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#詩

あおいもり

あおいもり

山が近い しゃわしゃわしゃわしゃわ
春蝉が鳴いて しゃわしゃわしゃわしゃわ

きみが深い青に漕ぎ出でる様をわたしは少し前から振り向いてじっと見つめていた 浅く水を掻きぜんぜん前に進まないと飛沫を浴びて眉を寄せるパタパタと球のように服に吸い込まれ焦燥の熱に染み入り吐く息と共に溶け出る わたしは対岸が遠くてそう感じるだけだよと そう出かかったこえが春蝉のこえに掻き消されーーーしゃわしゃわしゃわしゃわし

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隣の席のカップルがなぜこんなもの暗記させられるんだと空で案じた一節
左耳に残るつづきが細やかな糸となってその日の日没を紡ぐ

集中して 置き去りにして

千年前の帰り道
右前足のない猫がそれを咥えながら
アパートの階段をスタスタ登って逃げた
わたしはそれを結えてクローゼットにくくりつけたけれど
君がこじ開けようとしたドアロックはあまりにも調子の軽い音で倒れた

子供が好きだと笑う君のこめかみのニキ

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肉芽

押し当てられた肋骨は限りなく私を押しやった。押しやって推しやって押し潰して醜く変形したところでやっと肉を結ぶとわたしのつま先がようやく触れて、わたしは死に物狂いで着地する。膿みにまみれた一瞬間のゆりかご。反対側に大きく揺れる。ゆらゆらと。何もない空間を削り取るような慣性で。

トワイライントワイライト

淋しさを浸したら
ルビー色のダージリン
マスカットもいで添えたら
水滴と朝もやの味

あの空のグラデーション
君にも見せたい
鼻歌のイミテーション
意味もなく添えたい

前髪越しのつま先は
一定のリズム 揺れている
トワイライン トワイライト

踏切前で立ち止まった
噛み締めた 唇は
一定のリズム 震えてる
トワイライン トワイライト

得意げ

君が誇らしげになにかを話す時
ぴんと張ったゆびの先
丸い瞳の表面が
太陽を弾いてつるりと光る
わたしはただその顔が愛しくて
口の端が引っ張られて
ついほころぶ
君の美しい知識のかけらが
わたしの心にやみくもに張った
いくつもの線を
ゴールテープみたいに
ぴん、ぴん、と
綺麗に切り取っていく

ままならないままに

ままならないままに

私の体が
世界が
言葉が
ままならない
ということが美しい

寒さを耐え忍ばなければ
葉は赤く色づくこともなかった

わたしのむねが
破れるように痛まなければ
この言葉は紡がれなかった

西陽

その部屋は
蝉の声で満たされていて
わたしがまるで
土のようにじっと動かずにいたら
太った猫がやってきて
わたしのふくらはぎを退屈そうに食べた
換気扇の向こう側から
アパートの外を歩く人の足音や
花が開く音さえも聞こえ
それはやがて少しずつ遠ざかった
気がつくと私の体は食べ尽くされていて
どうして目がないのに見えるのだろう
と思った瞬間
それが白昼夢であると
気がづいた
それから幾度となく
その夢

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枝を張る、貼り巡る

助けてください
と言えるのは
助けてもらえるという
確信があるからで
枝葉を太陽に伸ばすとき
それ以上に根は地中に向かって伸びている

生きるとは根を張り枝を張ることだ
それはわたしの心臓から足の裏へ
足の裏から地中へと
複雑に絡み合いながら伸びている
そしてわたしは屹立しながら
あなたに向けて一心に手を伸ばし
その肩を抱きとめるだろう

空洞

都会には人知れず空洞がある
ビルの隙間に側道の中に公園の裏手に
誰にも気づかれない空洞がある
風の線を伝って私はそこに辿り着と
体を譲って纏った何かを振り落とす
空洞はそれをものの数秒で
すっかりと飲み込んだ
そしてまた次の空洞を探す

夏夜の終わり

ゆっくりと

夏を脱ぎ去るように

あたたかい雨が降っている

湿った空気が皮膚を撫でて

頬杖をついたまま目を閉じて

窓の外へじっと耳をすませる

私もこのままやさしい夜の黒に

薄く溶けていけたらいいのに

たけなわ

たけなわ

梅雨が明け後も

京都の夏の風はまだ少し湿っている

蚊取り線香と汗と畳の匂いが混ざり合う

オレンジ色にぼんやりと夜道を照らす

提灯に沿って そぞろ歩く人の後ろ姿

遠くから鳴りつづける祭囃子の音に

この少し浮かれた夜が

永遠に終わってほしくなくて

布団の中で微かな音に耳を澄ませる

驟雨

驟雨

空気にそっとオブラートを溶かす

少しくらいぼやけていた方が綺麗さ

君は左肩を濡らしながら笑う

コンタクトレンズを外して見る

街灯の光 枕元の読書灯

曇ったショーウィンドウの前で

わたしは目を閉じて巻貝に耳を寄せる

雑踏が混じり合いひとつになり消える

額から鼻梁を伝い こぼれた滴が

すぐに街を満たして

やがて海になる

郷愁

君の優しさは

広くあまねいている

僕の座る教室を満たし

廊下の端から端まで駆け抜けて

放課後のクラリネットの音を揺らし

裏庭の糸杉の枝葉を巻き上げて

そこに巣を作る若い番いの鳥を抱きしめ

各駅停車の電車の窓を抜け

国道をずっとまっすぐに上がって行く

君の優しさは

この街に広くあまねいている

母の日

真っ赤なカーネーションを一本買って

茎をそのまま片手で握りながら歩いた

真っ直ぐ前を見ながら歩いている間

常に視界の隅に赤がチラついた

気がついたら固く握りしめた手の中で

茎が折れ花びらが解けていたから

川瀬に投げ入れた

それはポトリと落ちて

水底の小石に何度か引っかかりながら

どこか遠くに流れていった