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社会という当たり前に押しつけられているという悩みを聞いたとき。


こんばんは。まみらです。






今日は中番でバイトDayでした。

ピークの時間帯にBarでドリンクを作っていてめっちゃタフだけど楽しかったな💭


でもそんなタフだけど楽しいピークのBarもあと何回できるか。

そうしみじみと感じる時期?になりました。


卒業の時期が決まったわけではないけれど、

もう卒業までのカウントダウン始まっているんだなってしみじみと…。

1回1回のシフトを大切にしていこう。






さてと!

今回のnoteは昨日更新したレインボー学校プロジェクトのスピンオフ的なことを書いていこうかなと思います😌


まだ読んでいない方は先にこちらのnoteを読んだから、

このnoteを読んでみてください。



今回のレインボー学校プロジェクトで高校生の授業に参加させていただき、授業内や昼休みなどの休み時間に高校生何人かから相談を受けました。


その中で、『"社会という当たり前”という押しつけに悩んでいる。その中で”自分らしさ”という気持ちを持ち続けるにはどうすればいいのか』っていう質問がありました。


この質問を聞いた私の第一印象は、

「今どきの高校生ってそれだけ複雑のことを考えて悩んでいるんだ…。しかもそれを言語化している…。すごい…!」でした。


”今どきの高校生”って括っているところが、

勝手な自分の先入観からの言い方になってしまっていてそこは自分自身反省しないといけないなと思いましたが、

第一印象そのまままとめると上記のような気持ちでした。


そして私は高校生の頃の自分を思い出しました。




私が高校生だった頃、

”社会という当たり前の押し付け” に悩んでいたことがありました。


「高校生だから〇〇ではないといけない」

「普通〇〇なのに、〇〇ではないなんて…。」

「どこかに所属していなければ社会という縮図から除外されてしまうのではないか。」

っていう不安が自分の心の中につきまとっていました。


でも当時の自分はそんな不安の悩みを言語化することが出来ずに悶々とひとり心の中で悩んでいました。





前置きとしてここから若干暗めな話になります。


私は中学2年生の終わりから不登校になりました。心と体のバランスが崩れてしまったため、高校受験が出来る状況ではなく、結果的に通信制高校という道を選択し、生活リズムを整えながら週に3~4日マックでアルバイトをしていました。

あとはそろばんを教えられる資格があったので、小学校の頃に習っていたそろばん教室でそろばんを教えたりもしていました。

(さらっと事実を公表しているけれど、初めて知った人の中では衝撃的に思う方もいるかもしれません。ただ変に誤解を招くと良くないので、当時の自分については後日ゆっくり書いていこうかなと思います👩‍💻)


当時の私は、

”不登校”になり、

”全日制高校ではなく通信制高校”に通っている、

いわゆる社会の当たり前から外れた人生のレールを歩いていました。

(全日制高校と通信制高校の通っている割合を考えるとマイノリティな立場だったことは事実であるし。)


自分から社会の当たり前から外れた人生のレールを歩いていたって言うのはなんだか違和感あるし、そんなこと考えすぎなだけだから気にするなって思う人もあるかもしれませんが、

当時の自分にとっては不登校で通信制の高校に行くってことは社会の当たり前から外れた人生って思っていたし、ここから人生の修正していくなんてできるのだろうかって思っていました。




通信制高校に行くかどうかを決断した頃。

正直高校に行けるような体調ではなかったので、

自分自身は高校に行かないって選択肢もいいかなって思っていました。


ただ、高校に所属していないとアルバイトがしにくい世の中や、

今後の進路を考えたときに選択肢の幅が狭まってしまう(高卒認定の道もあるけれど)ってこともあり、

通信制高校という道を選びました。


”高校”という所属があったほうが今後のことを考えるといいんじゃないかって気持ちから選んだ道ではあったけれど、

そのときに私は「何かに所属しないと社会で生きづらいんだな」ってことに直面し、社会の当たり前に押し付けられることに違和感を感じていました。


けれどどうすればいいのか分からず、

自分の心の中で悩み気持ちを押し殺した結果、

「通信制高校に行くことで高校に所属している。所属することで私は社会から除外されていないんだ。」って肯定していこうと思ったのだと当時を振り返ると思います。


通信制高校を選択したことに関しては後悔はないけれど、

どこかに所属しないといけないのかなっていう”逃げ”の気持ちも心のどこかにあったかなと。

それだけ自分は弱かったのかなと思います。




なので話を戻すと、

『”社会の当たり前”に押し付けられていることを感じて悩んでいる』と言語化して話してくれた高校生はすごくたくましいなと感じました。


当時の自分は言語化することが出来ずに悩んでいただけだったからね…。


正直その高校生の質問に対して、

正解はないとはいえ私自身は100%の答えは言えなかったし、

ロボットでも100%の答えは導き出せないかなと思います。


”社会の当たり前”について悩むっていうのはなんだか日本の国民性が絡んでいるのかもしれないし、

人によっては”社会の当たり前”に関して何も違和感を感じていないんだろうけれど、改めて考えると難しいことだよね。。。。。


正直、今の世の中は私にとっては生きづらい。笑

それはコロナで好きなところに旅行に行けないってことだったり、マスクが当たり前に生活になってしまっているっていう表面的な理由かもしれないけれど、

もっと内面的な理由だったり社会的な構図が背景としてあるのかもしれない。

うーーーん難しい。。。


なんだか解決しないままこのnoteが書き終わりそう💦

でもこれからも私は”社会の当たり前”に関して悩むのだろうし、

それを踏まえて”自分らしさ”に関して考え続けるんだろうなと思いました。






なんだか暗くなってしまうところもありましたが、

note書き終わったから家に帰ってM-1だ!!!

(追っかけ再生だから結果知らないようにネット遮断の努力しないと!)






では、また明日〜!






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