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kamochan_058165
『旧い哲学の話』
旧い哲学の話を思い出した
旧いといってもいつのことだか
そんなことはわからなくて
旧いといっても
古代ギリシャのだとか
そういうことではなくて
自分が大昔に聞いた
あるいは
自分で考えた話だと思う
人間がずっと不幸なのは
(そうでしょ?)
もっとこうしたい
もっとああなりたい
という欲求があって
その対象が目に見えているから
対象物を手に収めたら
間違いなく次の獲物を
本能的に探し始めるように
きっとできていて
(それは立証してない経験則)
欲求がある限り
永久に満たされないという
かなしい結論を
暫定的にだけど
導いたような記憶がある
--
じゃあ欲求なんて
最初からもたなければ
幸せなんだろうって
思うじゃない?
きっと欲求をもたない人は
不幸を感じないかわりに
幸福も感じないはず
でも我々は
いったん生まれてきたら
他人には成り代われないから
それが正しいかはわからない
それに
いったん欲求の概念を知ったら
忘れるということは
極めて困難なように思える
--
欲求というのはなにも
食欲や性欲に留まらないのは
もちろんご存じのとおり
知的欲求だって
それに含まれているわけで
だから
こうして
考えたり
その考えを綴ってみたり
あるいは
他者の書いたものを読んだり
意見交換をしたり
そんな活動を始めた時点で
人間の不幸は始まるんだろう
--
実在しないと思うけど
前述の
欲求をもたない人が
目の前に現れたとして
その人に
「幸せですか?」
って
問いかけてみるとする
あなたはとんでもなく
罪な存在
だって欲求という概念を
知らない人に
問いかけてしまったばかりに
その人は
幸福とはなんなのか
また幸福を欲する気持ちとは
少なくとも一瞬は
思考するはず
その瞬間から
その人は不幸になって…
だからきっと
人間は不幸で
ずっと死ぬまで
幸福を追い求めるように
つくられてるんだろうなって
めんどくせえよ