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#エッセイ

ままならないままに

ままならないままに

私の体が
世界が
言葉が
ままならない
ということが美しい

寒さを耐え忍ばなければ
葉は赤く色づくこともなかった

わたしのむねが
破れるように痛まなければ
この言葉は紡がれなかった

枝を張る、貼り巡る

助けてください
と言えるのは
助けてもらえるという
確信があるからで
枝葉を太陽に伸ばすとき
それ以上に根は地中に向かって伸びている

生きるとは根を張り枝を張ることだ
それはわたしの心臓から足の裏へ
足の裏から地中へと
複雑に絡み合いながら伸びている
そしてわたしは屹立しながら
あなたに向けて一心に手を伸ばし
その肩を抱きとめるだろう

夏夜の終わり

ゆっくりと

夏を脱ぎ去るように

あたたかい雨が降っている

湿った空気が皮膚を撫でて

頬杖をついたまま目を閉じて

窓の外へじっと耳をすませる

私もこのままやさしい夜の黒に

薄く溶けていけたらいいのに

驟雨

驟雨

空気にそっとオブラートを溶かす

少しくらいぼやけていた方が綺麗さ

君は左肩を濡らしながら笑う

コンタクトレンズを外して見る

街灯の光 枕元の読書灯

曇ったショーウィンドウの前で

わたしは目を閉じて巻貝に耳を寄せる

雑踏が混じり合いひとつになり消える

額から鼻梁を伝い こぼれた滴が

すぐに街を満たして

やがて海になる

母の日

真っ赤なカーネーションを一本買って

茎をそのまま片手で握りながら歩いた

真っ直ぐ前を見ながら歩いている間

常に視界の隅に赤がチラついた

気がついたら固く握りしめた手の中で

茎が折れ花びらが解けていたから

川瀬に投げ入れた

それはポトリと落ちて

水底の小石に何度か引っかかりながら

どこか遠くに流れていった

ともだち

ともだち

お風呂上がりに抱え込んだ

まるい膝を付き合わし

裸足のつま先をじっと見下ろす

興味なんてないのに

占い番組を見たふりをしながら

すぐ近くに君の気配を感じる。

ひび割れから染み出す雨だれのように

ポツリポツリと溢す本音

おとこでもおんなでもない

少し低い声が耳に響き

踏んでいた薄氷が溶けていく

雨の日は

雨の日は

濡れたアスファルトとタイヤが擦れる音が遠くから響く

車体が切り裂きながら進む冷たい風の軌跡は白く烟る

文庫本越しのコーヒーカップの縁がぼやけて見える

1秒の間隔が少しだけ長くなって

5分と10分の間を行ったり来たりしながら

君の横顔が絵画のように縫いとめられる

額に吹く微風

陽だまりで温められたような

温かい春の風に吹かれて

前髪がおでこを撫でた。

寝たふりをした小さな私の

額にかかった髪をかき分けて

微かに触れる母の指先のように

それは優しかった。

空気くらげ

空気くらげ

空気くらげは空気中をただよう

目の前を横切る半透明の体で

ふわりと視界が遮られ

コンタクトを外したときのように

街灯の光が滲んで淡く広がる

あちらでもこちらでも

空気クラゲはゆらゆらたゆたう

皆一様に視界がぼやけて

すこし優しくなれるのだ

相席

相席

電車のボックス席は膝が触れ合いそうなほど窮屈だ。

だが誰もそれを疎ましく思う様子もなくなだらかな空気が漂っている。

関西の桜は一定のリズムで呼吸をしている。

吐く息がまとわり人々の歩みを緩めさせる。

肩が右に、左に、緩やかに揺れる。

みぎに ひだりに

みぎに ひだりに

春の嵐

春の嵐が わたしを巻き上げる

耳元で 坂巻く唸りを上げて

頬の涙を 空に吹き飛ばす

何年も昔から 細い糸で繋がれた黒い獣が

俺が憎いかと 駆け上がる

嗚呼憎かろう 嗚呼憎かろう

春の嵐に吹かれ どこか遠くへ

糸を断ち切り 忘れ去るくらい

吹き飛ばしておくれ

閑静な春

閑静な春

お皿を洗う水音 食器が触れ合う音

静かなモダンジャスと 誰かの呼吸で

春の空気が 微かに震える

早咲きの桜の薄紅色が 音もなく 溶け出していく