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心の中に潜んでいる「鬼」。

今年の秋の入り口頃だっただろうか。


人生ではじめてとなる短編小説を書いた。


書きたいって気持ちが、自然と湧き上がってきたから書いた。書き始める前は「ほんとに私にフィクションなんて書けるんだろうか……?」って半信半疑だった。


でもそれが、いざ書き始めてみると思いのほか、すらすらと書けてしまった自分に驚いた。
書き終えたあと、その内容を読んでみて、自分で自分に驚愕してしまうような内容だった。


そして、自分が書いた小説を読んでみて思った。


「私の心の中には『』がいるな………」


って。


普段通りの生活を、ただ送っているだけなのに、小さなことでイライラしてしまったり、またふとした瞬間に貪欲な感情が生まれてしまったりする。


その私の心の中の感情が「鬼」だ。


そんなふうにして、心の奥底で飼いならしている鬼は、日常生活のなかでは、息を潜めて大人しくしている。


ところが、小説を書くことによって、その飼いならしていたはずの鬼が顔を出し、まっしぐらに突き進んでしまうんだなって思った。


毎日エッセイを書いている私も、間違いなく私自身だ。でも「私は、こんなふうに、心根が綺麗なばかりの人間ではないのにな……」という、自分自身に対する嫌悪感みたいなものに、苛まれてしまうときがある。


クリーンな一面ばかりじゃない。私は。


そんな心の中の鬼を、小説にぶつける。
抱いてしまった感情は、書くことで外に出してしまいたくなる習性を、私は持ち合わせているから。


でもそうして書いた小説を、皆さまに向けて公開する勇気は、まだ今のところは出ない。
だって、小説ってまるで自分の心の「恥部」をさらけ出す、みたいな感覚なのだ。


私は、恥部は当然のことながら、心底心を許した人にしかお見せしたことはない笑。でもいつの日か、その心の障壁が取り除かれたら、そうして書いた小説も、公開したいなと思う日が来るのだろうか。


まあ、未来のことはどうなるかわからないな。


そして思った。
心の中の鬼って、ひょっとしたら誰しもが飼っているのかもしれないなって。



私の場合は、その鬼の感情の排出方法が小説を書くってことだっただけで、たとえばその感情を絵を書くことにぶつけたり、歌を歌うだったり、ダンスを踊るだったり、スポーツに励むだったり。
そして、写真を撮る、だったり。


人はきっとそうして心の中のモヤモヤを、作品として自分の外に排出し、社会の中に自分を順応させていこうとするんじゃないだろうか。


それでもまだやっぱりその鬼と同居している、社会的立場の私の存在が大きくて、心の中が鬼で染められきってしまうことを阻止している。


そんな心の中の自然な動きは、無理やりにコントロールしようとはしない。自然に身を任せていればきっと、なるようになるだろうと思うから


というか、人生なるようにしかならんよな。

 
ここまで読んでくださってありがとうございました。また明日、おやすみなさい。






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