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経験という価値が人生を輝かせてくれる


自分の人生を決めるのは自分自身

沢山の選択肢の中から
選んで選んで選び抜いて『現在(イマ)』を生きている。

あの時の選択が1つでも違ったら
出逢えてなかった人達が沢山いる。

逆に言ってしまえば、あの時に選択しなかったから
本当は出逢えるハズだったのに、
出逢えなくなってしまった人達もいるだろう

だからこそタイミングと縁って不思議だし面白い

私は、ふと考える。
もし、あの時に一歩踏み出していなかったら、
憧れていた俳優さんに
自分の作品を知って貰う事すら出来なかった

岩国ビエンナーレ入選作品

自分の中では泡模様が最高にバランスよく出てくれた
お気に入りの作品💎
しかも当時、岩国ビエンナーレで入選したものだ❣️

その作品を1番最初に知って貰えたのだ🥺
ちなみに、入選作品のうちの一点を
その俳優さんにプレゼントさせて頂いた。
(他にも何点かお渡ししたが)
作品をお渡ししてから4年は経つのだが、
未だ割れる事なくずっと愛用して頂いている😭✨
(BeautyJapanへの挑戦をキッカケにその事実を教えて頂いた🥺)

作家冥利に尽きる

とは、まさにこのことだ🥺🥺🥺

私は、この俳優さんに作品を知って貰う事が出来なかったら、今でも病を隠し続けて生きていたかもしれない

いや。合併していたMPNSTの発見が遅れていれば、
下半身不随…もしくは切断…😣していたかもしれない。
大好きなガラス制作も出来なくなっていたかもしれない…

そう思うと恐ろしすぎる😱そんなのに比べたら、
背骨にボルト7本なんて可愛いものなんですよ🥺❣️

そんな風に考えると、その俳優さんは
私の人生を2度も変えてくれたのです🥺❣️
2回目は病の発信へのキッカケ(2017〜2018年)
1回目は未来を生きるキッカケ(中3)

私は表向き、なるべく明るくぱっぱらぱーな感じで
生きてるから、病がそんな重いものだと受け取ってる人は
少ないかもしれないけれど、
(病の真実は多分重いし自分の想像より深刻)
合併したMPNSTは希少がん。
指定難病
レックリングハウゼン病(先天性)だって、
ステージ5。直接レックが命に関わらなくたって、
合併症によっては関わってくるし、そもそも
レック患者は平均寿命が短いと言われているようだ😂
私は何事もなく、この先の人生を
70歳まで健康に生きられたら長生きなのかもしれない←

思い切って病を公表して
発信と作家活動を並行して生きるようになって4年。
(憧れの俳優さんにも知って貰えた🥺👏)

その4年の間に様々なメディアの取材を受けた。
ラジオ出演、地上波、You Tube、WEB記事……
まだ公に出来ない情報も沢山ある。
書ききれないモノばかりだ。
けれど、私の話してる想いは全て一緒。
きっとこれまで書いてるnoteやブログの記事も
芯を見れば、書いてる内容は同じだろう。

『伝えたい想いはずっと色褪せる事なく同じなのだ』

それでも、頑なに周りの人達には
直接病の事を話したことはなかった……
それがどこか辛く、不安で寂しくて……
背骨にボルト7本入れて、コルセット24時間生活を
約2年終えた後、すぐにBeautyJapanにエントリーした
(就寝中さえコルセット装着だった)

コルセット療養中、BeautyJapanを知って、
コンセプトを知って、

まさしく私の出るべき大会


だと思った。運命を感じた。

しかし当時はコルセット療養中。
こんな姿じゃ出られない。

胴体全て覆うコルセット。胸は勿論潰れた。

運転も禁止されていた。
外出は定期検診で通院するときのみ。
当時、病院へは親が有給を使って送迎してくれた。
(こんなの付けて公共交通機関には乗れない)
通院頻度も多いので有給が無くなり、
欠勤して送迎してくれた🚙ありがたい🥺

そんな中じゃ、BeautyJapanに出たって
インスペすら通えない。

私のコルセット姿を知っているのは、
当時17ライブで交流していたライバーさん、
リスナーの方々。(ライバーしてました)

