時には流されてみるのもいいんじゃない?#6
流されてみて分かることもある。自分じゃ絶対選ばない世界を見れるから。
マツコデラックスが自身のテレビ番組「マツコ会議」で言っていた。半年以上前のことだったと思うけど、いまだに心に残っている。
ここ数年、個の時代と言われる今だからかな。
書店に行くと、周りに流されるなと言わんばかりの自己啓発本がズラリと並んでいて、分かるんだけどなんだか息苦しい。今まで自分は流されて生きてきたんだなあと過去の自分を悔やんでしまう。
だからこそ、半年以上前にマツコが言ったこの言葉が、いまだに心に残っている。一気にこれまでの人生、全て肯定できるようになった。
私自身、24年間、ずっと流されて生きてきた。
でも、確かに流されたからこそ分かったことはたくさんあるし、流されたからこそ今の自分があると思えている。
受験もなかった私は、学校すらも自分で選択していない。小学校でエスカレーター式の学校に入ったので、流されるしかなかった。就職も何だかんだで周りが動いていたから焦って決めた。自分で選択することに慣れてないまま社会人になって、意思決定がとても苦手なことに気づいた。
自分の中でふんわり思い描いている夢、ライターも旅人も、意思決定する力がなかったら、夢のまま終わってしまうかもしれない。意思決定するためには自分自身の力や自信が必要。そう思ってSHElikesや朝渋など第3のコミュニティに入って過ごすうちに、意思決定する勇気は持てるようになったと確信した。
でも、思えば流されていた時は、マイナスの感情がもっと生まれていた。自分のマイナス感情があれば、プラスを求めるための力が生まれて、自分の行きたい世界に近づく原動力になるはず。それはきっと、プラスの感情だけで生きるよりも、もっとプラスになるはず。
noteを書くにも日々の義憤があるからこそ、コントラストがはっきりする文章が生まれることは結構ある。昔流されたからこそ、流されたくない反動で今がある。
そう思うと、これまでの流された人生でも、後悔なんて言葉は存在しないなって。もしかしたら今もまだ流されていていいのかも。まだ24歳だし。もう少し流された方が、良い文章が書けるのかも。もっと理想の世界に近づけるのかも。なんて思ってしまう。
きっと想いが募れば意志の力で抜け出す時はくると思う。募るには時間が必要。
そんな私は最近あえて流されることをしてみたりする。日常の些細なところでも、意図的に流されることはできる。
本を選ぶにしても、amazonで目的の本を検索して買うのが常だけど、時には書店に足を運んでみる。目的の本なんてないけど、書店のポップのキャッチコピーに惹かれて、今の自分に大事かどうかなんて分からないけど、面白そうだから買ってみるとか。
意味もなくテレビをつけて見るのも、たまにやってみるとワクワクする。流れるままに自分の足だけじゃ行けない世界を知れるから。
たまーに、そうやって流されることを、これからもしてみようと思う。
流されたくない、でも時に流されるのもいい。
矛盾しているけど、多分大事なのは、
自分が流されている状態であると気づくこと。
抜け出したい時に抜け出せる意志を持っておくこと。
自分の意志であるなら流されるという選択肢もいい。
なんじゃないかな。自分の心の声に従って、今を正解にしていこう。
この言葉も、私が意味もなくダラダラと観ていたテレビからたまたま聴こえてきたマツコの名言。
流された時も、たまにはOKって思っていいんじゃないかな。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?