かえで

1979年生まれ。 現在、手話る楓 代表。日本手話講師。ろうLGBTQ支援、セクシャリ…

かえで

1979年生まれ。 現在、手話る楓 代表。日本手話講師。ろうLGBTQ支援、セクシャリティはゲイ。ありのまま、欲望のままに。

最近の記事

2024年8月 日本手話講座受講募集

こんにちは。かえでです。 2024年8月の日本手話講座受講募集中です。 以下の通りになっています。 8月 オンライン 日本手話講座 8月1日(木) 19時 翻訳短文 8月6日(火) 20時 翻訳長文 8月7日(水) 19時 翻訳短文 8月9日(金) 19時 翻訳短文 8月13日(火) 20時 翻訳長文 8月14日(水) 19時 翻訳短文 8月20日(火) 20時 翻訳長文 8月21日(水) 19時 翻訳短文 8月23日(金) 19時 翻訳短文 8月27日(火) 20時 翻訳

    • 手話の国 商店街 現地写真

      こんにちは。 手話の国 商店街の現地写真を撮りました!!! この時期梅雨ですから、ちょっと季節のイメージがわかりませんが、 こんな感じになっています。 まずは動画から。 全体的に雰囲気がわかっていただけると思います。 なお、付近に駐車場があります。1日停めても400円とか、300円のところもある。ぜひ、活用ください。

      • 野外イベント出展者募集

        2024年11月23日(土)に、前橋市広瀬川緑地という場所で、「手話の国 商店街」を開催したいと思います。いまや全国あちこちに手話が公用語のイベントが開催され、群馬でも開催出来たらなぁと思った矢先、前橋市からご縁があり、イベントを開催できることになりました。 以下は、要綱となりますので、よく読んで頂き、申請していただければと思います。 日時 2024年11月23日(土) 10時から16時まで (準備は8時から主催の手話る楓がいますので、到着次第始めてください。) 場所 前

        • 6月 対面講座 (群馬)

          対面講座~文法①,②~ 2024年6月1日(土) ①10:00-11:30 ②13:00-14:30 対象者 手話歴2.3年以上 受講料 1回 3,000円 定員  8名まで 場所  群馬県前橋市 対面講座~会話してみよう!~ ※会話しながら日本手話修正指導します。 2024年6月1日(土) 15:00-16:30 対象者 手話歴2.3年以上 受講料 3,000円 定員  8名まで 場所  群馬県前橋市 対面講座~翻訳してみよう!~ ※日本語

        2024年8月 日本手話講座受講募集

          4月対面講座 (群馬)

          対面講座~会話してみよう!~ ※会話しながら日本手話修正指導します。 2024年4月11日(木) 19:00-20:30 対象者 手話歴2.3年以上 受講料 1回 3,000円 定員  8名まで 場所  群馬県前橋市 対面講座~CL・NM編~ 2024年4月15日(月) 19:00-20:30 対象者 手話歴2.3年以上 受講料 1回 3,000円 定員  8名まで 場所  群馬県前橋市 対面講座~翻訳してみよう!~ ※日本語から日本手話への翻

          4月対面講座 (群馬)

          2024年3月 手話る楓 対面講座

          3月対面講座(3月1.7.13日) 3月対面講座(3月9.10日)

          2024年3月 手話る楓 対面講座

          2024年3月 手話る楓 オンライン手話講座

          2024年3月 手話る楓 日本手話オンライン講座 日時 下記の各講座を参照ください。各回【90分間】です。 定員 1講座当たり定員5名 (最大7名受入可能)        受講料1回あたり  【CL・NM講座】 3,000円 【初級・中級向け】 日本手話会話講座 3,000円  【手話通訳・ろう難聴】 日本手話翻訳講座 4,000円  対応可能 ゆうちょ銀行、三井住友銀行、GMOあおぞらネット銀行、paypay 【講義内容】 【ろう難聴・手話通訳者向け】日本

