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9月1日始まりの日に。

一年の中で10代の子らが、居場所がない。死にたい。と思う日が多い日でもあり、自殺する子が多い日でもあります。

私自身もこの日を振り返って、思うことを書きます。

私がいじめにあったのは小学2年生から中学3年生と長い時期の苦難があった。当時は障害者の認知がとても低く、通常学級でさえとても居心地悪いといった葛藤を抱えながら、8年間を過ごしたことになる。当時は先生が守ってくれたこともあるのだが、聞こえないことはどうしても誤解されることが多い。耳から入る情報はこの時も今もはっきり言うと分からない。一番の苦難があったのは音楽。音楽は私にとって苦痛でしかないし、公開処刑でしかない。当時の音楽の先生を引っ張って問い直したいくらいでもある。当然音楽は合唱もあるし、歌を歌うテストもある。改めて考えてみると、私の人生に歌を歌うことは必要ないけれども、カラオケは行く。そこで矛盾が生まれるだろう。そこにおいては説明しなければ、世間は矛盾したままだろう。カラオケ行く目的はたった1つ。気楽に大声で歌えるから。ただそれだけのこと。音程なんて、採点なんて必要ないし、大声で歌って満足できればそれはそれでいいと思っている。評価なんて必要ないし、人生における大事なポイントでもないから必要ないだろう。それを当時の音楽の先生を引っ張って、議論してみたいと思っている。果たして、今どうしているのだろう。当時は珍しく男の先生で、しかもスポーツカー乗っているかっこいい先生だった。だけど、音楽の評価は配慮してくれないほど、最悪の先生でもある。まぁ、情報保障も十分でなかったこともあるんだけど、私が今あの時になったらきっと違うことをしていたかもしれないね。と思った。そう、時代が変わって、技術も上がってきている。

話を戻して、当時自分に居場所はあったのか。そこを問い直してみると、一番支えられたのは書道教室だったな。と思った。書道教室を通い始めたのは、小学校4年生から高校3年生まで通った。苦痛でしかない時期を越えて、書道を愛する時期が長かったことは本当に奇跡でしかない。書道だけではなく、高校から入り始めた手話サークルもそうだった。どんどん自分が大人になるにつれて、自我やアイデンティティを獲得していく。

ただ、当時は死にたいと思う日もあった。一番苦痛な中学生時代をどのように過ごしたのか。当時は朝早く学校へ行くのが習慣になっていて、誰もいない教室。そしてどんどんクラスメイトが入っていく。そして夕方にはだれもいない教室をひとり見つめていた時期もあった。自身のアイデンティティと生き方、彷徨い続ける葛藤、そこにあったのは家に帰ると弟の存在。その笑顔に助けられたこともあった。死にたいと思う日もあったけど、弟のかわいい笑顔が本当に強かった。無垢の笑顔でちょっとやんちゃだったけど、とても支えられた。

だから、「生きていい」。学校行かなくても、誰かがきっと寄り添ってくれる。「生きる」ことはもしかしたら苦痛なのかもしれないけど、「いてもいいんだよ」大丈夫。

8月31日の今日。
ひとりでも知ってほしい。沖縄でのろうLGBTQ講演会、行ってきます!!!

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