ゆる雑記2023/11/01

11月になってしもうた。浮かれたハロウィンなんてもんはなく、クリスマスの飾りに代わっていくのすら見ずに寒い時期が始まる。
日記でも何でもないから雑記だ。書き散らし。noteはほんとはやめたい。Twitterと同じだからだ。TERFがBANもされずにのさばっている。FtMのタグはちゃんとFtMだが、MtFのタグは何故かMtFと付けてもmtfとなる。これは過去に問い合わせてみたことがあるが、最初にmtfが使用されたからで仕様だそうな。大文字と小文字の区別くらいしろだし、区別しないのであれば自動的に統一するんじゃなく表記くらい付けたものを維持させろ。逆にftmのタグは付けれないということだし。だからかMtFトランスジェンダーなるタグがあったりする、わけわからん。これね↓

僕の前の記事のタグ

そしてそのせいでもあるし元々紛らわしいというのもあるけど、mtfで調べるとかなりの数投資用語の方のmtfがヒットするのな。まあmtfで出てくる記事に碌なもんはないので、全然意味のないタグではあるんだが、過去の僕みたくmtfの記事をあさりトランスヘイトを目の当たりにしてしんどくなってしまう人が減ればいいと思って僕は書こうね。。
とにかくこんな感じでタグすらまともな機能じゃないのがnoteというサイトだ。Twitterの長文版に他ならない。情報商材と大企業のプロモーションとネトウヨと差別が蔓延る。

いい子のトランスジェンダーはヘイトになんて惑わされず、正しい情報だけを選択できるようになってほしい。そのためには苦しい思いもするけれど、僕が半年で変わったように誰もがきっと少しずつ変われるはずだ。

contrapointsのこのTERFに対するこの動画をまた見た。非常に勇気と強さをもらえる。憎悪に対し堂々とすることが最大のカウンターなのだと断言してくれる。TERFに当てているようでこの動画はヘイトに苦しむトランスに対しての動画なのだ。そしてこないだの我が国の静岡の裁判所と最高裁の全会一致の違憲判決、この動画が陳腐化するくらいにジェンダークリティカルがもっと異端になるのもそう遠くないと感じるよ。

それでもこの動画でも言及されるトランスメディカリズム寄りになってしまっている当事者達も少なからず「この判決のせいでヘイトがこっちに来る!」なんて迷惑がっていたけれど、まったくもって加害の再生産でしかない。

(女性としての)抑圧を経験していない人がアイデンティティを主張するのは不正義だという感覚。それは苦しい性別違和を経験している人のみが本物のトランスであると主張する人と同じ。どちらも痛みがアイデンティティであるということ。被害者コンテストじゃなくビデオゲーマー(主催者)をやっつけるべき。
(口調ちょっと端折ってる)

https://www.youtube.com/watch?v=1pTPuoGjQsI

ナタリーさんが上記の動画翻訳されて言ってくれている内容。まったくもってこの通りなんだ。僕らは自分で自分を簡単にヘイトできる。だからこそそのヘイト合戦に乗っかったってなにも変わらない。そんなのよりも女性もトランス女性もその他マイノリティも抑圧しているこの男性社会を問い直すことこそが第一歩なんだよ。いろんなもんを踏みつけて生きながらえてる家父長制をさ。

戦争も交通も社会生活も日常生活も全部同じだ。環境問題すら同じだ。力がある(と思い込んでる)ものが、力がない(と思い込まされてる)ものに対して抑圧し加虐し収奪し成り立っている。
どうして罪のない人が死ななくっちゃあならないのか。どうして他人や環境に降りかかる不幸を自分事として考えられないのか。どうして自分本位に誰もが生きて支えあえないのか。どうして誰も信用できず痛めつけあうのか。どうして自分で自分の足を食って生きながらえるような世界なのか。根本的なところはそこにある。

車優遇人冷遇社会だから平気で車は復路なのに歩道すらない道があったりする。そんなところでも制限速度すら緩く日々子供やお年寄りベビーカーや車いすの隣をぶつかったら人が死ぬ速度で鉄の塊が通過していく。車の無法には無法でと恐れを知らぬ地元走りの自転車が横行する。日本人は自転車を好きで乗っているんじゃないと思う。そりゃ便利だしそれも富なのだろうし習慣化しているが、歩道を爆走する自転車はまだまだいる。それは車から奪われている走行空間を歩行者から奪っているだけに過ぎない。歩いていたら奪われるから自転車に乗っているにすぎない。だからみんな車にも乗りたがる。一番強くて一番奪えるから。奪えないと生き残れない交通社会でまったくもってシステムがくるっている。制度を変えるしかないんだよ。今の政治でダメなら政治も変えるしかないんだよ。簡単な話だろう。

最近知ったが日本の断熱基準はがばがばらしい。さもありなんという感じだけど、義務付けられてすらいないらしい。日本の家は多湿とはいえ夏暑すぎて冬寒いのに全然断熱されていない。環境の変化もあるだろうが追いつかなくなっている。ヒートショックで毎年かなりの人が死ぬらしい。途上国レベルの基準らしい。当り前じゃないんだよなって。そうだよなって。寒かったら厚着するとか、暖房付けるとか、そんなのよりも、言葉通りの窓際対策。サッシを変える、窓を変えるだけで冬でも部屋は冷えず、夏でも部屋は熱っされない。簡単なことだ。モグラやいろんな生き物が住む土の中は快適だろう。深夜と朝方の冷気に苦しむけれど、晴れたら部屋が28度にもなる僕の部屋は今かなり身体に堪えている。窓際を応急処置でプチプチを貼ったりしたくらいだ。でもそんなもん対処療法に過ぎない。断熱効果が、冷暖房効率が上がるだけで、全家屋がそうなるだけで、マジで日本のエネルギーはかなりましになるんじゃなかろうか。といっても大半が商業工業だったとは思うけれど。だからと言ってたっけえ電気代を家庭が負担しなくてもよくなるだろうよ。

とまあこんな具合に当たり前だと思っている加害は当たり前じゃない。夏に熱い部屋で熱中症で人が死ぬのも、冬に脱衣所のヒートショックで人が死ぬのも、交通事故で人が死ぬのもおんなじだ。制度や設備の設計の怠慢。政治の怠慢。人々の良心の欠落による怠慢。車を購入したり呼べる人以外は死んでよくて、断熱性能の高い家に住めたり冷暖房費用も払える人以外は死んでもよくて、そんな人々の自己責任の感情が人を殺してきたんだよ。
日常の中の虐殺だ。

怒りを向けるべきは制度設計している人たちなんだよ。正義の気持ちがあるならば。そしてトランス女性は女性です。

雑におわり