見出し画像

自分の人生を生きる。

母の体調が落ち着いたら、自分のやりたいことに集中しよう、と以前は考えていた。でも、この前、気が付いてしまったのだ。

母の体調がすっかりすっきり落ち着く日なんて、もうきっと、ずっと来ないのかもしれないな、と言うことに。

こちら以前母のことを書いた記事です。よろしければお願いします。↓↓↓



どちらかと言うと、悲観的な意味合いではなく、解決しない状況も、受け入れて生きて行けばいいや〜、といさぎよい悟りに行きつけた気がしている。

メディアなどで『介護離職はできる限りしないで下さい。あなたはあなたの人生を生きて下さい。』などと言われているのを目にしたことがある。

自分が、この数年、より母のサポートをする頻度が高くなる前までは、この言葉にあまりピンと来ていなかった。でもようやくここ最近、この言葉がしっくりと、ストンと自分の中に入って来たのだ。

仕事でなくても良い、趣味でも何でも良いから、あなた自身の人生も生きることを忘れないで下さい。と言う意味なのだろう、と私は解釈した。

老いて患う親をみることは、言ってしまえば、かなりのストレスを伴う。その感じ方は人にもよるのかもしれない。

そのことを生きがいに感じる方も、介護されている側のかたが幸せそうなら自分も幸せ、と言う考えの方も、当然世の中にはたくさん存在するだろう。それを職業とされている方々もいて、そんな方たちに支えていただき、私の両親の生活は成り立っている。ありがたい。
 
私の心には、薄情な一面もあるのかもしれない。両親のサポートをすることは、私の仕事なのだ、と割り切って様々な対応をしている。そうしないと、ただただしんどく感じてしまうから。

私の場合は、ものを書き、それを読んでいただけることに、生きる喜びを感じる。自分が存在する意義はここにあったんだ、と思える。自分で今これを書いていても、大袈裟だな。と少々思うけれど。笑

でも、書くことに没頭している時間がいちばん幸せで、充実感で満たされて。

その人にとっての、そう言ったものを続けながら、大切にしながらでも、介護は良いんですよ。すべてを一人で抱えようとしないで。と、私は勝手に受け止めて、それを職としているあらゆるプロの方々に頼り、相談し、自分の好きなことも諦めない道を行こう、と心に決めた。

それは、子育てにも言えるのかもしれない。対人間で行うことには、何にせよストレスが伴う。仕事でもそう。そのストレス刺激が強烈すぎて、そのことで頭がいっぱいになってしまうのが人間と言う生き物で。

人間の脳みそは、ストレス刺激が大好きなように作られているんじゃないだろうか?きっと大昔から引き継がれた、それが生存本能なのだろう。

でも、そこばかりを考えていると、人生の貴重な時間がそればかりに費やされてしまう。自分を見失ってしまうのだ。

脳みそに操られるのではなくて、そこは強い意思を持って、自分の生きる希望に目を向けたい。

ここを意識していないと、まるで磁石に砂鉄が吸い寄せられるように、心までストレスに囚われてしまうから。

ストレスを追いやることに囚われないで、希望を見つけ、それを見つめて。人生の時間は有限だ。

本格的に暑い日々がやって来ましたね。
ここまで読んで下さってありがとうございました!


この記事が参加している募集

振り返りnote

記事を読んでいただきありがとうございます☺️これからも真摯に文章を書くことを追求して行きます。よろしくお願いいたします!