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夫婦は似てなくても似る

友だちの結婚式に夫婦で出席した。かなり手の込んだ手作りの結婚式だったし、久しぶりの友だちにもたくさん会えて、エネルギーを使った分満たされた気持ちになる日だった。
帰りに、前から結婚記念日の前倒しとして予約していた、ちょっといいレストランで食事をした。
「私たちの次にお似合いの二人だね」と恥ずかしい冗談を混ぜつつ、式の感想を語りながら。

結婚式に出るたびに、その中で語られる言葉と自分たちとを照らし合わせる。こそばゆくもなるし、しゃんとしないとという気持ちにもなる。
そんな機会って大事だなと思うので、たくさん結婚式に呼ばれたいなあ。


2人で生きると決めた人たちの、その2人の在り方や頼り合い方、管理の仕方、道の目指す方向や方法、暮らしぶりなんかは、決まった型があるわけではなくて、本当に人それぞれだなと聞けば聞くほど感じる。
想定していなかったのに不思議と「この組み合わせはぴったりなんだろうな」と納得する二人が惹きあって、新しいチームとなっていくのは、なんだかおもしろいなぁと毎回感動する。
別に絶対同じ夢や同じ価値観を持っていなくてもうまく生活をこなしている人たちもいるし、なぜか顔は似てくる。


かなり自分で生き方を選べる時代になった今。
逆に会社の先輩からふと言われた、「結婚してから、私の思い通りに行かないこともたくさんあったけど、私の人生はこれが本当にベストだったなと思う」という言葉の深みを噛み締める。

共に生きることとは、ずかずか踏み込ませるし、踏み込んでいくこと、それどころか、心の真ん中に置かれているソファに、我が物顔で相手に座り込まれること。
その不安定さというか、不確実さを人生に加えるリスクを背負っても、この人と一緒に行きつく終着点の景色はとてつもなく素晴らしい、ということを私は信じ続けたい。
そして、そう彼も思ってくれているだろうという信頼があるからやっていける。

「私たちは一緒になるべきである」その根拠なき確信が、二人を一つにする唯一の魔法だと思う。

同じ思いとなり、同じ愛を抱き、心を合わせ、思いを一つにして、わたしの喜びを満たしてください。
‭‭フィリピの信徒への手紙‬ ‭2‬:‭2‬ (聖書 新共同訳‬)

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