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危うい正義。

(2400文字程度)

社会科と道徳を担当していた先生との一悶着。

これは多感な中学2年生の時のできごと。
今でもたま〜に思い出す。

ことの発端は、
社会の先生が職員室に教材を忘れたところから。


先生「社会科係って誰だっけ?職員室まで〇〇取りに行ってきてよ」


わたし「えっ?先生が忘れたんですよね?」


沈黙。


先生「…社会の授業に必要だから、社会科係にお願いしているんだ」

わたし「どうして先生の忘れ物を社会科係が取りに…?」


先生「はぁ…まぁいいから〇〇(社会科係)取りに行け」


わたし「私たちはチャイムが鳴るまでに席に着いて先生を待っていました。先生が教材を忘れていなければ、今頃授業が始まっていますよね。先生が取りに行けない理由ってなんですか?〇〇さんが取りに行った後、自分の忘れ物を取りに行ってもらっている先生は何をして待つんですか?私たちはもう授業の準備できていますけど」


くそめんどい嫌な生徒である。
しかも私は社会科係本人ではないのだ。


※補足すると、悪意は本当の本当に微塵もなく
「間違ったことは正さなきゃ!」という、くそやっかいな思いからの行動である。決して煽るつもりはなく、「話が通じなかったから、いろんな角度から説明をしたら分かってくれるかも!」という、これまたくそやっかいな思いからの発言でした。(詰めるような言い方になってしまったことは後悔している)


担任からよく心配され、個別の面談で
担任「その時感じたことをなんでも正直に話すことが、必ずしも正しいとは限らないのよ」
わたし「時々、嘘をつけということですか…?」
担任「そうじゃないんだけど…(困惑)」

本当に両極端だった。言葉通りにしか受け取れないというか…。
白か黒しかない、みたいな。

これについては他にもエピソードがあるけど、脱線するのでカット。


時を戻そう。
先生、ブチ切れ。


先生「もういい!俺が取りに行く!!」


ドア「「「 バン!!!!! 」」」


わたし「(最終的に取りに行くなら早く行けば良かったのに、なんなんだろう…しかも、分かってくれてなさそう…)」


生徒たちだけを残した教室がざわつき始めた。

男子グループ「○○先(愛称)、めっちゃキレてたな〜!wwww」

女子グループ「この後の授業はどうなるん?大丈夫なん…?」



いつもと違う光景を面白がる男子グループと、不安がる女子グループ。
周りとワンテンポ遅れ、ようやくこの“変な空気感”の原因は自分のせいだと気付き始めた。


女子グループ「先生が戻ってきたら謝った方が良いんかな」

わたし「えっ!?」

どうして?
多分、怒ったのは私のせいだけど悪いことはしていないはず…。

わたし「(教科書だって、ちゃんと持ってきたし…)」


女子グループ「先生、すっごく怒っとったし…」


それはTASHIKANI。
あんなに激怒する他人(大人)は久しぶりに見た。

男子グループ「え〜?でも、そもそも忘れたのは○○先じゃん。なんて言って謝んの?めんどくね??」


女子グループ「う〜ん…」


わたし「(上辺だけの謝罪をしてもなぁ…)」



結論が出ないまま、先生がドスドスと「俺は怒っている!!!!」アピールをしながら教室に戻ってきた。


先生との口論?は鮮明に覚えているけど、その後の地獄のような雰囲気の授業内容は覚えていない…。私は先生の大激怒については正直どうでもよくて、同じ事象に対してクラスメイトの意見が割れてしまったことについて、ぼんやりと考えていた。



「(正しいことをしたはずなのに…どうしてこんなことに)」



当時は本当に意味不明だった。

そして、私が詰問しなければ授業がすんなり始まっていたかもしれない可能性を考えると、授業に前向きな子に対して申し訳なかった。


その後、先生に呼び出される
なんてイベントが発生することはなく、いろいろとハッキリしないまま移動教室。呼び出されて叱られていたら、もっと早い段階で“危うい正義”について理解できていただろうか。

いや、実はこの時心の中で、

「(道徳の授業も担当しているクセに、道徳心ゼロやんけ!23歳って大人だと思っていたけど、ガキみたいなキレ方して!!やっぱ教師って嫌い!!)」※ん?26歳だったかも

と思っていたので、当時の理解レベルでは無理だっただろうし、猛反発していただろうな。

※この先生のことは好きでも嫌いでもなかったが、忘れ物をすると出席簿の名前の横に×を付けられていて(成績にも影響していたはず)、「私たちは×付けられるのに、自分の忘れ物には激甘ちゃんで、大人なのに尻拭いを子どもにやらせるんやな!」という反発心があった。決して悪意では(以下省略)


この危うい正義について、
ひとつずつ分解していくと、

相手(対象)を“悪”だということを前提に、
「自分が正しい」
という揺るぎない思いに加えて
▼相手に「分かって欲しい」「間違っていることを自覚して欲しい」
▼自分が「正さなければ」「教えてあげなければ」「正しいと認められたい」
▼「正しいことをしているという安心感を得たい」「自分を正当化したい」「正しくないとわかっていて、見過ごすことができない」

などの様々な考えが内包されているケースが多い。※当社比



とても乱暴で簡潔明瞭に言えば
正しければ何を言っても良い
という思いが無意識下にあったと思われる。


ケースバイケースだけれど、当時の自分の言動は、“大きなお世話”であることが本当に多かった…。
※大人になれた現在では、相手に配慮し、言動・タイミングなどにも気をつけています。


話は少し変わるが、最近SNSでバズるとコメント欄などが掲示板化してしまう現象をよく見かける。

そこで「お気持ち表明」や「悪意のない(が、いう必要のない)正論」を見てしまうと当時を思い出してしまう。


「(この人たちはきっと、顔も知らない誰かの加害者になりたくて書き込んでいる訳じゃないんだろうけど…)」

「(自分の中にある正義が見過ごせないんだろうなぁ…)」


「(バズった人も、そういう意図で発信した訳じゃないんだろうに)」



難しい問題である。


当時の担任の気持ちがようやく分かった気がする。

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