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ここ

 今日がなければ明日はない。当たり前のことだが、子供の頃は遊ぶも食べるも宿題するも「今」が支配していたように思う。大人になって将来を考えるようになり、今を忘れたが、パンデミックで現実を突きつけられた。生きる意味を考え、死が身近に感じられるようになった。この2年は薄暗い長いトンネルを歩いていたような気がする。

 ニューヨークだけでなく米国全州でマスク着用の義務が撤廃され始めている。3月7日早朝、仕事でマンハッタンの映画館へ出向いたが、前日まで入り口や壁に貼ってあったコロナに関する注意事項のビラを剥がしているスタッフを見て、心がフッと軽くなった。手放しでは喜べないが、ついに、この日が来たのだ。

 それから、街の人々の動きに注目した。マスクをしない人は着実に増えている。地下鉄や屋内でマスク姿の人が相当数いることを除けば、コロナ前となんら変わらないように見える。先週の花金は暖かかったこともあるが、陽気な若者たちが騒ぎながら歩道を闊歩(かっぽ)し、活気ある街が完全復活したように見えた。

 先月から有観客のイベントの仕事が増え始めた。人々の考え方や生活スタイルが変わったので、以前と同じように映画やコンサートなどのイベントに足を運ぶ人は減っているが、人、経済が本格的に再開した印象は強い。またテレワークが標準となり、都市部に住んでいない人も増え、ネットワーキングも多様化してきている。いつ、どこにいるかは、出会う人や、付き合う人の顔ぶれに大きく影響する。

 昨夜、映画館で知り合ったシェフが勤務先のギャラリー・レストランで4月に京都のブランド展示会を開催すると言う。半分あてずっぽうだったが、もしや、それは僕が映画や食と全く関係ない映像制作の仕事で関わっている京都ブランドなのではないか、と思い、そのブランド名を出したところ、それが大正解だった。「ここ」で2人が出会い、話をしたから生まれたご縁。

 人の縁は自分で作るもの、自分の存在や行動が作り出すもの、そして、自分以外の人が作ってくれるものが組み合わさり頂けるものと思う。だから、「ここ」に足を地につけて、ここから始める。【河野 洋】

羅府新報(Vol.33,871/2022年3月15日号)『磁針』にて掲載

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