偶然から奇跡へ
連絡を取ろうと思っていた人と、道を歩いていたらばったり。席が隣り合わせになったことから結婚したカップル。何気なく買った宝くじが大当たり、うれしい偶然は歓迎だが、強盗犯と同姓同名とか、ハズレと勘違いして捨ててしまった当選券とか、巡り合わせの悪い偶然もある。
筆者の名前は太平洋の「洋」。母は海を越えて外国に出るくらいスケールのでかい男の子になってほしいという願いから名付けたそうだが、その通り、日本からニューヨークへ移住してしまった。母の思いが現実となったのは偶然か奇跡か。
東京で観劇した芝居に出演していた女優が、2年後にたまたま鑑賞した映画に出演。2017年5月17日午後7時30分に会った友人と、計画することもなく再会を果たしたら、ちょうど2年後の同日同時間だった。異なる場所と時間で知り合った2人の友人と昔居住していたアパートの話をしたら、なんと全員が同じアパートに住んでいたことが判明。これらも単なる偶然なのだろうか。
昔、アメリカで一人旅をした時、ニューオリンズでドイツ人の青年と知り合った。2人は別れたが、何の縁かナッシュビルで再び顔を合わせる。2度目の別れの後、ボストンの街を歩いていると見慣れた顔が。再三、再会を果たした彼はドイツに来たら遊びに来いと私を招待してくれ、米国から欧州へ飛んだ筆者は、この彼とドイツで再々再度の再会を果たした。これは偶然が重なり合い、2人の出会いは必然になった例かもしれない。
長女が21歳になった。娘が自分の仕事に関係するグラフィックアートが好きで勉強していることは偶然かもしれないが、大きなけがや病気もなく、健康に育ってくれたことは、僕は、ある種の奇跡だと思っている。
偶然は、周りで起こる出来事や周りにいる人々をよく観察していれば、実はたくさん確認できることが分かる。ぼんやり生活していると偶然は見つからない。偶然を見つけるのは、その人次第。偶然が重なり必然が生まれ、必然が重なり奇跡を生み出す。奇跡を起こすなら、偶然を増やすことだ。奇跡は奇数の奇、2では割り切れないもの(不思議なもの)の跡を追うことで生まれる。
文:河野 洋
羅府新報(Vol.33,764/2021年7月7日号)『磁針』にて掲載
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