後から来る人のために~勝手に応援!「ビッグイシュー日本版」(VOL.445 2022.12.15)~
「ビッグイシュー日本版」を勝手に応援する記事第48弾です。
そもそも「ビッグイシュー日本版とは何か」をご説明した第1弾は、以下をご覧ください。
今号の特集は、「私の”サードプレイス”」です。
”サードプレイス”とは、「家庭でも職場でもない第3の、自分にとって居心地の良い場所」(p.4)です。私にとってのサードプレイスはどこかなと考えたところ、まず思いうかんだのが、ウォーキングに行く公園。コロナ禍の巣ごもり生活の時にウォーキングを始め、当時はほぼ毎日行っていたのですが、最近は週に2回くらいしか行けていません。でも行く度に季節の変化などを感じとれ、良い気分転換になっています。
もう一つは、note及びブログですかね。本名ではなく、margreteとして文章を書くのも、これまた気分転換になりますし、実際にお目にかかったことはなくても、コメントを頂く方々とのやり取りは楽しいです。
ちなみに私のブログは、以下のものです。ご興味がございましたら、ご訪問ください。
心に残った部分。
香山リカさんの、旅先で訪れる教会がサードプレイスというのは、驚くとともになるほどと思いました。私はキリスト教に興味がないわけではないのですが、教会はどこの教会も行くと必ず、教会員として定期的に通い、いずれ洗礼を受けることを前提とした扱いを受けるので、どうしても行きにくいです。でも旅先なら、定期的に通うことはありえないので、良い意味で一見さんとしての扱いを受けるはずだから、良いかもしれない。機会があれば、真似してみようと思います。
スペシャルインタビューのジョディ・ウィテカーの言葉も良かったです。
本文中には日本語訳もあるのですが、英語のままの方がしっくりくる言葉です。
「池内了の市民科学メガネ」の以下の言葉は、教員として心に留めておかねばと思いました。
日本で言う排除ベンチや排除アートが「海外では『Hostile Architecture(敵対的な建築)』や『Defensive Urban Design(防御的なアーバン・デザイン)』と呼ばれ、排除の目的をもって作られた造形物であることが認識されています」というのには、考えさせれました。五十嵐さんの「誰もが弱者になりうるのですが、マジョリティであるときはその排他性が気にならない。でも弱者になった時に牙をむかれるのです」という指摘は重いです。
従業員の6割が身体障害者ほか生きづらさを抱える人たちだという、久遠チョコレートの代表の夏目浩次さんとそこで働く人たちを追ったドキュメンタリー映画『チョコレートな人々』のプロデューサーである、阿武野勝彦さんの言葉も良かったです。
久遠チョコレート、機会を見つけてぜひ食べてみたいです。
今号も、学びが多く、読みごたえがありました。
「ビッグイシュー日本版」のバックナンバーは、街角の販売者さんが号によってはお持ちですし、サイトからは3冊以上であれば送付販売していただけます。
コロナ禍のあおりで、路上での「ビッグイシュー」の販売量が減少しているそうです。3ヵ月間の通信販売で、販売員さんたちを支援することもできます。
もちろん年間での定期購読も可能です。我が家はこの方法で応援させていただいています。
見出し画像は、今号が入っていた封筒に貼られていたシールと、同封されていたグリーティングカードです。「小商い」で発送作業をしてくださった宮本さん、いつもありがとうございます!
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