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密教とヨガ、実は密接な関係があるのですが、聞いてくれますか?

密教もヨガももともとはインドがはじまりです。そしてゴールも同じ!みんなが心豊かに健やかに暮らしていけるヒントを教えてくれてる。

修行して密教を教わったのと、ヨガも勉強した私なりの解釈なので「こうだ!それしかない!」みたいに言いきる訳ではなく「そうおもう。」ぐらいのニュアンスで書こうと思います。

「悟り」っていったら凄く難しく感じるけど、ここでは、「あぁ~幸せやなあ」と感じたり「平和」「穏やか」な気持ちとかのことを指したいと思います。

その「悟り」が密教もヨガもゴールなわけですが、それに向かうプロセスもだいたい同じです。

ヨガはこの前の投稿でも書いたことあるんですが、八支則っていうのに則って悟りへ向かいます。

(note初心者のため前回の記事の載せかたがわからない、ごめんなさい笑)

①ヤマ(やってはいけないこと)、②ニヤマ(進んでやること)の戒律をまもり、その他の③アーサナ(坐法)、④プラーナヤーマ(呼吸)、⑤プラティアハーラ(五感の制御)、⑥ダーラナ(集中)、⑦ディヤーナ(瞑想)で心を落ち着かせる方法を得て最後が⑧サマーディ(悟り)となります。

密教はこれを戒(かい)、定(じょう)、慧(え)の三段階で表しています。
八支則を当てはめると
①②が戒
③④⑤⑥⑦が定
⑧が慧になると思います。

ここまでの共通点を知ると一緒のこといってるんやなあと納得です。

では、何が違ったのか私なりに思うことがありました。

高野山真言宗の修行は日本三大荒行にも数えられるほど厳しめだと聞いています。
一言で言うと、やること多すぎて時間に追われて座る暇もないです。
改めて考察するならば、わざとそういう状況をつくってるんじゃないかなと思います。そういった余裕のない環境に身を置くことで、自分の弱いところや見たくないところが浮き彫りになり、正面から向き合わざるを得なくなる。
【自分の限界を体現する】みたいなことでしょうか。

例えば、家事でバタバタしてて余裕ないときの育児場面では優しい母でいたいはずなのに子供に強く当たってしまうみたいな。私も今でもしょっちゅうなるから修行を思い出す(笑)

一方でヨガのやり方は、【ちょうど良いところを探る】だとおもいます。
物事には常に対極のものが存在しますよね?

優しい⇔厳しい
暑い⇔寒い
明るい⇔暗い

とか!
優しすぎると怠けてしまう、厳しすぎると怪我したり不調が現れる。怠けすぎずがんばりすぎずちょうど良いところを極めるのがヨガのやり方だとおもっています。

っていっても密教にもこの考え方もあるんですけどね!

まとめると

密教の修行は(嫌でも)自分と向き合う環境を作ってくれた場に身を投じるので一番簡単に悟りに近づける。

ヨガは自発的に気づきの訓練がいる。

それよりも難しいのが日常を生きている人たち。自分を見つめる間もなく、それぞれ家事とも仕事とも家族とも向き合わないといけない。幸せに向かうために迷いも選択肢も悩みも圧倒的に多い。

でも、それぞれの向き合うものの先にたぶん悟りはあると思います。なので今目の前のことに真摯に向き合うことが全部繋がってるんだと思うんです。

前も言ったけど

ヨガ=繋がり

すべてヨガなんですね~(笑)

あ、ちなみに密教の修行のこと別名
瑜伽行(ゆがぎょう)っていいます。
瑜伽はyogaの音訳と言われています。

繋がりましたね~

いろいろ繋がってくるの
おもしろいでしょー?

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