2月2日 果たせなかったもう一つの人生の可能性について。
内田先生は引用自由とおっしゃっているので、すこし長めに引いた。
何故引いたか。うらやましかったからである。
自分は自分の進路を結果的には自身で決めたし、就職もそうだった、とは思っている。
大学が「好きなことを追及する場所」でありうる、とは思っていたが、ありうる、とは「好きなことが実学的であれば」という条件があった。
だが人に言われるより、とにかく餓死せずに生き延びる、ということが自身のなかでやはり一番だ、と自分のなかで思っていたし、
好きなこと(まあ、幻想文学と漫画ですな)は当時は学術的とは言えなかったので、研究対象にしよう、という案は浮かばなかった(今はありうるかな)。
試しにマンガや小説を描いてはみたが、いわゆるプロ1年生突破レベル、には自身としても到達していない、という感触を得たし、そこで「なにくそ!」という気分が出てこない時点で、自分の中でこれはあかん、と思っていた。
文学好きではあったが、語学はイマイチで、この原書を読むために仏語をまなぶぞ、というようなパションはなかった。
つまりは、「才能が必要」と思う性であったのだ。
努力でなんとかしよう、と思えればよし、結局大学4年間でなにかあれば、と思いはしたが、どうやらつかめなかった、という感触であった。
学費がただで、やりたいことがあるが実学方面ではなく、そしてここが一番大事だが、それに賭ける気概があり、とりあえず「稼ぐ」ことは置いておいて全身全霊でまずは打ち込もう、と思っている人が集まる大学は、
たぶん私にとってまぶしくもあり、妬ましくもある場所となるだろう。
(歩めなかったもう一つの人生の可能性、という奴ですかね。。)
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