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愚か者による「愚かな」選択

人間生きていれば誰でも、「ああ、私はなんて愚か者なんだ!」と思うような経験があるだろう。

後悔先に立たず。
覆水盆に返らず。

自分の愚かさを悔いて苦しむことは辛いものである。

だがそんなとき、自分の「愚かさ」そのものが、自分の救いになったりもする。

完全なる悟りの境地に達している人間などいるはずもなく(その時点で人間を超越している)、その意味で、人間はひとり残らず「愚か者」なのだ。

そして「私はなんて愚か者なんだ!」と思っているのは、その「愚かな」自分である。

だとすれば、その選択が本当に「愚か」だったかどうかなど、「愚か者」である自分ごときに、わかるはずがないのである。

愚か者が「愚かだ!」と思うことほど、逆に「愚かではない」かもしれないではないか。

確かに「覆水盆に返らず」は真理かもしれないが、「いや、むしろ水がこぼれてよかったかもよ?」と思うことはできるだろう。そして実際、そうなのかもしれないのである。

それに、水をこぼしてしまった人の気持ちは、水をこぼしてしまったことのある人のほうが、よくわかる。そのぶん人にもやさしくなれるというものだ。

落語もお笑いも、人間の愚かさなしには成立しない。愚かな人間を救うのもまた、愚かな人間にほかならない。

……と、こういう「愚かな」理屈を唱えるのもまた、愚かな人間の、愚かさ故なのである。

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