          2024年3月 手話る楓 オンライン手話講座

          話すということ。

          日常生活の中心は手話である。 私が手話というものを知ったのは、きっと聾学校幼稚部だったのかもしれない。同級生の一人がデフファミリー(ろう家族)だったからだ。 その後、幼いながらも実際に話した記憶があるのは、小学校の時である。母の実家の隣にろう夫婦がいた。老夫婦ではない。大事なことだから、もう一度言う。ろう夫婦がいた。手話で会話をしていたこと、今思うとそんな早くに出会っていたんだなあと振り返ることもできる。 しかし、私はまだ知らなかった。 当時、チャイムを鳴らすとき、お知ら

          話すということ。

          9月1日始まりの日に。

          一年の中で10代の子らが、居場所がない。死にたい。と思う日が多い日でもあり、自殺する子が多い日でもあります。 私自身もこの日を振り返って、思うことを書きます。 私がいじめにあったのは小学2年生から中学3年生と長い時期の苦難があった。当時は障害者の認知がとても低く、通常学級でさえとても居心地悪いといった葛藤を抱えながら、8年間を過ごしたことになる。当時は先生が守ってくれたこともあるのだが、聞こえないことはどうしても誤解されることが多い。耳から入る情報はこの時も今もはっきり言

          9月1日始まりの日に。

          女子力が高いということ。

           みんなから、女子力が高いと言われることは本当に多い。  しかし、この「女子力」ではなく、「美意識」方がしっくりくるのは、最近ようやく気付いたことである。これまで「女子力」と言われ続けて、ん、ゲイなのに? いいの? セクシュアリティの崩壊では?と自問しつつ、ずっと葛藤し続けたのである。ところがなんとなくこの問題点のどこに焦点しているのか考えてみたところ、「美意識」にたどり着いたのである。 まぁ、「美」でも間違いないのだが、意識していない限り、「美」は保たれない。なので、「美意

          女子力が高いということ。

          幸せに気づくということ。

          「あなたの幸せって、なんですか」 いつも私は自問していました。 29歳の時に会社を辞めて、 その後に時間があり、図書館へと通っていた時期がありました。 1年で300冊読むという経験をしました。今でも本がたくさんあふれていて、読んでは古本屋に売り、買ってはまた古本屋に売りという循環の良い知識を貯めました。 29歳の時、果たして「幸せ」とはなにかと考えた時に、本当にゲイで幸せなのか。本当に男性で幸せなのか。本当に結婚しなくても幸せなのか。ずっとずっと自問し続けた結果、あるとこ

          幸せに気づくということ。

          手話ということ。

          生後6か月失聴の後、昭和55年8月に障害認定を受けた。 その後ろう学校のことばの教室を週に1回母と通い、3歳からはろう学校幼稚部へ入部となる。週4回の言葉を覚える、訓練する。週1回は保育園での社会交流を学びつつ育ってきた。 幼少時に母の実家に農業アルバイトとして雇っていた住み込みのおじいさんがいた。私と同じで耳が聞こえなかった。当時は同じ聞こえない人がいるんだ~。ぐらいしか思わなかった。その後母の実家の隣の家もろう者夫婦が住んでいたことも本当に身近なことである。隣の家は手話

          手話ということ。

          セクシャリティを公開するということ。

          1979年に群馬県伊勢崎市で誕生。 お乳もままならず、体重がなかなか増えない子供だった。 そして生後6か月、高熱で失聴。その後は口話教育を受け、手話も身につけ、大人になった。 当時自分がゲイかも?と思ったのは小学校5年の時、近所の本屋さんで衝撃をうけた本「薔薇族」であった。その薔薇族というのは何かと説明しなければならない。そう、男性同士の情報誌でもある。当時は情報誌でもあり、教育雑誌でもあり、私のバイブルとなる本でした。 そしてゲイというロールモデルがあることを知ったのもそ

          セクシャリティを公開するということ。