河野 洋

名古屋市出身、1989年に欧米ひとり旅、1992年ニューヨーク移住。2003年にレコー…

河野 洋

名古屋市出身、1989年に欧米ひとり旅、1992年ニューヨーク移住。2003年にレコード会社「マークリエーション」を起業、2つの映画祭、ニューヨーク・ジャパン・シネフェスト、シカゴ日本映画コレクティブの共同設立者。アーティスト支援活動を行う非営利団体「CUPA」副代表。

最近の記事

私は私

 コロナで缶詰め状態が続く2022年、収束したとは言えないが、最近は、対面が普通にできるようになってきた。イベントも目白押しで、先日、久々に音楽クラブをのぞいたら、マスク着用者はわずか2、3人程度という目が点になる光景が広がっていた。  そんなある日、自分の中ではもはや死語になっていた「飲み会」が、2年以上ぶりに居酒屋で行われた。90年代初頭に日本を出てニューヨークにやってきた盟友たち。  その中に、ニューヨークに来て一年にも満たない新入生もいた。  「いえ、私なんてまだ

    • ここ

       今日がなければ明日はない。当たり前のことだが、子供の頃は遊ぶも食べるも宿題するも「今」が支配していたように思う。大人になって将来を考えるようになり、今を忘れたが、パンデミックで現実を突きつけられた。生きる意味を考え、死が身近に感じられるようになった。この2年は薄暗い長いトンネルを歩いていたような気がする。  ニューヨークだけでなく米国全州でマスク着用の義務が撤廃され始めている。3月7日早朝、仕事でマンハッタンの映画館へ出向いたが、前日まで入り口や壁に貼ってあったコロナに関

      • 頑張れニッポン

         北京冬季オリンピックが開催中だ。世界中のアスリートが集結し、スポーツで技能を競い合う。1人の力なんてちっぽけだが、その1人の力が世界を感動させるなんて夢があっていい。  世界の人口も今や80億人に達しようとしている。でも、これまでの人生で時間を共にした人たちをかき集めても1万人にも及ばないだろう。そんな中で出会える人たちは貴重だし大切にしたい。  つい先日、ニューヨークの映像学校を卒業した俳優の卵と話をする機会を得た。映画祭を運営する身として、そんな人たちの声を聞くこと

        • 小さな巨人

           最近、富に気に入っているのが乳酸菌飲料。僕が子供の頃によく飲んでいたのは「ヤクルト」で65mlの小さなプラスチック容器に入って、実際に小さいのに飲み応えがあって、味もしっかりしていて、大好きだったから毎日のように飲んでいたことを覚えている。  調べてみると、この小ボトル1本あたりには何と乳酸菌シロタ株が200億個含まれていて、まさに小さな巨人と言える飲み物だ。通常5本1パックで販売されていて、1本あたり80セントぐらいだが、2本分でソーダ2リットルが1本買えることを思うと

          綱渡りのエチケット

           コロナでほぼ2年、われわれの未来は一体どこへ向かっているのだろう。米国に来て30年近くが経過するが、このような未曾有のパンデミックはもちろん初めてのことだ。そんな折、29年前に出会った古いイタリア人の友人から連絡があった。「今度ランチでもどう?」。最後に会ったのは5年半も遡る。  彼とは会う時は決まってダイナーでハンバーガーとコーヒーを注文していたが、今回も当時を懐かしむように同じものを頼んだ。白髪がなじんでいる友を眺めながら、ハンバーガーと一緒に懐かしさもかみしめる。

          綱渡りのエチケット

          朝よ、来い!

           不眠症。眠れない人にとっては深刻な問題だが、眠れる人にしてみれば、眠れない=生きているわけで、逆に睡眠は、恐怖の入り口だったりする。  若い頃は夜更かしも不摂生も日常茶飯事だったから、「眠らない」ことが多かったし、ささいなことが気になって眠れないこともあった。そして、社会に出れば仕事で、子どもができると子育てで寝る時間を確保するのも困難になると、バスや地下鉄の移動中でも乗り過ごすことなく、いつでもどこでも寝られるようになった。その技能を熟練させると、下車する直前に起きるこ

          朝よ、来い!

          分かれ道

           突然、電話が鳴る。「今夜〇〇で某画家の個展レセプションがあるけど一緒に行かない?」。これがメールであれば、時間の余裕があるので、考えて答えを出せばいいのだけど、電話で、しかもイベントが差し迫っている場合、迷っている時間がない。これぞ分かれ道。  可能であれば、何が起こるかを比較してから決めたいところだが、人生そんなに甘くはない。宝くじと同じで、買わないと当選の有無は永遠に謎のまま。しかし、選択後の結果が分からないことは、人生の醍醐味(だいごみ)でもある。  これまで私も

          分かれ道

          今から始める「初めまして」

           コロナ時代に突入した昨年から、われわれはモニター越しの対面を始めた。コロナ渦で飛躍的に普及した通信手段だった。私もたくさんの出会いを体験した。対面して知り合うより、もっと意味があるかもしれない。  1年ほど前、某プロジエクトで知り合った仲間たち。以来、オンラインのみで交信し、実際に対面したのは、つい先週末に開催された有観客イベントで、知り合ってから1年以上経過してから初対面という現象が起きた。通信ソフトは相手の顔から胸元くらいまでしか見えないZOOM。ニュースキャスターが

