【本】 『小学校からの英語教育をどうするか』
この本は、60ページほどのブックレットでありながら、M1で「英語教育とは何か」と思い悩んでいたわたしが出会った救世主のような存在だ。
わたしの在学していた大学院では、「英語教育は、言語習得の過程である」という考え方が大半を占めているような印象があった。しかしわたしは、「人を育てる過程として、各教科がある」と考えていた。
柳瀬陽介・小泉清裕 (2015) 『 小学校からの英語教育をどうするか』. 岩波書店
「はじめに」で2013年から始まった日本の英語教育改革について、「失敗のシナリオ」として提言している。現在は2023年。残念ながら、この予測は10年を経て現実のものになっているといえるのではないだろうか。
数字の上では正確にはわからない。しかし、わたしは「英語教育により挫折感・疎外感・無力感を強くし、内向き傾向を強める若者たち」に、実際にいま、大学で向き合っている。
筆者は、現代の英語教育への警鐘として、「引用ゲーム」という表現を用いた。「教科書などのモデル英文をできるだけ正確かつ高速に引用(あるいは再生)する競争」とのこと。
こどもたちがやっている「勉強」は、実は「作業」なのではないか。心を動かされることなく、技術のみを身につけていく「作業」。その作業は効率の良さを求められ、その作業ができるようになりたい、という「よほど特別に英語に対して動機づけ」がされていない限り(例えば、テストでよい点数をとり、内申点を稼ぎたい、とか、この志望校に受かりたい、とか)、その作業からこぼれ落ちていく子が一定数存在することに対して、この本は警鐘を鳴らしている。
筆者は、神経科学を用いて「からだ」「こころ」「あたま」の重要性にふれ、「非意識的」な「からだ」の動きを「情動」といい、それを意識でとらえることを「こころ」と呼ぶ。この「からだ」や「こころ」で反応している状態が、本来の「学び」ではないかと問うている。
この「意味を求めて聞いている」状態でなければ、「こころ」を動かす授業はできないと考える。
つまり、子どもが「これを表現したい」と思ったときに、初めて学びが成立する、ということ。「動機づけ」とも言い換えられるかもしれない。
この言葉に出会って、わたしは自分の研究の方向性を決めた。
「研究の力点を言語から人間に移すべきです。」に脳天を撃ち抜かれた。英語教育とはいえ、人間を育てるための教育である。言葉を学ぶことが目的ではなく、言葉を学ぶことを通して豊かな人間性を育む。そういう教育を実現するために、実践し、研究できる自分でありたい、と強く感じた。
なので、この本は、わたしのように、「英語教育=言語習得」ではないという意識のある教員や研究者の方におすすめしたい。
また、小学校に限定された話ではないということも書き添えたい。なぜならわたしは今、大学で英語を教えているが、この本に書かれた英語教育における課題によって、彼らは苦しんでいるように思えるからだ。おもに中学校、高校の英語教育を通して挫折感、疎外感、無力感を育ててしまった、と彼ら自身も気づいているようにも見える。
英語教育に携わる方々に、ぜひ読んでいただきたい一冊であることは間違いない。
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