母の日のギフトから私は価値のある人間だと自信をもらう
ネガティブオーラが染み出るタイトルですね。
しかし子供ができてから、つい、自分のことより子供のことを優先しがちな日々が続き、なんだか自分をあまり大切にしていないなと、感じる今日この頃。
例えば、子供の服は新調するけど、自分のは後回し。とか。
美味しい食べ物があれば、子供にまず食べさせたいと思ったり。とか。
共感していただける方もいるのではと、想像します。
そんな時、ふと手に取ったバッグ。
自分では決して選ばないような、深緑色のベロア生地に金色のリボンをつけたピンクフラミンゴが刺繍してある、かわいいけど服と合わせるのが難しいトートバッグ。
数年前に、子どもが選んでくれたクリスマスギフトです。
そんな素敵なバックを見て、
「ああ、子供の目には、私はこんな素敵バックを持てるような輝いた人に見えるんだ。」
と、じんわり感動したことがあります。
年々シワが増え、どんなにお化粧しても写真に映る自分にがっかりすることが続き、最近は心も体もしょぼくれていたのです。
そして母の日。
こどもが数日前から、
「ママ、こっち見ないで!」
と言いながら、食卓でミシンを使って何かをしていたり、
「ママ、見たでしょ?」
と眉間にしわを寄せながら、バックパック(リュック)の透明ポケットに入った、なにやら可愛いらしい物を手で隠したりと、サプライズ母の日ギフトを準備している子供を目じりを下げて見守っていました。
母の日当日。
朝早くから、子供は夫をたたき起こしてどこかへ出かけていきました。
もちろん私には行き先は秘密です。
大分時間がたってから、夫と子供が花束と紙袋を下げて帰ってくると、二人でくるくる動き回り、食卓にテイクアウトのブランチと花束と、子供からのプレゼントが用意されて、
「ママ、母の日おめでとう💕」 と食卓に呼ばれました。
プレゼントは、子供が学校のお裁縫クラスで作った作品たちと、学校で作った母の日カード。
全て手作りの、子供からの愛でいっぱいのギフトたちです。
母の日カードには、身に余るような諸手を挙げた賛辞の数々。
こそばゆいというのを通り越して、自分のことを書いてあるとは信じられません。
でも、私の喜ぶ顔を想像して、嬉しくて今にも飛び上がりそうな我が子を見ると、間違いなく私に宛てたメッセージなのです。
「ああ、私はこの子にとって、かけがえの無い大切な人なんだ。」
と、体のすみずみまで子供からの純粋な愛で満たされていくようです。
すっかりモノクロでカサカサになってた心が、一気に色とりどりのチューリップ畑の中にいるような生気が満ちてきます。
ギフトって、物を受け取るのではなくて、相手の私を思う真心を受け取るんですね。
「あなたは私の大切な人です。」
そんなギフトに込められた真心を受け取り、私は誰かの大切な人なんだと自信をもらうんだなあ。と、そんな気づきを母の日にもらいました。
ちょっと心が疲れている時、今までいただいたギフトを思い出すと、また明日も頑張ろうっていう元気がもらえる気がします。
最後までお読みいただきまして、ありがとうございます。
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