          今から始める「初めまして」

          体験エッセー:マッサージ・セラピー

          そもそもマッサージとは何なのだろう。そしてセラピストの役割は?そんな疑問を抱きながら、初めての全身マッサージを受けた。初めての体験なので正直なところ不安もあったし、本当に成果があるのかという半信半疑の気持ちもあったが、マッサージ師は体の筋肉をほぐし、痛みを取り除き、歪みを矯正してくれ、終わったら心身ともにリラックスできると言う漠然としたイメージしかなかった。 以前、友達に誘われて試した中国式フットマッサージは終わった後は筋肉がほぐされた記憶はあるが、それは(マッサージされて

          体験エッセー:マッサージ・セラピー

          不戦は食卓から

           平和を願うなら、まずは平穏な心を保たねばならない。そして、言語、文化、習慣が違う外国人同士が仲良く暮らすためには、謙虚な姿勢、相手を尊重する大らかな気持ちが必要だ。  わが街クイーンズ区アストリア36番街には争いがない。現在は異国人が共存しているが、以前はギリシャ人が数多くいて、伝説のソプラノ歌手マリア・カラスなどが住んでいたことでも知られる。そんな偉人までもがここで生活していたかと思うと、それだけで興奮するが、街を歩けば鳥がさえずる、実はのどかな住宅地である。  しか

          不戦は食卓から

          ぶらぶらブランコ

           主夫の頃、娘たちをよく公園に連れていきブランコに乗せた。前に後ろに揺らすだけで娘たちの目に映る世界は大きく動き出し、きっと子供心に「楽しさ」が芽生えたと思う。考えてみると赤ちゃんの頃から、われわれは揺り籠に揺られてスヤスヤ眠り、母の腕の中で子守唄を聴きながら揺られていた。  小学生の頃になると、腕白な友達とどれだけ高くまでこげるかを争い、それがエスカレートすると、後方から前方に向かう勢いを使って飛び降り、どれだけ遠くまで飛べるかを着地点で競った。危険を顧みず、冒険心旺盛な

          ぶらぶらブランコ

          偶然から奇跡へ

          連絡を取ろうと思っていた人と、道を歩いていたらばったり。席が隣り合わせになったことから結婚したカップル。何気なく買った宝くじが大当たり、うれしい偶然は歓迎だが、強盗犯と同姓同名とか、ハズレと勘違いして捨ててしまった当選券とか、巡り合わせの悪い偶然もある。 筆者の名前は太平洋の「洋」。母は海を越えて外国に出るくらいスケールのでかい男の子になってほしいという願いから名付けたそうだが、その通り、日本からニューヨークへ移住してしまった。母の思いが現実となったのは偶然か奇跡か。 東

          偶然から奇跡へ

          便利な不便

           米国でサブスクリプション(定額サービス、サブスクとも)を購入したのは1997年のメトロポリタンオペラだったと記憶している。生前のパバロッティが拝めたのは、この頃だった。事前にチケットをまとめて予約購入する便利なシステムだが、それまでは、サブスクと言えば雑誌や新聞の程度だった。  オペラだとサブスクするとチケット料金が割引価格になるし無駄がないから、その価値は大いにあったと思う。しかし、近年では仕事で必要な経理やデザインのソフトウェア、SpotifyやApple Music

          便利な不便

          ちょっと、虫のいい話

           欧州連合加盟27カ国で「ミールワーム」という革新的な食品が認可されたというニュースを読んだ。それは、ゴミムシダマシという小難しい学術名がついた、いわゆる幼虫である。食糧難がやってくる未来に昆虫食は救世主という声も聞かれるし、実際、アマゾンでもパッケージに入った食用の虫が堂々と販売されている。日本には昆虫食の自動販売機が設置されているところがあるというし、昆虫食専門レストランもあるというから、本当に蓼(たで)食う虫も好き好きだと思う。  ただ、このまま行けば人口は増加する一

          ちょっと、虫のいい話

          火だるま御免

           江戸時代に始まったとされる「火の用心」。火事を未然に防ぐために夜警団が拍子木をたたいて「マッチ一本火事の元」と街を歩いたのは一昔前のことだが、子供の頃から、火を扱う時は十分に気を付けるよう親からしつけられたし、マッチの火などは小さいからすぐに消せると言って甘く考えると、大やけどをすることがある。危険な火遊びは大人だって怖い。  実際、30年ほど前に電気ストーブをつけっ放しにして寝落ちしてしまったことがあったのだが、布団がストーブに接触して発火し、熱を感じて目覚めたら目の前

          火だるま御免

          サヨナラ、叔父さん

           愛知県名古屋市に生まれ育った自分にとって、お袋の実家がある同県安城市は母方の親戚一同が在住していることもあり、幼少時の第二の故郷のようなところだった。考えてみると、子供の頃の体験こそが、現在の自分の骨格になっていることに気がつく。  安城市と言えば、日本三大七夕祭りの一つである安城七夕まつりが有名で、小学生の頃は毎夏、祖母と叔父家族が住む家に泊まりで遊びに行っては、にぎわう祭りを楽しんだ記憶がある。中でもお化け屋敷は印象的で、怖いもの見たさの好奇心は当時に養われている。  

          サヨナラ、叔父さん