日曜の朝、優勝の喜びをかみしめて飲むヤクルトは、何の味? っていう話です。
ヤクルトファンのみなさま、優勝おめでとうございます!
20年ぶりの優勝。すごい。。。
っていうことで、けさはヤクルトがぶ飲みするしかないよね。
かくいう自分は応援チームを持たないニュートラルだけど。。。
でも、わかる。
巨人優勝とヤクルト優勝では、喜びの次元がぜんぜん違う、ってことを。。。
今日の聖書の言葉。
あなたは深い喜びと
大きな楽しみをお与えになり
人々は御前に喜び祝った。
刈り入れの時を祝うように
戦利品を分け合って楽しむように。
イザヤ書 9:2 新共同訳
強者一択とか勝ち馬に乗る、みたいな生き方がある一方で。。。
人間って不思議なことに、ずーっと負け続けるチームを応援してしまう、っていう性質も持っている。
負け続けるチームを応援する心理。
まさにヤクルトファンの心理に、それが見られると思うんだけど。。。
どういう時にそれが現れるか、というと。。。
なぜか自分のチームがシーズン前半で首位に立ったりしたとき。。。
「いや、いや、こんなはずない。勝ち続けるわけ、ない。これはうちのチームじゃない」って自分に言い聞かせることで、胸に湧き上がって来る喜びを必死に鎮静化させようとする、っていう。。。
なぜなら、そうやって喜んでも、必ずがっかりする結果になる、ってことを、何十年も経験して、わかっているからだ。
だから、やっぱりシーズン後半で負けが込んでくると、「そう、そう、そうでなくっちゃ。それでこそうちのチームだ」っていう、いびつな喜びを発動させる。。。
もうね、負け続ける、ってことをすべて受け入れて、それでも応援し続ける。。。負け続けてこそ「うちのチームだ」っていう。。。
これって、ファンの心理として、究極の最高じゃないだろうか?
だってさ、どんな状況になったって、決して変わることがない「愛」であるわけだから。。。
でも、もし、そんなふうに負け続けているチームが優勝してしまったら。。。
それは、それこそ、異次元の喜びが爆発するんじゃないかと思う。
で、昨晩、まさにその異次元の喜びが大爆発したわけなんだけど。。。
あなたは深い喜びと
大きな楽しみをお与えになり
人々は御前に喜び祝った
刈り入れの時を祝うように
戦利品を分け合って楽しむように
考えてみれば、イスラエル・ユダヤの民も、ずーっと負け続けて来たチームなんじゃないかと思う。
古代の超大国の間に挟まれた小国の苦しみを、何千年にもわたり味わい続けて来たわけだからね。。。
だから、その小国が「戦利品を分け合って楽しむ」なんて言われても。。。は? なに言ってんのオマエ? うちのチームが勝つわけないじゃん? っていう塩な反応だったんじゃないだろうか。
そういうイスラエル・ユダヤの民は、自分たちの望みをメシアに託そうとした。
いつかわからないけれど、この世界が終わる時、「うちのチーム」を体現し代表するメシア=キリストが登場して、優勝してくれるに違いない、っていう望みを抱くようになったんだ。
イエスがそのメシア=キリストじゃないか、と思われていたとき、弟子たちは、絶対そうに違いない、とイエスに全てを賭けた。
シーズン前半から中盤にかけて勝ち続けるイエス。。。水をぶどう酒に変え、病人を癒し、水の上を歩き、パンと魚を増量し、悪霊を追い出し、死んだラザロを生き返らせ、罪人や売春婦の友となり。。。
そうだ、イエスだ! イエスこそメシアだ! ゴー、ゴー、ナザレのイエス! っていう感じで突き進んでいたのに、シーズン後半、急に雲行きが怪しくなり、あっけなく十字架につけられて死んでしまったイエス。。。
イエスが死んだ翌日の弟子たちは、どん底だったろう。。。やっぱりそうだよな、うちのチームが優勝するなんて、一瞬でも思ったことが間違いだった、って。。。
でも、日曜の朝にイエスは復活して、弟子たちに「おはよう!」と言った。
その日から、世界の歴史は変わった。
この世界は、ずーっと負け続けるチームが、異次元の戦利品を獲得する世界に転換されてしまったんだ。
あのイエスの「おはよう!」は、けさ飲むヤクルトの味に通じるものがあるんじゃないだろうかねー。しかも、日曜だし。。。
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