとくちにお城といいましても、それぞれ個性的な趣きを凝らした作りとなっていますが、アルデンヌの古城の中で中世のお城のイメージがとても強いのは、前回のお城、コロワ・ル・シャトー城と、このヴェーヴ城、そして次にUPしたいお城の3つかと思います。』
と、お話させていただきました。次はその、3つ目のお城、『ラヴォー・サンタンヌ城』をUP致します。

ラヴォー・サンタンヌ城はベルギーでも最南端に近く、ルクセンブルクやフランス国境にも近いところに建っています。広い牧場の中に、特徴的な4つの円筒状の塔を持つ古城で、1つの主塔と巨大な3つの隅塔を持った中世の城郭の風格を色濃く残すお城です。「ラヴォー」とは、「谷間」を意味する古いフランス語。此方のお城も人里離れた場所にひっそりと建っていました。

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周囲は牧場となっていますが、全て城主の領地で驚くほど広大です。

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お城の中へ向かいましたが、私の他に見学者はいませんでした。

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このお城も壮絶な戦乱の歴史を経ているように感じましたが、このお城の始まりは1244年に遡り、一介の騎士が建てた簡略な塔が最初だったとのこと。建てた目的はすぐ近くを通るローマ街道を監視する為でした。
後に1450年頃、ベルロ家が中世の城塞(石造りの円筒状の塔とそれらを結ぶ中堤)を築き、1463年からの戦乱期に攻略の要となります。
その後ルネッサンス期にルーブロワ家により、華やかな宮殿に変わったそう。
1933年に、荒れるにまかせていたお城をルモニエ夫人が大改修工事にとりこみ、現在は県で最も美しい古城と評される程になったとのことです。
中も貴重な調度品の数々が置かれ、壮絶な戦乱はあまり想像できない美しさがありますが、個人的に、一人の騎士が最初に建てたという簡略な塔ばかりを想像してしまいました。

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美しさの裏には矢張り、壮絶な歴史の名残りを描く騎士の姿が。

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キッチン&作業場の様子。

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ラヴォー・サンタンヌ城の風景⬇️。

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アルデンヌの古城巡りひとり散歩は長くなりそうですのでお城毎にUPしようか迷いましたが、アルデンヌの古城全てまとめてUP致します。

フランス語でお城のことをシャトー(Chateau)というのは皆様も御存知と思いますが、シャトーという言葉はお城=防御と戦闘の備えのあるお城を連想しがちですけど(これまでUP致しました私が個人的に惹かれる中世のお城のような)、しかし、防御施設を持たない貴族の館や別荘なども、ヨーロッパではシャトーと呼ばれます。 
なので、「え?これがお城???」と、ちょっと困惑するような、洋館のような建物もお城と呼ばれたりしています。(中には貴族が愛妾の為に建てたシャトーもあったりします)

さて、次はこれまで紹介しましたお城とはちょっと趣の違った、アルデンヌの数ある古城の中でも有名なお城のひとつ、『モダーヴ城』をUP致します。

このお城はオユー川沿いの断崖の上に建ち、その歴史は13世紀まで遡ります。モダーヴ家、オートペンヌ家、サン・フォンテーヌ家が暮らしていたという13世紀に遡る中世の城塞基部を利用しつつ、1658年にマルシャン伯が全面的にフランス様式に改築したお城とのこと。外見はあまりお城っぽくないですね。

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入口の衛兵の間の天井の素晴らしさ、そしてフランスのジアンでつくられた美しい食器類が並ぶお部屋等、貴族たちの優雅な生活を彷彿とさせる豪華絢爛な調度品が素敵でした。

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ダイニングルームとして使用されたヘラクレスの間の美しい事✨

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金と真っ赤な家具やローズウッドのピアノが美しく調和したルイ14世の間も素敵です。

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シャンデリアが綺麗です。ヨーロッパのブロカントではよく、アンティークなシャンデリアパーツが並んでいますが、コレクターが多いのでしょうね。

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天使さんたちが美しい✨

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沢山の絵が飾られた絵画の間。

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窓から覗くアルデンヌの森の風景。

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ここは18世紀頃の浴室。⬇️興味深いです。

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この⬇️お部屋は元々、衣装等を保管するお部屋だったようですが、後に改装され、愛人用のお部屋となったそうです。

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愛人の部屋へ繋がる扉があります。

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礼拝堂☆

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この鏡⬇️に映った自分が一瞬全然知らない男性だった事は今も謎です🙀💦

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そうそう、このアルデンヌの森には、数々の魔女伝説が残っているそうです。魔女伝説は、中世ヨーロッパを何度も襲ったペストの大流行と関係が深く、社会不安が広がって、人々は「悪者探し」に熱中したようです。
ペスト流行以前に、社会や政治、宗教全てにおいて不安定だった中世の頃、
農作物の不作が続いて戦争も絶えなかったそうです。
魔女伝説はヨーロッパのどの国にも残っていて、比較的新しい国のアメリカにもありますが、ここ、アルデンヌのような深い深い森の中の話となりますと、魔女伝説は一層真実味を帯びてきます。

アルデンヌのある小さな町の売店に立ち寄りましたら、天井に沢山の、箒に乗った魔女の人形が下がっていてビックリしました。訊ねましたら「魔女を飾ると幸運が来るのよ」とのこと。イーペルの猫祭り記事にもUPしました幸運の黒猫もですが、現代では黒猫や魔女は幸運を呼ぶ存在として扱われているのですね。それはもしかすると、過去への罪滅ぼしの気持ちからなのかもしれません。

