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『旧い哲学の話』


旧い哲学の話を思い出した


旧いといってもいつのことだか

そんなことはわからなくて

旧いといっても

古代ギリシャのだとか

そういうことではなくて

自分が大昔に聞いた

あるいは

自分で考えた話だと思う


人間がずっと不幸なのは

(そうでしょ?)

もっとこうしたい

もっとああなりたい

という欲求があって

その対象が目に見えているから


対象物を手に収めたら

間違いなく次の獲物を

本能的に探し始めるように

きっとできていて

(それは立証してない経験則)


欲求がある限り

永久に満たされないという

かなしい結論を

暫定的にだけど

導いたような記憶がある


--


じゃあ欲求なんて

最初からもたなければ

幸せなんだろうって

思うじゃない?


きっと欲求をもたない人は

不幸を感じないかわりに

幸福も感じないはず


でも我々は

いったん生まれてきたら

他人には成り代われないから

それが正しいかはわからない


それに

いったん欲求の概念を知ったら

忘れるということは

極めて困難なように思える


--


欲求というのはなにも

食欲や性欲に留まらないのは

もちろんご存じのとおり


知的欲求だって

それに含まれているわけで


だから

こうして

考えたり

その考えを綴ってみたり

あるいは

他者の書いたものを読んだり

意見交換をしたり


そんな活動を始めた時点で

人間の不幸は始まるんだろう


--


実在しないと思うけど

前述の

欲求をもたない人が

目の前に現れたとして

その人に

「幸せですか?」

って

問いかけてみるとする


あなたはとんでもなく

罪な存在


だって欲求という概念を

知らない人に

問いかけてしまったばかりに

その人は

幸福とはなんなのか

また幸福を欲する気持ちとは

少なくとも一瞬は

思考するはず


その瞬間から

その人は不幸になって…


だからきっと

人間は不幸で

ずっと死ぬまで

幸福を追い求めるように

つくられてるんだろうなって


めんどくせえよ









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