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5月7日 雑事について。エックハルトや鈴木大拙や神や池田晶子さんについても。

考え方の転換が重要だ。

人に所為にすることは、とにかく気分が悪くなる。

勝間さんのYOUTUBEを愛聴しているが(画面もお気に入り)、とにかく人に嫌なことをされたと思ったときは、「人は変えられない、自分のみが変えられる」ということで、他人に怒りをぶつける構えを解いて、とにかく「自分が嫌な気になった」事実を直視し、「で、自分は、どうするのか、どう考えるのか、どういう対策を打っていくのか」と考えると、

嫌なことが契機となって自分の問題解決能力がアップした、という風に前向きにとらえられるようになる、ということを学んだ。

また、「雑事」という言葉があるが、全ての日々の仕事に、「雑」という整理は禁物で、雑、と思った瞬間「本来やらなくともうよいこと」となり、「やっている自分がやらされ感、謎の義務感」でやっていることに気づく。

だが、食事しかり、先ず何のために食事するのか?

自身の栄養状況を良くするためである。

よりよい、より気分のよい人生のためである。

であれば、適当にやっていいわけがない。


食べることが義務になると、適当に、安く、満腹になるものを、手っ取り早く食べてしまえ、となる。

それが添加物まみれ、AGEまみれであったとしても。


まあ、食べることは「FUN」でもあるので、例えば「イベント」的に「有名店」に行くのはいい。

そこでは「AGE」も「化学調味料」も、まあいい。

だが日々の食事では?


近くの店で、ダイコンとキャベツが安い、ということを言っていた。

これは確保しておかねば、ならないだろう。


鈴木大拙は、基本長い時間を米国で過ごしている。
その著書、「神秘主義」に引用されているエックハルトの言葉を転記する。

マイスター・エックハルトは、まさに「精神の巨人」であった、と思う。

「神には以前も以後もない」
「神はこれでもあれでもない」
「神は全く単純なものである」
「被造物に先立ち、永遠の今に住し、永遠の静けさの中に在す父なる神の御前で私は遊んだ」

鈴木大拙 神秘主義 より、P.40


ある時代に生まれることは、その時代時代の仕組みの中で、先ずは生きて考えることになるだろう。

エックハルトのころならキリスト教。
ある時代の日本であれば、仏教であったかもしれない。

さしずめ今なら「科学教」であろうか。


その仕組みが生に組み込まれていれば、基本かんがえだすのもその仕組みがベースとなる。

ただ、そこにしっかりと根を下ろして考えだすことで、なんらかの「自身の考え」が生まれ、そこに考え方の進化点としてなにかが足されようとすることがある。

突出した知性であれば、尚のことだ。


エックハルトは、そうした思考を深化させ、その時代の「超えてはならないとされている深淵」を超えていった人だろうと思う。最後は確か異端審査に赴く途中で亡くなったのではなかったか。

例えば池田晶子さんも、考えていけばこうなる、という真実のみを巫女のように「市井の週刊誌」などに伝えられ、読んだ「受ける準備のできている層」の皆さんの琴線に触れまくった方であった。

「こんな週刊誌に、こんな真実が!!!!」

まさに驚きであった。


今の時代、別に異端とはされなかったが、ある種「変わった人」認定は一部より受けられていたように思うし、ご自身も楽しくそのことを語っておられる。

異端から、「変わった人」へ。


その点だけでも、人類は進歩した、といえるのかもしれない。

(すこしずつ、1歩進んで2歩下がることもあるのでしょうが。。。間違いなく精神はギリシャ時代より進んでいない気がします)

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豆象屋
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