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最後にUP致します『ブイヨン城』は、前回のモダーヴ城のような、優雅で絢爛豪華な趣きとは無縁な、ひとことで表しますと「戦いの城」です。
此方のお城は冒頭でもお話致しました大親友Fの住むフランスアルデンヌ県のシャルルヴィル=メジエールすぐ傍の、フランス国境に近いスモワ川沿いに佇むベルギーのお城です。 

実はブイヨン城は昔からとっても気になってはいましたものの、何故か怖くて出かける勇気がありませんでした。理由のわからない恐怖心が先立ち、なかなか気持ちが向かずにいたのです。恐怖心が勝り、古城巡りでは敢えて予定には入れていませんでした。ですが数々のアルデンヌの森の古城を巡るうち、やっぱりどうしても出かけたい!今出かけなくていつ出かける?!という気持ちが湧いて来まして、思い切って向かいました💪

ブイヨン城はベルギーで最も保存状態が良く、最も古いお城のひとつです。
第一次十字軍を指揮したアルデンヌ公家のゴッドフロワ・ド・ブイヨン伯の持城とのこと。伯は十字軍出発にあたり、このお城をリエージュ司教オトベールに売却。立地、防御ともに優れていたため、18~19世紀も尚フランス軍、オランダ軍によって要塞として使用されつづけたそうです。
ブイヨンは、大きく蛇行するスモワ川と豊かな森に囲まれた美しい町ですが、その領地はフランス領やオランダ領となるなど波乱に満ちた歴史を持っています。
お城の歴史はおそらく千年以上昔の八世紀に遡ると云われ、文献に初めて登場するのは998年のこと。その後様々なドラマがあり、所有者も何度も移転し、そして領地はフランス領になったりオランダ領になったり、ベルギー独立以降はベルギー領となって現在に至ります。

ブイヨンの町が一望できる所です⬇️。

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ブイヨンの町⬇️。 右側にブイヨン城が見えます。

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大きく佇むブイヨン城。

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町へ降りますと、立ち並ぶ家々に迫る丘の上に、古色蒼然とした姿でブイヨン城は堂々とそびえています⬇️。これぞ古城の趣、ベルギーに多い古城の中でも、中世の面影を最も良く残しているといわれる所以です。

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何方かが、「町の上のブイヨン城は丸で中世の亡霊のよう。時を自在に往来できる不思議な場所」と、仰っていましたが、まさにそのようなお城です。 

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いきなり大砲さんがお出迎え。ブラジルのべレーンにあるカストロ要塞を思い出しました。

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お城に入った時から、このお城に何重もの防衛の工夫が凝らされていることがわかります。
日本のお城も戦国時代前後に建てられたものには様々な防衛施設の工夫がありますよね。そうしたものと比較するととても面白いです。
ブイヨン城は、美しいお姫様が住む優雅で豪華なお城ではなく、防衛の為のお城です。ですので城内には女性が好みそうな豪華なお部屋や美しい調度品等はひとつもありません。
ヨーロッパが戦争に明け暮れていた頃、敵の攻撃を防いで戦闘をいかに有利に進めるかを前提に、ブイヨン城は建てられました。それだけに外見、内部も極めて武骨です。しかし、風格があり、魅力溢れるこのお城は私の心を最も惹きつけてやみません。

お城の中心部に進むには、二つの要塞を通らなければなりません。入口と第一要塞の間には、跳ね橋が設けられています。入口から敵が攻めて来た時には、この跳ね橋を跳ねあげて敵の侵入を防ぐのです。跳ね橋と第一要塞を突破された場合は、更に第二の跳ね橋があり、ここも突破されたなら、第二要塞の中の鉄の扉が滑り落ちる装置があり、敵を遮断します。

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恐る恐る要塞を通り抜けますと・・・そこからは嘘のようにそれまでの恐怖心がすっかり消え、急に元気になり、人が変わったかのようにグングン進んで行きました。
中心部にも防衛の為の施設が色々と設けられています。敵を見張る小窓が多く、城壁を攀じ登って来る敵に、石や煮え油などを落としたり、三方向、六方向へ射撃ができる銃眼、命令を伝える自然の伝声管、武器の貯蔵庫、兵士達に水を供給できる貯水池や兵糧倉庫等戦争の長期化に備えた設備も完備。 
更には軍律を犯した兵士を処罰する為の独房や牢獄、地下牢、拷問部屋、絞首台等も残されています。(拷問部屋等は手を合わせるだけで、敢えて撮影しませんでした。)

こんな感じの⬇️暗くて狭い、身を屈めなければ通れない通路も。

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幅40メートル、長さ340メートルに及ぶお城を隈なく見て回れば、昔の人々の活動振りが自然と浮かんできます。千年以上にわたる彼等の様々な思いが身に迫って来るようです。

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お城の上から見渡すブイヨンの町。不思議と胸が熱くなりました。

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ブイヨン城は夜になると怪しげにライトアップされるそう。まだ日が高く暗くなるまで時間があり、ライトアップの様子は撮影できませんでしたが、きっと中世の時代に迷い込んでしまったような雰囲気となるのでしょうね。

ちなみにブイヨンの近くの村、オービィ(Auby)には魔女伝説が色濃く残っています。

アルデンヌに点在する古城を一気に5ヶ所UP致しましたので、写真が沢山になってしまいましたが、色々と深く思い出に残るお城巡りでしたので、忘れないようアルバムのように記録しておきたく思いました🏰

今後もこんな風にヨーロッパふらり気まぐれお散歩記事をアルバムのように纏めたいと思います✨

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