直接コルセット姿を見た事があるのは、
医者、親族。
家まで逢いに来てくれた友達若干名。
いつも髪を整えてくれるスタイリストの友達。
(サロンには親の送迎付きでした)

私は大会エントリーを2回見送っていた。
最初、手術時にはコルセットは3ヶ月で取れると
言われたのに、CTやMRIを視て、伸びに伸びて
結果的に1年半も24時間コルセット生活だった。
今思い返せば相当辛い。
当時は笑いのネタにしていたのに…🤣

もし、エントリーするのが今期じゃなかったら…
事務局のあの人と!?と同期だったかもしれないし、
もしかしたらエリア大会でグランプリ受賞👑すらせず、
日本大会へは進めていなかったかもしれない🥺

けれどあの時、エントリーする事が出来ていたら、
出逢えていた当時のファイナリストだっているはずだ

けれど、今こうしてBeautyJapanに挑戦し、
中部NEOエリアでグランプリ受賞👑
日本大会へ駒を進めた。
そして事務局の方々はBeautyJapanのOGでもある。
こうして時期がズレて、出逢い方は変化したかもしれないが、

人生という大きな地図の中で巡り合う事が出来た

だからこそ、

人は必要な時に必要な人と出逢う

という言葉があるのかもしれない。
出逢うべくして出逢った🤝

他エリアのグランドファイナリストの方々とも
『縁』があるのだ。

経験も財産だけれど人脈も財産だ

Beauty Japanに挑戦しなかったら、
自分はどんな風に病の発信をしていただろうか…きっと
身近な人達には、病の事を
永遠に隠して生きていたかもしれない

コルセット姿になっていたって、
どうしてそうなったのか…とか
経緯を聞いてきた友達は一人もいなかった
(配慮して聞けなかったのかもしれないが)

だからこそ、『病』や『障害』『ハンディ』は
当事者からの発信じゃないといけないのだ

今まで生きてきた私の経験は
辛かったものでさえ『価値のある財産』
その過去が現在(イマ)の私を形成している。

私の思考や行動、全てを創り上げている
『自分の価値』は『周りからの評価』
『私の生きる』は『誰かの心に残り続ける事』

『私といると○○』
そこに感情が乗る事で『その人の中で生きている』
感情が乗らない=無関心
無関心な事は記憶からどんどん無くなっていく……

日本大会で受賞出来れば、
それはもう大変素晴らしい事だけれど、
もし受賞が叶わなくても、
私のプレゼンやスピーチを覚えてくれてる人が
一人でもいれば私は嬉しい。
(プレゼンまで辿り着かねばならないが)

BeautyJapanに挑戦したことで、
レックリングハウゼン病の社会への認知が
一気に加速した気がする(自惚れだ)

なにせ、あの中日新聞で1面トップに掲載されたのだ!!
コンビニ行ったら自分の顔が挿さってた!
あの時の衝撃は今でも忘れられない…
(1面トップなんて聞いてなかった)
(まさにサプライズ)

これをキッカケに秘書課から連絡を受け
市長表敬訪問も実現した🥺✨
(市長なんて滅多に逢えない)
(しかも市役所側からの連絡だ)

市長や秘書の方から
『大河内さんの発信を市からも届けていくお手伝いをしていく』とのお言葉まで頂けた😭

まだ公表出来ないが、
市役所からの推薦で頂いた案件も1つ出来た。
これは今月末に発表します☺

表敬訪問の事も中日新聞へ…
今回は近郊版だったが大きく掲載して頂いた🥺❣️

1ヶ月も経たずして同じ新聞社さんに
取材して頂いて、私の想いやBeautyJapanの事を
記事にして頂いた🥺これからも少しずつ
社会貢献の場を増やしていきたい。

しかも、この近郊版には、
エリア大会の事前審査の1つであったYou Tube審査。
You Tube審査では1位になったのだが、その時の
動画の1つに飛べるQRコードを掲載して頂けた😭

