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寄る年波による認知のユガミに耐え切れず、ついつい、死後の世界について考えてみる。。。

記憶と現実との間に、どういうわけか相違が存在する、っていうこと。。。

これまでの人生で、何回か経験してきた。

その詳細については。。。控えます(笑)

でも、最近、相違案件としては、自分的に最大級の出来事があって。。。

なにか、って言うと。。。

某テレビ局の社屋がお台場にあるでしょ?

あれって、上部に球体の展望台があるじゃない?

自分の記憶では、ずーっと銀色の球だったはずなんだけど。。。

美しく金色に輝いていた!

てっきり、オリパラだから塗り替えたのかなー、と思って、ネットで検索してみたら。。。

わかったのは。。。

建築当初から、ずーっと金色だった、ってこと。

((((;゚Д゚))))ガクガクブルブル

記憶と現実に相違が生じる現象のことを「マンデラ効果」って言うんだけど。。。

マンデラ効果だと言えるためには、「多数のひとの記憶にあることが現実と相違する」っていう条件を満たさなきゃいけない。

で、現状、「銀色だったはず」って言ってるヤツは、この世界線では、自分ひとりしか、いないみたい。。。

なので、本件は残念ながらマンデラ効果には該当せず、単なる勘違い、あるいは、虚偽記憶、ないしは、認知症のハジマリ、ってことにしかならないんだよねー。

今日の聖書の言葉。

わたしたちの主イエス・キリストによってわたしたちに勝利を賜る神に、感謝しよう。
コリントの信徒への手紙一 15:57 新共同訳

自分、こうやってトシをとって行くのだなあ、と、しみじみ感じた。

飛蚊症になる、歯が抜ける、膝が痛くなる、夜になると皮膚がかゆくなる、みたいな、年齢にともなう衰えは、ある程度覚悟してたんだけど。。。

こうもはっきり認知にユガミが生じる、ってことを体験すると、さすがにショックだよね。。。

ゆるーやかに衰えて行って、死を迎えるか。。。

あるいは、何かのインシデントが発生して、突然、死を迎えるか。。。

今後の人生が、どっちに展開するかは、わからないけれど。。。

でも、自分はクリスチャンなので、人生は死でオワリではない、と考えている。

もちろん、死後の世界がある、って信じてるひとは、クリスチャンに限らず、たくさんいると思うんだけど。。。

よく聞くのは、あちら側にある、あの世に行って、霊的な存在になって、ずーっと生きて行くんだよー、みたいな。。。

でも、自分の信じていることは、それとは、ちょっと違うんだよね。

なんて言ったらいいんだろう。。。

あの世に行く、って言うよりか、あの世がこっちに来ちゃう、って感じだろうか?

より具体的には、イエス・キリストがこっちに来る、ってことだ。

イエスは十字架にかかることによって、全人類の罪の代償となり、われわれに完全な罪のゆるしをあたえて、三日目に復活してくれた。

復活したイエスは、40日にわたって弟子たちに現れ、インストラクションをあたえたのちに、エルサレム近傍のオリーブ山のてっぺんから、天に昇って行ったんだけれど。。。

そのイエスが、ふたたびオリーブ山に降下してくる、と聖書は言うんだ。

あなたがたから離れて天に上げられたイエスは、天に行かれるのをあなたがたが見たのと同じ有様で、またおいでになる。
使徒言行録 1:11 新共同訳

イエスが戻って来ることを、神学用語で「再臨」って言うんだけれど。。。

その再臨の日に、すっごいビッグイベントが発生することになってる。

それは、死んで眠りについていた者たちが、イエスが復活したように、復活する、ってことなんだ。

主御自身が天から降って来られます。すると、キリストに結ばれて死んだ人たちが、まず最初に復活し、 それから、わたしたち生き残っている者が、空中で主と出会うために、彼らと一緒に雲に包まれて引き上げられます。
テサロニケの信徒への手紙一 4:16-17 新共同訳

復活のからだは、罪から完全に解放されていて、老いたり死んだりすることなく、瞬間移動とかもでき、かつ、年齢的には33歳ぐらいになる、とされている。

つまり、1歳で死んだひとも、100歳で死んだひとも、復活するとみんな33歳になる、ってことになるねー。

なんで33歳か、って言うと、イエスが死んで復活したのが33歳だから、というのが理由らしい(諸説あります)

自分は、ときどき、復活の日を想像してみる。

すべての人間が復活したら、もうね、そこらじゅう、大混雑になっちゃうんじゃないか、と。。。

でも、心配ないんだ。

過去・現在・未来に生きる全人類 1,000億人以上をぜーんぶ住まわせることができる巨大な構造物「新しいエルサレム」が、天から降下して来るからだ。

わたしは、聖なる都、新しいエルサレムが、夫のために着飾った花嫁のように用意を整えて、神のもとを離れ、天から下って来るのを見た。
ヨハネの黙示録 21:2 新共同訳

「新しいエルサレム」が、どれぐらい巨大かというと、一辺が 2,200キロある立方体なんだ。日本列島がすっぽり収まってしまう。

これが、こっちに降りて来る、ってこと。

つまり、われわれが、あの世に行くのではなくって、あの世が、こっちに来ちゃう、ってことだ。

この感覚を、どう表現したらいいんだろう。。。

ボールのなかで、カップ一杯の「あの世」と、カップ一杯の「この世」を混ぜて、よーく焼いたら、美味しいケーキになりました、みたいな感じだろうか。

この世=こっち側のことを、あきらめたり、いいかげんにしたりせず、ちゃんとやって行かないといけないんだよね。

どうせ、あの世に行くんだから、地球が温暖化して灼熱地獄になったって知ったこっちゃない、っていうんではイケナイんだと思う。

だって、あの世が降りて来るのは、ここ、われわれがいまいる、この場所、なんだから。


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