未だに少しずつではあるが再生数は伸びている🪄
実はこのYou Tube審査をキッカケに
身近な人達へようやくちゃんと病を伝えたれた。

ライン、フェイスブック、公式ライン、
Twitter、インスタ、TikTok……おそらくすべて合わせれば
400人近くに声を掛けたと思う

疎遠になっていた人…
親族、身近な友達、友達の友達…
色んな人に声掛けをした。
あまりにも久々すぎる人には
勧誘を疑われないか心配だった🤣

色んな人が観てくれて、広めてくれたから…
You Tube審査1位を達成する事が出来た🥺❣️
エリア大会では、You Tube審査1位がキッカケで
事前審査を1位で9/2の大会を迎える事が出来た。
(You Tube審査が加算される前は6位でした)

経験は想いのアクセント

私の想いはブログやSNSで語っている事に
全て詰まっている。だからこそ、
プレゼン原稿を作っていても、
『あれ。どこかに書いたな…』となってくる。
其れ故、文章の構成には然程時間が掛からない。
BeautyJapanのステージでは病の説明なんてしない。
ほとんどが初めて聞く病名。
そんな病気の説明を詳しくしたら講演会になってしまう。
情報処理だって追いつかないだろう………

興味を持ってくれたら調べればいい

調べてくれる人が一人でもいればいい

だからこそ、病を伝える手段の入り口として
『見た目』にフォーカスを当てていく。

『情報』ではなく『視覚』で伝えていく

より一層『自分』が変わる為に
(周りに伝える事だって出来た)

自分の姿をキッカケに貴方の一歩踏み出す勇気へ
(様々な方からDMを頂いた)

より影響力のある人間へ
(新聞掲載、表敬訪問、SNS…)
催事があると県外から逢いに来てくれる方々がいる

Beauty Japan

に出場して様々な経験を積上げる事が出来た。
この経験や人の繋がりを活かして
今後の自分の人生を創り上げていく

日本大会グランドファイナリスト
中部NEO グランプリ

この経験は自分を成長させた。
苦手だった壇上に立ち人前で話す事が出来るようになった

私は、ガラス作家としては異色だろう。
それは、『指定難病』という発信する武器があるから

指定難病×ガラス作家

ガラス作家でさえ人口は少ない…
レックリングハウゼン病は日本に約4万人
レックリングハウゼン病でガラス作家の人…

現在は、日本で私1人しかいないと思う←←
もしいたとしても、
『強み』として発信しているのは私だけだ(強気)

私には目標が沢山ある。

☆個展開催すること
☆個人工房を設立すること
☆催事を主催すること
☆憧れの俳優さんと仕事をすること
☆講演会や特別授業の講師として招かれること
☆インフルエンサーになること
☆肩書きは、ガラス作家ではなく大河内愛美として認知
☆色んなアーティストさんとコラボ
☆書籍出版(憧れの俳優さんに帯コメント頂きたい🥺)
☆書籍がベストセラーになり映像化
(憧れの俳優さんには是非本人役で出演を…🥺)
☆不労所得で生活出来る仕組みの完成
☆自分の想いや経験が曲になる
(大森元貴さんに作詞して欲しい🥺)
(ミセスは曲が明るいのに歌詞が深かったりする)
→映像化した書籍の主題歌書き下ろしして頂きたい←
☆沢山迷惑を掛けてしまってる両親へ親孝行

小学校の卒業文集を書いた頃の自分は
今の私を想像できないであろう……

けれど、1つでも多くの目標を
人生を賭けて実現させていく。それを発信し続ける。

ハンディがあっても輝ける事を人生を捧げ証明する

↑これはBeautyJapanで届けたい私の使命の本質

どんな形であれ、レックリングハウゼン病を
私の人生、生き方…全て使い広めていく
だからこそ、悩みの『容姿』だって『武器』だ。

一番最初に印象に残る『視覚』で伝える事が
出来るのだから…!!

それを発信出来る。
作品という形に残るモノで…
インターネットというデジタルタトゥーで…

想いは不滅だ


私の経験という財産でさえも繋いで行く事が出来る🔥

教科書に名前が載るくらいのヒトになりたい☺

大会までいよいよ2週間を切ろうとしている
今年はBeautyJapan一色だったから…

燃え尽き症候群になりそうだが、
日本大会は終わりではなく始まり☺💗

私の新しい人生の1ページが
11月25日からまた始まっていく💨💨

私はとてもワクワクしている✨


サポートとても嬉しいです♡ 今後の活動費用に充てさせて頂きます! これからも頑張れる励みになります✨